日本が戦争で負けんかったら
8月15日になると、ふとした瞬間におばちゃんのことを思い出す。
いつもお盆に帰省していた。
「日本が戦争で負けんかったら」
おばちゃんは、その言葉を恨めしそうに言うわけではなかった。
ただ淡々と、独り言のように口にしていた。
子どものころの私にとって、それは単なる「戦争の勝敗の話」でしかなかった。
あの言葉を聞くたびに、
「いや、それは無理やったやろ」
と、心の中で軽く受け流していた。
そのあとに続く言葉なんて、気にも留めていなかったし、続きがあったのかどうかも分からない。
子どものころの私は、おばちゃんが来ると、決まって金魚のフンみたいにつきまとっていた。
弟に手がかかる家だったので、普段、私の相手をしてくれるのは祖母くらいだったからだ。
面白いと思った漫画を、
「これ読んでみー」
と無理やり読ませたり、学校であったことや友だちの話を、一方的に喋り倒したりしていた。
おばちゃんは、そんな私を邪険にせず、ちゃんと相手をしてくれた。
ときどき呆れたように、
「あんた、よう喋るなぁ」
と言われた。
その声の響きだけは、今でもよく覚えている。
おばちゃんは戦中生まれで、8歳くらいまで台湾で暮らしていた。
当時はかなり裕福だったらしい。

※元写真をAIで補正しています
お屋敷に住み、身の回りの世話をしてくれる人も何人かいたと聞いている。
それが、敗戦で一変した。
日本に戻ってからは親戚の家に身を寄せ、貧しさから中学校までしか進学できなかった。
その後の人生も、決して平坦なものではなかったらしい。
子どものころの私は、そんなことをほとんど知らなかった。
それから何十年も経った。
今になって、あの言葉をときどき思い出す。
台湾で暮らしていた幼いころ。
敗戦で日本へ戻ってからの暮らし。
そのあとに続いた長い人生。
もし晩年が幸福なものだったならば、おばちゃんはあの言葉を口にしただろうか。
もし今、目の前にあの頃のままのおばちゃんがいて、
「日本が戦争で負けんかったら」
と、また独り言のように呟いたら。
たぶん私は、
「苦労したんやね」
と言って、そのまま肩を抱くんじゃなかろうか。
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