緩慢な抵抗|シロクマ文芸部
ゆっくりとしてくれればいい。
そう言葉を掛けられた。
広いリビングの中央に高めの丸テーブル、そこに半球状のアイスペールがおいてあり、細目の氷のなかにシャンパンのボトルが刺さっている。大きなガラス球の照明が、その卓だけに柔らかな光を落としている。
ぞくりとした。
ゆっくりとなんて、してはいられないわ。
ちょっと今晩のドレスは攻めすぎたかな。
肩から鎖骨までばっさりと出しちゃった。
ガラスと鉄筋とコンクリで織り上げた塔の窓からは、光の洪水が瞬くのを見下ろすことができる。
さあ、引き際はこのあたりかもしれない。
彼はコートを引っ掛けて、キッチンに入っている。
チーズボードを叩く、リズミカルなナイフの響き。
「運が良かったね。出物のチーズが入ったばかりだ」
なんて間の悪さ。
「どうした、座りなよ」
大皿に盛られたチーズが華やかに並んでいる。
手際いい、慣れているな。
らせんみたいに寄木が巻いたスツールに腰掛けた。意外に座り心地がよくて、しっかりと腰を支えてくれる。
胸元を隠すためにテーブルに両肘をついてあごを支えた。その前に、ことんとシャンパングラスが、置かれた。チェックメイトの一手を指された気がした。
「そのシャンパン?」
「ああ。君の誕生日に贈ったものだ。あの日、まさかバーに置き忘れるなんて、な。マスタから連絡貰って引き取ったんだ。この半年間ずっとワインセラーで眠らせていたんだ」
「ずっとお預けでもよかったのに」
敢えて置いていったのに。気づかないの、馬鹿。
「飲み頃というものがあるのに?」
違うね。
あたしの旬は、貴方にとっておいたものじゃない。
他愛のない会話。
裏では駆け引き。
いけない、頬が火照ってきた。
心臓の音が耳元でうるさい。声が聴き取りにくくなったじゃない。
目前のグラスの底から、金色の液体のなかを泡が上っていく。その視線さけ緩慢に揺れている。
藻掻くように。
あがくように。
泡が逃げようとしている。
何度も触ってくる指をそっと振り払う。そのことさえ飽きてしまってきた。
やがて。
ゆっくりと彼が背後に立ち、肩に手をおいた。
そして。
ゆっくりと。
肩から紐が流れ、ドレスが堕ちていった。
