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重層する時間をいかに表現するかーー運慶と聖戒の挑戦

 東京国立博物館の特別展『運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』の図録に収録された最新の研究成果の報告(巻末の解説論文)に大変興味深いことが記されていたので、覚えとしてnoteに記しておきたいと思いました。
 ※冒頭の写真は、展覧会の図録表紙です。断捨離を初めてから図録類は買わないことにしているのですが、ひょんなことで友人からしばらく借りることになり、じっくり見る(読む)ことができました。ありがとございます!


 児島大輔氏の「運慶の天平復古 ー興福寺北円堂諸像の成立背景」内の「3 時空を超える表現 ー兜率天と天平復古」には、次のように記されている。

 創建当初の北円堂では不比等の往生すべき兜率天を造形化することが企図されたはずである。そこには、未来に大悟することを約された弥勒がすでに如来の姿であらわされていた。(中略)一般的に兜率天の弥勒は五十六億七千万年の思惟の後に大悟して下生、龍華三会すると理解されている。ところが、奈良時代の人々の思う兜率天上の弥勒は如来形としてイメージされることもあったようで、創建時北円堂の弥勒如来像も兜率天上にいます弥勒の姿だったと思しい。未来を予見した姿ということだろうか。四天王のうち広目天が天平彫刻通有の筆と巻子を執る姿としないのも、そこが兜率天であることを暗示しているとする見方もある。ただし、鎌倉復興時には像内に弥勒菩薩像を納入していることから、創建当初とは異なり未来の悟りをひらいた弥勒の姿を意識的に造形化していることが明らかである。弥勒像には長大な時間が内包されているのである。
 ※如来…修行を完成し、悟りを開いた人の意。真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人。
 ※龍華三会…弥勒みろく菩薩が、釈尊入滅後五十六億七千万年の未来、この世(閻浮州(えんぶしゅう))に下生(げしょう)して竜華樹の下で悟りを開き、衆生済度のために開くという三回の説法の会座。釈迦仏の教えで得道しなかった者が、この会座に列して成道するという。
 ※菩薩…さとりを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼および前世のそれを指して言った。

 上記の「鎌倉復興時には像内に弥勒菩薩像を納入していることから」の部分については、冨岡采花氏による「もう一つの弥勒像ー北円堂弥勒如来坐像納入品ー」の内容を参照するよう示されている。納入された弥勒菩薩像とはどのようなものであったのだろうか。

 建暦二年(一二一二)の年紀をもつ奉籠願文によれば、像内納入の弥勒菩薩立像は、北円堂諸像の最高に尽力した専心がかつて造立しながら携えていた「白檀三寸」の弥勒像で、唐招提寺に伝えられた仏舎利を首の中に込めるという。(中略)専心は師である信円のもと、南都焼討によって焼失した奈良・正暦寺の復興にも尽力したことが知られるが、北円堂諸像の造像をさかのぼること約二十五年前の文治二年(一一八六)、正暦寺正願院の本尊弥勒像を造ったのは運慶であった。こうした事績とその作風から、北円堂像に収められた弥勒菩薩像についても運慶作と推測する魅力的な見解がある。

 図録には、「弥勒菩薩坐像 像内納入品」について、写真付きの詳細な解説ページがある。
 頭部には、専心の「弥勒菩薩立像」と「奉籠願文」が納められた「黒漆塗り厨子」(高さ11センチ)と、それに添えられた「宝篋印陀羅尼経」と称された経巻が込められている。また、体部には、「水晶珠」(約4.3センチ)が納められている。これは、「密教で悟りを求める清浄な心」をあらわす「心月輪」である。
 詳細は図録を確認いただきたいが、そこでは「納入品の形や奉納方法に心を尽くしたことで知られる運慶の、まさに到達点である」と評している。  
 仏像の胎内に、仏舎利や心月輪、また、施主をはじめその仏に関わった人々の願いを込めた納入品が入っていることは珍しいことではない。しかしながら、解説にもあるとおり、北円堂の弥勒菩薩像の胎内には「長大な時間が内包され」ていること、つまり、「未来の悟りをひらいた弥勒の姿を意識的に造形化」していることに運慶の卓抜した力量を見ることができよう。
 ただし、衆生の救済における「長大な時間」の感覚というのは、当時の人々の精神的基盤の中に存在したものであったと私は考えている。それというのは、これと同じことを彫刻ではなく、言語と絵画で「意識的に造形化」しようと試みた人物が他にもいたことを思い出したからである。

 私は、鎌倉時代に成立した『一遍聖絵』の表現と構想から、詞書筆者(絵巻全体の構成についての監修も行ったであろう人物)である聖戒が描こうとした思想について考察してきた。そこで出した一つの結論が、現代の「聖(ひじり)」である一遍が、過去の「聖」たちの系譜に連なること、そして、一遍没後の未来にも現れるであろう「聖」がどういう人物であるかを示唆し、阿弥陀仏の救済がそうした「長大な時間」の中で実現するということを説くというものであった。

 私の研究の詳細を記すことはここでは割愛します。興味のある方は、下記をご覧になってください。
研究業績(6)『一遍聖絵』における助動詞「き」―「昔」と「今」、二つの枠組み―|矢崎 佐和子

 仏の教えが仏像や絵巻という〝芸術品〟となって何百年の時を超えて私たちの目の前にあるということの意味を、運慶や聖戒はよくよく理解していたのであろう。それを思えば、今回の特別展「祈りの空間」という副題にも私は唸らされた。
 先に引用した冨岡采花氏による「もう一つの弥勒像ー北円堂弥勒如来坐像納入品ー」の最後には、このように記されている。

 厨子に納められた専心による奉籠願文には、自身がながらく携えていた弥勒菩薩像を北円堂弥勒如来坐像に納めることにより、両親、師匠、そして結縁して北円堂諸像の復興に心を尽くした衆生すべてが、この世に弥勒が下生した未来において、北円堂像を拝ませるように、すなわち説法によって救済する弥勒如来に会えるように、という願いが述べられている。(中略)北円堂弥勒如来坐像を拝するとき、二つの弥勒像にこめられた、時空を超越した真摯な祈りにも思いを馳せていただければ幸いである。

 『一遍聖絵』は、「たとひ時うつり事さるとももし古をたつねあたらしきをしらは百代の儀表千載の領袖にあらさらむかも」として、「百代」という時を想定して筆を置いている。
 ※百代…非常に長い年代。永遠。
 ※儀表(ぎきょう)手本。模範。
 ※領袖(りょうしゅう)…人のかしらにたつ人。人を率いてその長となる人。

 北円堂の空間(を再現した今回の展覧会)や絵巻に描かれた一遍と時衆の旅の記録を通じて、私たちもまた「時空を超越した真摯な祈り」へと組み込まれていく。運慶も聖戒もそれを意図していたはずなのである。

【引用文献】
・東京国立博物館・法相宗大本山興福寺・読売新聞社『特別展 運慶 祈りの空間―興福寺北円堂』(2025年9月9日、読売新聞社発行)
・神奈川県立博物館編集『国宝 一遍聖絵』(2015年10月9日、遊行寺宝物館発行)


 実は、当時の時間のとらえ方について、他にも考えていることがあります。しかしながら、かなりぶっ飛んだ考えでもはやSFなので、別のところでひっそり展開していこうと思って準備しています。

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