墓標なき残響|第10章・パート1
元アジトは、思っていたより広大だった。
人の気配はないのに、何かがまだ残っている気がした。
外観は古び、壁にはひびが走っている。けれど中に足を踏み入れると、逆に近未来的な白壁が無機質に広がっていた。家具も掲示もなく、まるで何も置かれていないシンプルな空間。
「……もぬけのから、ってやつ?」
プリユカが小声で呟く。
シズクは壁に手を当てた。冷たい感触だけが返ってくる。
(本当に誰もいないの……? でも、ただ空っぽじゃない。片付けられた“後”みたい)
仲間と一緒に廊下を進み、他の部屋を探していく。
やがて行き当たったのは、サーバールームだった。黒いラックが並び、ランプがかすかに点滅している。空気はひんやりとしているのに、どこか湿気を含んでいた。冷房の残り香と一緒に、焦げた基盤のにおいが鼻を突く。
ラックの奥からは低い唸りが絶え間なく響き、時々ファンが咳き込むみたいに回転を落とす。床にはうっすらと砂埃が積もり、赤や緑のランプの明滅が影を作っていた。それはただの機械の光のはずなのに、シズクには“監視の眼”みたいに感じられた。
生きているのか、壊れかけているのか判別できない。
だが机の上には紙片や工具が散乱しており、つい最近まで“誰かがいた痕跡”が残されていた。
そのとき、背中にざわりとした気配を感じた。
視線を入口へ向ける。
闇の奥で、人影が微かに動いた。
「誰っ……そこにいるんでしょう?」
思わず声が漏れる。
暗がりから現れたのは、フードを深くかぶった老人だった。肩は落ち、歩幅は小さい。だが、その面差しには見覚えがあった。シンクレアで、縋るように声を上げていた、あの老人だ。
「驚かすつもりはない」
掠れた声が、まっすぐに届く。
「人の声を、久しぶりに聞いた」
「あなた……シンクレアにいた」
問いかけると、老人は静かにうなずいた。
「あの時は、ただ縋るしかできなかった。ここに移ってからは、声の残り火を拾って生きている」
老人は端末を指さした。
「この部屋では、ときどき“もういないはずの声”が勝手に流れる。昨日は孫の笑い声だった。別の日は労働歌。仲間たちと歌った合唱が、そのまま残っていた。姿はどこにもないのに、音だけがここで生きている」
彼は少し目を伏せ、さらに低く続ける。
「生きているのか、記録が勝手に動いているのかは分からん。だがここには、まだ“何か”がいる。それだけは確かだ」
プリユカがシズクの肘をつついた。
「ねぇ、更衣室どこ?」
「は?」
思わず間の抜けた声が出る。
「だってさ、バニースーツに着替えるでしょ?」
胸を張って言い切る。
「ここで言う!?」
声を上げかけて、慌てて口を押さえた。
ヒナが控えめに笑う。張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。こういう瞬間がある限り、折れない。シズクは自分にそう言い聞かせる。
その時、ユイノがスクリーンを操作した。無機質な読み上げが流れる。
「被験体ナンバー七二。共鳴指数六一。定着率三八。選別対象から除外」
プリユカの表情が険しくなる。
「人を数で消すの、本当にやめて」
胸が締め付けられる。怒りは単純で、悲しみは深い。だが、ここで叫べば、また観測されるだけだ。声は使い方で意味が変わる。深呼吸を一つ。
老人が、ぽつりと呟いた。
「ここは声の墓場だ。だけど墓標は立たない。誰が消えたか、誰にもわからない」

