いないのが、普通だった。
祖母がいなくなってから、あの街が少し遠くなった。
今、わたしは母の家に間借りしている。
母の気配の中で、黒猫に見守られながら、
夫と三人で暮らしている。
昼間、一人の静かな時間の中で、
ふと、祖母のことを思い出す。
あの人は、家にじっとしている人ではなかったな。
いつもどこかへ出かけては、
誰かと共に過ごし、楽しそうで、
気がつけば新しいお友達が増えていた。
あんなふうに、自然に人とつながれる人を、わたしは他に知らない。
祖父が亡くなってからも、
その生き方は変わらなかった。
むしろ、夕飯の支度のため、
慌てて家に飛んで帰ることがなくなった分、
一層、気持ちは外へ外へと向かっていた気がする。
寂しさを埋めるように、というよりは、
もともとそういう人だったのだと思う。
だから最後まで、おばあちゃんはおばあちゃんのままだった。
カラオケに行き、
パチンコに行き、
誰かと共に過ごして笑っていた。
わたしに隠しているつもりでも、
本当は全部、わかっていた。
それでも、強く言えなかったのは、
その生き方を、どこかで羨ましいと思っていたからかもしれない。
今になって思う。
わたしはずっと、おばあちゃんに守られていた。
近くにいれば安心で、何かあれば頼れて、
そこにいるだけで、帰る場所になっていた。
その人がいなくなったとき、
街も、時間も、少しずつ変わっていった。
ただ、あの頃のわたしは、母のことを考える余裕もなかったかな。
思い出すおばあちゃんはいつも動いている。
笑っていて、しゃべっていて、
どこかへ向かっている。
止まっている姿が、思い浮かばない。
だからきっと今も、どこかで誰かと笑っているわ。
そしてわたしは、その背中を見ていた孫のまま、少しだけ立ち止まりながら、生きている。
50歳を過ぎても、まだ。
今のわたしを見たら、
「あんたらしいなぁ」って言われそうだけど。
