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石人の國

 古代の九州は独特の国です。
 そこには巨石文明というか、石で造形する文化圏でもありました。
 阿蘇という活火山の影響が大きく、約9万年前の大噴火で溶岩が凝結した凝灰岩という岩が中九州中心に分布しています。
 この石は適度な硬度であり、頑強でもあるが加工しやすい硬度を持ち、石を使った文化圏が形成されました。
 この石人と呼ばれる造形物に溢れています。
 往時の戦士の鎧の形状を留めています。土偶文化圏とは違う、なにか格別なものを感じますね。 

 私は、旧唐書倭国伝にある記述の通り、古代には九州を中心とした倭国と、その倭国から分派して奈良地方で王権を確立した大和という2国が存在したと考えます。
 邪馬台国はどこでしょう?という謎も明解です。
 旧唐書には、魏志倭人伝の引用から始まり、倭国はその女王国の流れの王権と明記しています。

 古代には2国があった。
 そう考えないと不可思議なことが沢山あります。
 白村江の戦(663)という対外戦争は教科書で定番ですよね。
 倭国・百済と、唐・新羅が朝鮮半島南部、錦江河口の海域で激突した戦争です。この白村江を指導して敗れたのが、大和朝廷の天智天皇だといわれています。
 不可思議なことがあります。
 その2年後に大和朝廷より遣唐使が派遣され、唐はそれを受け入れているのです。
 遣唐使は留学生を派遣して、貢物を贈り、教育を施してもらい貢物の10倍程度の返戻品を受け取るという制度です。
 戦後2年の混乱期にそれが成立する?
 古代中国の王朝がそれする?

 その倭、というのが九州の「独立王権」ではないのか?
 だからこそ敵国の適正王朝である、大和朝廷の遣唐使を受け入れる、それは理解できます。
 倭国は、その敗戦において弱体化して、大和朝廷の侵略に屈したのではないかと考えます。この石人たちの徹底的な破壊、特に顔を潰したり首を刎ねる行為は、侵略者側が行う敵性文化の否定行為なのです。
 磐井の乱(527)という古代最大の内乱?とされる大戦があります。
 これで九州の豪族である磐井氏が滅ぼされるのですけど。何と来年度にこの1500年目ということで、八女市で巨大なイベントが開催されます。
 石人文化圏の九州において。
 磐井という名前も、象徴的なものに感じます。

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