AIに“別人格”を演じさせて、世界を観察してみたい
――情報環境の“メタ認知”
はじめに
去年、親戚に頼まれて旅行の手配をした。
3連休だったが、場所から考えてホテルの手配は簡単だろうと考えた。
甘かった。
人数が多かったので、1つのホテルで部屋を全て確保するのが難しかった。
旅行サイト、ホテルの公式ホームページを根気強く検索し、なんとか予約を取れるホテルを見つけた。
それから少しして、私のパソコンやスマホには、APAホテルの広告ばかりが表示されるようになった。
パーソナライズド広告のことは知っていたが、ずいぶん露骨だと思った。
感想としては、
「APAホテルって、ずいぶんネット広告にお金かけてるんだなぁ」
くらいだ。
私はそんなに旅行しないし、興味もない。
この一件を、私は“APA地獄”と呼んでいる。
序章:私にだけ見せられている世界
最近、SNSやネット広告でやたらと目にするのが、「AIで稼げる」「AIで差をつけろ」といったキャッチコピーだ。自信満々に、「AIを使わないなんて、時代遅れですよ」と煽らんばかりだ。
いや、煽っているのだろう。そうやって焦りを感じさせるのが広告の目的なのだから。
ここで思い出すのがパーソナライズド広告のこと。
AI絡みの広告がいくつも流れるのは、私がAIに興味があるからだ。私の検索履歴、視聴履歴などからアルゴリズムがそう判断した結果、私のパソコンやスマホはこのようなことになっている。
AIに全然興味が無い人には、私が見た広告はおそらく表示されていないだろう。
パーソナライズド広告のことを知っているだけで、他人の画面へ思考が至る。
少しでも知識があるのは大事だと思う。
私がネットを見て抱いた「社会」のイメージは、私のパソコンとスマホに表示されている「現実」によって作られたイメージだ。
他の人のパソコンやスマホを見れば、私とは全然違う「現実」が繰り広げられているわけだ。
1章:一歩下がって、自分を客観視したい
ネット広告やSNSのおすすめ機能は、私の興味を狙い撃つ。それは便利で快適ではある。
だが、それは私の興味や考えを強化するように、繰り返し似た内容や主張を表示してくる。そこでは、「AIは可能性の塊」「使わない人は損をする」といった空気が当たり前のように漂っている。
では、AIに否定的な人にはどのような広告が流れているのかと想像してみる。
「AIは危険だ!使ってはダメだ!」みたいな広告が流れているのだろうか?
おそらく、今はまだそういう広告は無いと思う。企業や国がAIを推進しているからだ。
とはいえ、本当のことは比べてみないとわからない。
逆に言えば、比べてみれば自分を客観視することができるのではないだろうか?
2章:別人格を持つAIに観察させれば?
もし、自分とは違うペルソナ(人格)をAIに演じさせることができたらどうだろうか?そのAIのパソコンやスマホに表示されている画面を見れば、自分を客観視できるのではないだろうか?
性別、年齢、職業、年収が違うペルソナの画面には何が表示されるのか?なんとなく、年収が一番残酷な現実を突き付けてくる気がする……。
技術的には、スマホのGPSによる位置情報などもパーソナライズド広告には使われているようなので、ペルソナの完全再現は難しそうだ。専用のAIを作るのも大変だろう。
だが、目的は他人の画面に表示されている内容と比べて、自分を客観視することだ。
だったら、画面のスクショを晒し合うサイトがあれば良いのでは?Pinterestみたいな感じに。
ただ、AIはわずかな情報から人を分析できる。プライバシー、安全の観点で考えると、危ういかもしれない。
ならばAIを活用して、ペルソナをいくつか運用する企業があれば良いのでは?そのペルソナのパソコンやスマホの画面情報を公開するサービスを提供する。
ペルソナが完璧である必要はない。目的は自分の画面と他人の画面を比べて、自分を客観視することなのだから。
私の画面の中の「現実」が、唯一ではないことの確認作業なのだから。
3章:AI技術の脅威は“最適化”
なんでこんなことを考えているかというと、AIは個人に“最適化”して情報を提供できるからだ。それは“誘導”でもある。
もうすでにAIの精神面への弊害の話が出てきている。近い将来この話は拡大すると思う。
有用性を煽るだけ煽って、あるレベルに達したら今度は弊害を強調し始める。そして、弊害で苦しむ人々を“救う”ビジネスが始まる。
現代はAIと行動分析で、個別に不安や欲望を演出できてしまう。
「あなたは“AIについて真面目に考えるタイプ”ですね。こういう講座が向いてますよ」
「あなたは“稼ぎたい欲求”が強そうですね。AI副業CMをお見せします」
「あなたは“AIに不安”を感じていますね。その認識が正しい証拠を見せてあげます」
「疲れてるようですね? “AI疲労”の専門外来のあるクリニックを紹介します」
たぶん、こんな未来が待っている。
文章で書くと茶番劇だ。
だが、当事者になったとき、背後にある演出に気づけるだろうか?
私はどうだろう?
それが問題だ。
この演出に気づくために、一歩下がって自分を客観視することが必要だと思う。
4章:気づきの技術 - サティという仏教的視点
先ほど妄想したような、「自分と他人の画面(特に広告)を比べる」術は今のところない。
代替案として思いつくのは、仏教でいう「サティ」だ。
サティとは、今この瞬間の自分の身体や心の動きを観察し、「気づく」技術だ。
これは、ヴィパッサナー瞑想の言葉だ。ヴィパッサナー瞑想という言葉には馴染みがないかもしれない。けれど、マインドフルネスなら聞いたことがある人も多いと思う。
マインドフルネスは、ヴィパッサナー瞑想から宗教色を抜いたものだと考えるとわかりやすいと思う。
練習の方法は、マインドフルネスで調べたほうが情報は豊富だと思う。
少しずつでも取り組めば、サティは育っていく。
ネットに向かうとき、
・自分が何に目がとまったか?
・なぜ指がとまったか?
・なぜクリック、タップしようと思ったか?
そんなことに気づければ良い。
その瞬間、自分を客観視できる可能性ができる。
とはいえ、常に気づくのは不可能だ。
もはや、影響を受けるのは不可避だ。
完全に逃れるには、ネットから離れるしかない。
サティについては以下の記事でも書いています。参考にどうぞ。
結び:あなたの画面に表示される「現実」
人にはそれぞれ悩みがあるし、人生のステージで考えることもある。
例えば、保険、車、結婚、子ども、持ち家、介護施設、墓。
広告は売るのが目的だ。あなたの不安を煽ったり、他人と比較する情報を見せたりして、あなたの考えを目的に合致するようにデザインする。
AIの進歩には良い面ももちろんある。
今までは不可能だったことが可能になり、あらたな発見ももたらした。
使い方次第では、人類が抱える問題を解決もできるのだろう。
だが、マーケティングと結びつくとき、人の抱える弱くて柔らかい部分を突いてくる場合がある。人の悩みや苦しみを、ビジネスチャンスとして最大限利用しようとする人間もいる。
“演出”により、あなたの悩みや苦しみが利用される場合があるかもしれない。そのとき、演出に飲み込まれて視野が狭くなるのが、一番危険なのではないだろうか?
だから、一歩下がって自分を客観視することが大事だし、その方法も大事だと思う。
あなたのパソコンやスマホに表示されている「現実」は、あなただけのものだ。他の人の画面には、まったく別の「現実」が表示されている。
ただ、それだけのこと。
それだけのことだから、長々と「自分と他人の画面を比べる方法」を妄想してみた。
AI時代の「パーソナリティ・セキュリティ・ソフト」(人格保護ソフト)
どこかのメーカーさん、作ってくれませんか?
そんなことを考えた夜でした。
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