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【ライターが書く旅行記】 旧呑川緑道を歩いてみた ~大田区のご近所旅 (散歩)~

この記事は7分で読めます! 🔴 

ライターの中森です。出不精でできる事なら
一日中家の中にいたいタイプですが、
2026年は意識して色々な所に出かけようと
思います。


とても近所で「旅」とは言えませんが、
大田区を流れる呑川 (のみかわ) の旧本流跡を
歩いてきました。

● 地域の様子 (現在・過去)
● 呑川の知識
などが伝わるといいなと思います。


【⭐目次⭐】

1🔴 呑川とは?
2🔴 実際に歩いた
  ・京急蒲田駅周辺~緑道入口
  ・産業道路をくぐり、河口へ



↑ 今回歩いた範囲の地図 ↑



(1) 呑川 (のみかわ) とは?

どこにでもありそうな小さな川です。
Wikipediaを中心に、呑川の情報をまとめて
みました。

[ ⭐呑川について: 目次 ]
A● 概要・由来
B● 上流部は下水道になっている
C● 昔はたびたび氾濫した
D● 下流部は付け替えられた



A🔴 概要・由来

名前の由来は不明。その昔ウシが誤って
川に落ち水を飲んでしまうことがあったから、
などといった説がある。

水源は田園都市線の桜新町駅 (世田谷区) 付近
にあり、ここから世田谷区・目黒区・大田区を
通り東京湾に注いでいた。全長14.4km。


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B🔴 上流部は下水道になっている

上流側の4.9km (世田谷区・目黒区内) は川の
上にフタがされ、暗渠となっている。

これは高度成長期に人口が急増した際、下水道
の整備が追い付かずに既存の川にフタをした上
下水道として使われるようになったもの。



上記の背景があり、暗渠 (地下区間) ではない
「地上区間」を流れる呑川の水は
本来の “水源から湧き出た水” ではない。

( 水源~暗渠区間は下水道として使われている
ため、下水処理場に流れて行く )


地上区間を流れる水は、下水処理場で処理され
た水が導水されている。


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C🔴 昔はたびたび氾濫した

京急蒲田駅の近くにある北野神社には由緒として
呑川の洪水により、矢口に鎮座していた天神
社が度々当地へ流れてきたことから、
嘉永2年(1849)矢口村と交渉の上、天神社
を当地鎮座の諏訪神社に合祀。北野神社と改称
した」
という記録が伝わっている。
 
昔の呑川はよく氾濫したことがここからわかる。


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4🔴 下流部は付け替えられた

上記、北野神社付近から現在の河口までの
約2.4kmは、1935年に掘られた新流路である。

 
旧流路 (旧呑川) はその後も残ったが、
戦後の高度経済成長期に呑川上流部が
下水道として使われるようになった際

一部の水 (=下水) が下流まで流れたり
ヘドロが溜まったことで水質が悪化し、
埋め立てられることになった。
 
旧呑川は1960年代後半から埋め立てが始まり、
1976年に全区間が埋め立てられた。
現在は跡地が公園や緑道になっている。


⚠️出典

・Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%91%E5%B7%9D

・大田区ホームページ
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/douro_kouen_kasen/kasen/nomikawa.html

・猫の足あと (東京都寺社案内)
https://tesshow.jp/ota/shrine_skamata_kitano.html



ここで半分です!






(2) 京急蒲田駅周辺~緑道入口

さて、今回は京急蒲田駅からスタートしました。
呑川にかかる夫婦橋から歩き始めます。
( 地上3階建の京急蒲田駅、大きいですね! )



しばらくすると旧呑川緑道の入口に着きます。
旧呑川の幅は10m前後。結構幅広いです。
( 場所によってはもっと広いところも )

川は完全に埋め立てられていて、
現在は公園や緑道 (遊歩道) となっています。
3カ所ほどトイレが設けられています。



途中、子供の像があり、「昭和51年建立」
と文字が彫られていました。

旧呑川は1960年代後半から埋め立てが
始まり、1976年 (昭和51年) に全区間が
埋め立てられました。

この子供の像は、全区間の埋め立てが終わった
ことを記念してつくられたのかもしれませんね。


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1990年代後半あたりから、住宅街を
流れる川に「親水コーナー」ができたりと
川と人の距離が近くなりましたが、

旧呑川が埋め立てられ始めた1960年代後半
高度成長期で、今と事情が違いました。
人口急増 → 川沿いまで住宅が建つ
 ( 川沿いの遊歩道を整備する余地なし )
下水道必要 → 既存の川に下水を流そう
 ( もちろんフタをして、臭いは防いだ )



上のような事情を考えると、昔の「川」は
住宅地の「裏」(家々の隙間) を流れるもので
水質も悪く、臭いイメージでした。

今からすると想像しにくいですが、こういう
時代を経たからこそ今があるんですね。






(3) 産業道路をくぐり、河口へ

旧呑川は大きな道路 (国道131号) をくぐり
ます。
この道路は産業道路と呼ばれており、これも
高度経済成長期と縁が深い道路です。


【⭐国道131号 (産業道路)】

京急線・大森町駅付近 (大田区) にて国道15号
から分かれる。

このまま直進すると多摩川を渡り、
京浜工業地帯の臨海部を進むため、物資を
運ぶ大型トラックが多く行きかう。


産業道路をくぐりもう少し進むと、河口近く
(旧河口近く) に出ます。
 
旧呑川は完全に埋め立てられていますが、
旧河口のあたりは船溜まりとなっていて
川が流れていた時の名残を感じることができます。







まとめ

今回は呑川の旧流路 (旧呑川) の跡、2.4kmを
歩きました。

● 川=住宅地の「裏」(家々の隙間) を流れる
● 川=臭い、澱んでいる、暗い
というイメージの時代だったため、
埋め立てられてしまうのも仕方ないんだな…
と、
帰宅して調べて思いました。



風景自体は見所があるわけではないですが、
地域の歴史を知ると愛着が湧いてきます。

また他のところに出かけた際、今回みたいな
記事を書こうと思います。






● 旅行記っぽい過去記事… 出身地に行った
(東京都 小金井市)

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● イベント参加記録… ビジネス交流会

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● インタビューした記事の記録
( 仕事のPRを兼ねます )




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