脳とテクノロジーの融合、そして人間の本性 /[書評]『生まれながらのサイボーグ』
小説や映画などでしばしばわたしたちの空想の対象となってきた「サイボーグ」。しかし、本書の著者アンディ・クラークによれば、サイボーグはけっして空想上の存在ではない。じつは、わたしたち人間がすでにして「生まれながらのサイボーグ(natural-born cyborgs)」であるというのだ。
アンディ・クラークは個性的かつ非凡な哲学者である。認知科学をフィールドとし、心理学、人工知能、ロボット工学などの知見を撚り合わせながら、認知および心の探究を行っている。その経歴を遡ると、1980年代からは「コネクショニズム」を解説・受容する議論を展開。そして1990年代後半からは、いわゆる「力学系理論」をも採り入れつつ、「脳と身体と環境の相互作用からなる認知」というアイデアを推し進めている。2003年に著された本書も、その議論の延長線上に位置するものである。
では、クラークはどのような存在を「サイボーグ」としているのだろうか。それは、ひと言でいえば、テクノロジーや環境を積極的に活用し、自らの認知能力を拡大していく存在である。ここでいうテクノロジーは、なにも身体埋め込み式やワイヤー接続式のものである必要はない。スマートフォンであっても、ペンと紙であっても、あるいは書き言葉や話し言葉であってもよい。それらと緊密な仕方で結びつき、それらと一体となってよりよい問題解決を行うのであれば、その存在はサイボーグである、というわけだ。
そのように、生物とテクノロジーとの融合、とりわけ、生物的な脳と非生物的なリソース(道具)との情報処理的な融合が、本書でいうサイボーグの正体である。ならば、両者にはそれぞれどんな特徴があって、そうした融合が可能になっているのだろうか。
まずテクノロジーに関していえば、クラークはその「透明性(transparency)」を強調する。すなわち、使用者にとって容易かつただちにアクセス可能であり、(その結果として)使用時にほとんど目に見えなくなることが、ここでいうテクノロジーの重要な特徴である。他方で、わたしたちの脳に関していえば、その「可塑性」と「ご都合主義(opportunism)」が重要であるという。卓越した情報処理装置である脳も、その能力には限界があるし、苦手な作業もある。そこでわたしたちの脳は、自らの認知的負荷を軽減するべく、周囲の環境を積極的に利用していると考えられるのである。
そのわかりやすい例として、「81×37」を計算するという場面を考えてみよう。頭のなかの計算だけでその答えにすぐさまたどりつけるという人は、おそらくあまり多くないだろう。だが反対に、ペンと紙を使えば大多数の人が比較的簡単に答えを得ることができるはずだ。そしてそのときわたしたちがなしているのは、計算を単純なステップ(7×1=7、7×8=56、…)に分解し、各ステップの結果を外部に書き記して、最後にそれらを足し合わせる、ということだろう。だがそれこそまさに、可塑的かつご都合主義的な脳が、透明な道具や外的環境(ペン、紙、書き記された数字)を巧みに利用しているという例にほかならない。そのようにして脳は、その認知的負荷を周囲の世界に肩代わりさせて、それ単独ではできないことを可能にしているのだ。「脳と身体と環境の相互作用からなる認知」あるいは「拡張した心(extended mind)」というアイデアが出てくるのも、まさにこうした点にもとづいてのことである。
最後にもうひとつ、クラークの「人間観」を強調しておこう。彼によれば、わたしたちはただのサイボーグではなく、「生まれながらの(natural-born)」サイボーグである。つまり、わたしたちはその本性(nature)からしてサイボーグであるというのだ。わたしたち人間はテクノロジーや環境を積極的に活用し、自らの認知能力を拡大していく。そして、それによって賢い世界(smart world)を作り出し、その一部を自身に組み入れることで、自らの認知能力をさらに増強していく。クラークによると、そうしたあり方こそがわたしたち人間の本性であり、ほかの動物とは異なるところなのだ。
以上が、本書(とくに第3章まで)の議論の骨子である。ただし以上の点以外にも、本書には興味深いアイデアがたくさんちりばめられており、それはまるでアイデアの宝庫のようである。認知的な起爆剤としての言語の役割(第3章)に、テクノロジーが位置感や自己感に与える影響(第4章、第5章)、そして、近未来のテクノロジーがもたらしうる弊害(第7章)など。とくに近年のテクノロジーについての議論は、本書の最大の魅力でありながら、ここでは十分に紹介できなかったので、ぜひ本書自身にあたってほしいところだ。
前著『現れる存在』と同様、本邦訳書も原書の刊行からずいぶん遅れて刊行された。だが、本書の魅力はいまだ色褪せていないし、いやむしろ、スマートフォンのようなテクノロジーが普及したいまこそ、わたしたちは実感をもってその議論をうまく理解できるかもしれない。哲学書ゆえ、本書を読み進めることはそれほど簡単ではないだろう。しかし、キラリと光るアイデアの種が蒔かれているので、ぜひ多くの人に本書に挑戦してもらいたいと思う。
[関連書]
アンディ・クラークはわたしの最も好きな哲学者のひとり。学生時代には原書にも目を通していたが、この前著にも大いに興奮させられた。
[おことわり] この書評は、2015年8月4日に別の場所で公開したものをあらためてnoteに転載したものです。
