僕らが「言葉」の裏側に込めているもの
結局、うちらが売ってるのって「自分そのもの」やん?
なんとなく書いた一行のキャッチコピーとか、SNSに載せる何気ない文章。それって、ただの文字の羅列に見えて、実はその人の「人生のフィルター」を通り抜けて出てきたエッセンスそのものなんよね。
今まで何に感動して、どんなことでボロボロに泣いて、どんな景色を「綺麗やなぁ」って思ってきたか。そういう経験全部が、隠し味みたいに言葉に染み込んでる。
だから、作品を世に出すのって、自分の心の中をちょっとだけ裸にして見せるような、むず痒くて、でも誇らしい作業なんよな。技術を出すのは当たり前やけど、その根っこにあるのは、代わりのきかん「自分という人間」の熱量。
それを「魂」って呼ぶのは、全然大げさな話やないと思うねん。
そこで大事になってくるのが、「そこに立ってる自分が好きかどうか」っていうポイント。これ、
続けていくための、一番大事な「心のガソリン」やと思うわ。
クリエイティブな仕事って、正解がないやん?
一生懸命作ったものに「うーん、なんか違うな」って言われることもあるし、ネットを見れば自分より何倍もすごい才能がゴロゴロおる。そんな荒波の中で、もし自分のことが嫌いやったらどうなるか。
「あぁ、やっぱり自分はあかんのや」「才能ないんや」って、どんどん自分を責めて、最後には書くのも作るのも怖くなってまう。魂を削ってモノを作ってるからこそ、その魂の持ち主である「自分」を信じてあげられへんと、立っていられへんようになるんよね。
ここで言う「自分が好き」っていうのは、「俺、最高!天才!」みたいなうぬぼれとはちょっと違うんよ。
「めちゃくちゃ悩みながらも、泥臭く言葉を絞り出してる自分」
「もっとええもん作りたいって、あがいてる自分」
「不器用やけど、ここだけは譲れへん!ってこだわりを持ってる自分」
そういう、「逃げずにクリエイターとしてそこに立ってる自分」を、まるごと面白がれるかどうか。
「まぁ、いろいろ言われるし、足りんところも山ほどあるけど、ここで踏ん張ってる自分、結構ええやん。嫌いじゃないで」
そうやって、自分で自分に「よぉやってるわ」って声をかけてあげられる強さ。それがあるからこそ、うちらは明日もまた、新しい何かを生み出せるんやと思う。
特に言葉と向き合ってると、言葉はただの道具やないって痛感するわ。「言葉を売る」っていうのは、その言葉の裏にある「覚悟」とか「誠実さ」をセットで届けることなんよね。
AIがパパッと作った綺麗な言葉も便利やけど、やっぱり人の心に深く刺さるのは、「この人が、自分の魂と向き合って紡いだ言葉」やんか。その温度感こそが、読者との信頼関係を作るんよ。
もし、自分が自分のことを嫌いやったら、言葉にどこか「迷い」とか「卑屈さ」が混じってしまう。そんな冷めた言葉じゃ、誰かの心を温めることはできへんからね。
「魂を売る」って聞くと、なんだか身を削る苦行みたいやけど、実はこれ、最高に贅沢な遊びでもあるんよね。
自分の内側にあるものを言葉にして、それが誰かに届いて、誰かの毎日がちょっとだけ明るくなる。そんな奇跡みたいなことが、成立してるんやもん。
そのためには、やっぱり「鏡に映った自分に、グッドサインを出せるかどうか」。
「お疲れさん、今日も魂込めてええ仕事したやん」
「そんな自分、結構イケてるで」
そうやって、自分の一番のファンでいてあげること。それが、長く、楽しく続けていくための、
たった一つの秘訣なんかもしれへんね。
もし今、あなたが何かを作る中で「自分なんて…」って凹みそうになってるなら、思い出して。あなたが今そこに向き合ってること自体が、もうめちゃくちゃ価値のあることなんよ。
胸を張って、今の自分を楽しみながら、また素敵な言葉を紡いでいこうな。あなたが作るものを、あなたが一番愛してあげてな!
