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人に文章を教えることなんて、不遜でおこがましいことをできるのだろうか。していいのだろうか

作家の和田裕美さんとコラボセミナーをさせていただくので、先日、その案内を兼ねた無料セミナーを開催した。
数日後、和田さんに「私、メルマガに『さとゆみさんのセミナーはまるで○○みたい』と書いたんですよ。さて『○○みたい』は何て書いたでしょうか?」となぞなぞを出された。

しばらくしても私が当てられないので、和田さんは答えを教えてくれた。
「こんまりさんが片付けをしたあとの部屋みたい。断捨離をしてすっきり片付いた部屋みたいに、脳内がすっきり整理される」とのことだった。

それを聞いたときに、「ああ、それは嬉しい!」と素直に思った。

先日、翻訳家のみなさん向けに「わかりやすい文章を書く」のセミナーをさせていただいたときも「頭がすっきり整理された」「これまで何となくやっていたことが明確に言語化されて良かった」などとアンケートに書かれていた。

ごちゃごちゃとこんがらがっていることを、すっきりと解きほぐして「あなたの言いたいことは、こう書けば伝わります!」と明快にすることが、私はとっても得意だ。

一方で、ライティングに関して、私が「すっきり整理できてしまう」こと「だけ」を語っているのであれば、とっても危険だなあとも思った。

文章を書くことは、整理をすること(だけ)ではない。
というか、それはいまやAIでもできる、というかAIのほうが得意だ(だから、「わかりやすい文章が書けなければAIに仕事をとられる」はその通りだと思う。逆に言えば「わかりやすくするところはもう、AIに任せていい」とも言える)。

でも、「わかりやすいこと」は、もともと書くことの本質ではなかった。
「わかりやすく書くこと」は、目的ではなく、手段でしかなかったはずなのだ。

なぜ、わかりやすく書かなければいけないのかというと、
1)伝えたい「何か」が、
2)相手の心の中にすーっと入ったり、ぐさっと刺さったり、ぬめっと浸透したりして
3)それでもってその相手が考えを変えたり、態度を変えたり、行動を変えたりすることを可能にするためだった。

逆に言えば、この1)2)3)ができるなら、文章はわかりにくくてもいいのかもしれない。

なので「すっきりわかりやすい文章を書くために何をすればいいか」を整理整頓して伝えるのは、私、めちゃくちゃ得意だし、実際に私のライティングゼミではその部分だけでも、みんなが驚くほどの量の添削(赤字入れ)をさせてもらうのだけれど。

けれども、それは、プロのライター(編集者)ならほとんどの人ができる。そういう「てにをは」的なところはさっさと終えて、もっと違うところに腐心したいのだ。

たとえば、プロの書き手の人たちは、それも人の心を動かす文章を書く人たちは
「AもBもCも正しい表現だし、どれでもいいように思えるけれど、この景色を(この体験を、この葛藤を、この喜びを……)どう伝えるのが一番ふさわしいだろう(ドラマティックだろう、誠実だろう……)」と考えている。

例えばかつて、理系ライターでもあり小説家でもある寒竹泉美さんと話したこと
「赤い靴を履いた男の子」と書くか「男の子が赤い靴を履いている」と書くかで全然違う光景を見せられるよね。どの順番でその景色を見せるのか、その視界のスイッチを押す順番を考えるのが楽しいよね。
なーんて話をした。

私が日本の宝だと思っているライターの田中裕子さんと話したこと
ブックライターは「著者のイタコになる」とか「憑依する」って言うけれど、あれってどう思う? 口伝タイプっているよねとか。テープ起こしを読むか、音源を聴くか。キーワードを残してあとは全部消して文章を書く方法とか、そんな話をした。

●広告のないフリーペーパー「ハンケイ500m」の編集長・円城新子さんと話したこと
「その道何十年」とやってきた人たちの人生を聞くとき、どんな質問を投げかけるのか。「いやいや、普通のことしかやっとらんよ」という人たちの「普通」をどう描くのか、とか。

その人の話から自分には何が見えたのか、
自分は何を面白いと思ったのか、
読んでくれる人に何を見てほしいか。

書くことのほとんどは、そういうことだ。
自分に見えた(想像できた)景色しか書けない。
だとしたら、想像できる景色を増やす必要があるし、その景色の解像度をあげる必要があるし、それってもうだいたい、「よく生きる」しかないと思う。
よく書こうと思ったら、よく生きるしかない。
いっぱい目を開いて、耳の穴を掃除して、鼻の穴も毛穴も開いて、空気をいっぱい吸って、たくさん笑ってたくさん泣くしかない。笑ったり泣いたりする感情を、そのときに起こる身体の変化をたくさん知るしかない。

で、だ。問題はここから。
そんな「生きる」と同じくらいの動詞である「書く」を教えるなんて、不遜でおこがましいことをできるのだろうか。していいのだろうか、という疑問がわく。

✳︎

これは私が過去にセミナーで使ったことのある資料なのだけれど、
「書く」には
・デジタル情報をデジタル情報にする側面

・アナログ情報をデジタル情報にする側面
がある(と、永田和宏さんから教わった)。

「現代短歌シンポジウム」にて、永田和宏さんがお話しなさった内容をもとにまとめました

この右半分は、私たちがやってもいいけれど、もうAIがやってもいい。
だけど、左半分は今のところ、人間しかできないし、こっちのほうに「書く」の面白さがある。

だから、この右半分のプロフェッショナルになるのはもちろんなのだけれど、左半分の話をたくさんの仲間といっぱい語り合いたいなあと思う。

右半分はテクニックとして整理整頓したい。ここはだいぶ長く書いてきた(もう25年になる)ライターとして、お伝えできることがあると思う。

でも、左半分は教えられることではないと思う。私だってずっと発展途上でのびしろだらけだ(と思いたい)。こんな「生きざま直結」みたいなところを「教えられる」なんて不遜なことは思っていない。
だけど、ここについて考えるのが大事だよね!! と思っているし、絶対大事なはずなので、それが大事だってことは伝えられる。
そして、この左半分は、これについて真剣に考える仲間と一緒にああでもないこうでもないと話し合うことで、どんどん深めていければいいなーって思っている。

今夜、さとゆみビジネスライティングゼミの6期の説明会があるので、何を話そうかなあと思いながら考えたことを書きました。
私のライティングゼミが、ライティング講座でも塾なくて「ゼミナール」なのは、そういう理由です。

右半分を整理して、左半分を一緒に考えてくれる仲間を募集しますので、よかったらきてくださいね。

【11月24日(祝)説明会のアーカイブの申し込みはこちら


【12月18日(木)福岡で1dayエッセイ講座をします


【12/6,12/7 和田裕美さんとの2day「生きるための文章講座」します】
特に、ライターさん以外のビジネスパーソンにおすすめ。2日間でnote開設、1本目の記事のアドバイスまでいきまーす!
無料講座のアーカイブはこちらから。
本講座の詳細はこちらから。

【NHKカルチャーセンター 梅田&青山教室で「書くことについて読む」 ×「 読んで書く」ゼミが始まります】
こちら、書く力を伸ばしたいと思っている仲間と一緒に、「書くこと」について書かれた本を読みながら、書くとは何かを考えていく講座です。希望者には書評添削もしたいと思っていまーす。近日募集開始です。

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