電気ケトルのない家
電気ケトルを手放して、もう5年以上になるだろうか。
出しっ放しにするのが嫌で、使う時だけパントリーから出していた。
しかし、出し入れも管理するのも面倒になってしまったのだ。
コーヒー用のやかんと、電気ケトル。
お湯を沸かす機能を持ったものを、二つも所有したくなかった。
コーヒー用のやかんが、とんでもなく便利
やかんでお湯を沸かすこと自体は、手間ではない。
ガスでお湯を沸かすか、電気でお湯を沸かすか。
ケトルとやかんの違いは、ただそれだけである。
元々夫が使っていたコーヒー用のやかんを使っているのだが、口が細いので使い勝手が良い。
水筒にお湯を注ぐときも、入れやすくて垂れない。
コードがないので、片付けるのも楽。
汚れたら気兼ねなく丸洗いできる。
当たり前を、見直す
電気ケトル自体は、子供の頃から使っていた。
家にあって当たり前、という刷り込みが心のどこかにあったように思う。
一人暮らしを始めた頃は、コンロが1口しかなかったので電気ケトルは必須アイテムだった。
お湯ができたら自動で電源が切れる。
手軽で便利なのは確かだ。
しかし3口コンロの家に住んでいる今、「お湯を沸かしていたら他の料理ができない」という事態は滅多に起きない。
沸騰は音で分かる。
換気扇をつけているので、沸かしている(火を使っている)ことを忘れることはない。
冬の朝、ケトルとドライヤー、暖房や電子レンジを同時に使ってブレイカーを落とす事件を何度も起こしていたが、やかんに切り替えてからは一度も起きていない。
やかんによるストレスはゼロ。
けれど電気ケトルを使っていたときは、ブレイカー事件以外にも「お湯を沸かしたことを忘れて、何度も沸かし直す」自業自得事件を何度も起こしていたので、以前の方がプチストレスを抱えていた気がする。
電気ケトルがないと言うと時々驚かれるのだが、なくても平気なのである。
電気ケトルがない、というのが、私にとっての「適量」なのだと思う。
壊れても、また同じものを買う。
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