花びらを、賭けて|シロクマ文芸部
春風が踊った。
夜桜の花びらが、はらはらと降りてきた。
ディキャンプの焚き火は、もうほとんど熾火になっていた。温かだったミルクティもすっかりと冷めてしまった。
川べりの冷気が流れてきて、僕は薪を加えるかどうかを迷っていた。この火が消えるのを潮時に、テントを畳むつもりでもあった。
「ねえ、最後にひとつだけ、いい?」と思い詰めた声音で、彼女が言う。
僕は反射的にその横顔を見た。
彼女の門限とやらは、とっくに過ぎていた。
「桜の花びらが、同時に十枚落ちてきたら・・・・」
彼女はそこで一度、言葉を切った。
熾火の細やかな赤が、その横顔を揺らしている。
「ちゃんと始める」
僕は、その意味を。どちらの方向に進めるのか問うのを躊躇した。お互い、今の関係に出口がないことくらい、わかっている。彼女には家庭という檻があるからだ。
「九枚だったら?」
意地悪にそう聞く。
彼女は少しだけ笑った。眼は笑ってはいなかった。
「その時は、ここまで」
ふいに風が巻いた。
ひらり、ひらりと花びらが宙を流れていく。
一枚、二枚、三枚・・・
数えながら、どちらでもいい、無為なことだと思った、いや、どちらでも未来が存在しないから、こんな賭けをしているのだと。
「残念。今のは、八枚だった」
「惜しいね」
言葉に嘘が混じらないようにお互いに神経を使う。会話は軽いのに、途切れる沈黙は重かった。
やがて、帰ろうか、と言いかけたその瞬間。
かなり強い風が吹き抜けて花びらが、いっせいに舞いあがった。
一枚、二枚、三枚、四枚・・・・・九枚。
あと一枚。
その瞬間、焚き火の残り火から立ちのぼる煙に乗って、遅れて一枚が降りてきた。
・・・十枚目。
ふたりとも、数え終えたのに声を出さなかった。
彼女が、先に溜め息をつく。
「・・・今の、ずるい気がする」
「そうだね」
認めるのを、お互いが怖がっているように感じる。煙に乗った花びらなんて、偶然と言えば偶然だ。でも、偶然にしては出来すぎている。
少しの沈黙のあと、言葉を継いだ。
「やめる?」
彼女は首を横に振った。
それから膝を抱えてそこに顔を押し付けた。
「・・・・やめない」
くぐもったその答えを聞いて、僕は初めて笑った。
世間を取り繕う逃げ道は、もう贅沢すぎる選択だと思った。もう堕ちるところまで堕ちている。
風は止むと花びらは時折、静かに緩慢におりてくる。彼女を肩に手を置いてこちらに抱き寄せた。さっきの十枚目が、本当だったのかどうか。もう、確かめる必要はなかった。
