月にも言わない本音。
三つ子の魂100までと言うが、好きな曲は変わらず好きなものである。
関東巡業の行き帰りハイロウズの『月光陽光』を何度も聴いた。
中学生の頃から好きな一節で「今だけが生きてる時間、なのに何故待っているのだ」という詩がある。
然し、それに反して昔の私は待ってるだけであった。
「音楽をやりたい」と思いつつもグズグズと時間を浪費。いざ上京してバンドを始めても上手くいかず、心が折れて引き篭もる。
私がこんな話柄を出すのも珍しいが、好きな子が出来ても何もせず煩悶するだけで当然の如く何も起きない。
音楽において私が待つのを辞めたのはいつだろうか。それは矢張り、たらまガレージに初めて行って『犬の川』を認められてからだろう。
そこからの色んな事は、全部自分から始めたと言っても過言では無い。
ふきたさんには初邂逅後、直ぐに裏日本の話を持ち掛けた。
金田さんは誰かから存在を教えて貰ってから、一人でライブを観に行った。
カラスさんには自分で前座をやらせて貰えませんか、とお願いした。それがきっかけで仙台で一緒にライブをやる事になった。(まだ病気で延期状態だが)
The Endさんにはmixiまで突撃してメッセージを送って思いを伝えた。
何でも、自分から始めなければ何も始まらないのである。
遅過ぎたが、月光陽光を初めて聴いて20年経った今漸くに「待つ事を辞める」生き方を送れてる。
あれ、先の恋愛の話はどうしたかって?
そうそう、これも私が今書きたかった事で、どうにも私は私小説的な作風のくせに恋愛の曲は書かない。
と言うのは、嘘。書いてるけど、直接的なモノは外に全く出して無いのだ。
暗喩だらけで当事者以外には意味不明の曲は発表してるけど。
まあ兎に角、そうゆう自分の中にある線引きを取っ払っていかないと、今とまた違う深みのある創作が出来ない段階に来ていると感じている。
話の終着が自分でも分からなくなって来た。先ず、嘘は止めたい。
何事においても、誰に対しても、思った事を口にして、話さなければならぬのだ。
今だけが、生きてる時間なんだよ。
ホントに生きてるなら、本音で生きたい。
