【短編小説】 踏み入れる
*こちらは、なみさん主催 #noteでBL企画の応募作です。BL・ブロマンス要素を含みます。
*ジャンル:恋愛
*あらすじ
地方の総合大学に通う幸人(ゆきと)は、大学2年の春、教職課程『道徳教育』の講義初日に印象的な男女に出会い、惹かれ始める。
※今作は、BL・ブロマンス要素を含みますが、女性も登場します。
※今回のnoteでBLは、いつもの3つのお題ではなく、『ふと、振り返るとそこには」を書き出しにした「過去回帰や回想無し」の3000〜5000字のブロマンス〜BL小説です。
✏︎こちらから本文が始まります✏︎✏︎✏︎
ふと、振り返るとそこには、知らない男の一対の目があった。第八校舎の入り口の、遅咲きの、八重桜の満開の枝の下だった。
彼は、日差しをまつげに引っかけて、虹彩を琥珀色にきらめかせていた。白目の青みがかったところと、瞳との境目の、薄茶色のにじみまでよく見えた。
「ついてる」
彼の指先に花びらが一つ。
僕の髪にくっついていた桜の花びらだった。
彼は唇をすぼめて指先の花びらを吹いて飛ばした。息が僕の左耳をかすめた。
「他にもたくさんついてる」
水底から見上げた太陽のような、その笑みは僕の肺を詰まらせた。
見とれているうちに、男は先に立って校舎の中に入っていった。
ジャージの背には蹴球部、とあった。
荒れる海のようなジャージの青。
南風が巻き上げてまき散らす桜の花びら。
広めの講義室はアノラック姿の集団で埋め尽くされていた。僕は手元で教職科目の履修申請を再度確認した。
教室番号は間違っていない。道徳教育の講義は今日が初日だ。
申請のタイミングのなせる技なのか、僕以外は体育専門学部の学生ばかりだった。僕は体育教師の卵の中に、一人放り込まれたらしかった。
自己紹介を兼ねたディスカッションを行う、との講師の指示で、机をがたがたと寄せ合って八人ほどのグループに分かれた。
目の前の席にかがりがいた。
かがりの声は、気絶する寸前のような小ささだった。かろうじて名前の部分が聞き取れた。彼女は身体も小さかった。
この講義は大学二年生が対象のはずだけれど、かがりは十四歳と言っても通用しそうな姿形をしていた。
パールホワイトのジャージに包まれた細い肩を見て、この女の子は何の競技をするんだろうかと不思議に思った。
「かがりの通訳はどこへ行った?」
グループの男子学生の一人が講義室を見渡した。小馬鹿にするような口調だった。
「隼?」
蹴球部と書かれたジャージを着た大柄な男子生徒が教卓に近いグループを指さした。僕は指し示された方向を目で追う。
かっと耳が熱くなった。
彼だった。ついさっき僕の髪から桜の花びらを取り去っていった男だ。耳に吹き込まれた息が、奥底で再び渦を巻く。
はやて、とその名を口内で反すうする。
「あいつストイック風になっちゃったな」
男子学生に話しかけられて、かがりが小さな肩をさらに縮こませた。
「でも隼だって二軍だろ。今年も」
僕の視線の先、隼は光を集めていた。講義室の天窓からの光も、ダウンライトの光も、全てが彼の髪と肩に舞い降りていた。隼は何か発言していた。隼の唇が開くと、彼の、少しくせのある髪と深いブルーのジャージの肩で、光の粒がぷつと弾けた。
「何軍まであるんですか?」
蹴球部、はおそらくサッカー部のことだろうと推察できた。興味も、関心のかけらもなかった物事が、急に気がかりになった。
僕が唐突に話しかけたので、同じグループの蹴球部ジャージの彼は戸惑った顔になった。僕は人との距離の取り方が下手らしい。日本に帰ってきてから、ずっとそれを感じている。
「六軍」
驚いた。サッカーは何人でするんだっけ、と急いでカウントした。
僕は目の前の彼に、あなたは何軍なのかと質問しようか迷って、尋ねずにおいた。
僕は黙って配られた資料に目を落とした。
世界の軍事費についての資料だ。アメリカがもちろんトップを走っている。ディスカッションのテーマは改憲について、だった。
事実か意見か、という問答がある。手癖でつい、プリントの端に書き込んでしまった。
fact or opinion アメリカの小学一年生が学ぶものだ。
fact 犬は動物である opinion 犬はかわいい。
僕は、日本の子どもは誰もこの問答をやったことがない、と知って以来、話し合いや意見交換には慎重になっている。
日本では、感覚が合わないと誰とも友だちになれない。僕はいつも一人だ。
僕たちのグループは、ディスカッションそっちのけで、今年度部活に入ってきた新入生の話題で盛り上がり始めていた。
僕とかがり以外の六人は全員サッカー部らしい。選手層が分厚いのだと分かる。
「矛盾っていうのは、直す必要があるの?」
放送事故かと思うようなか細い声で尋ねてきたのは、かがりだった。
かがりは僕の走り書きを見ていた。fact or opinion。伏せたまぶたの二重の幅に見惚れる。
「矛盾はそのままにしておいてはいけないって、ユキは思う?」
僕はぽかんとしてかがりの顔を見返した。
僕はかがりが話し合いを進めることを予期していなかった。かがりが僕に、名前で呼びかけてくることも、期待していなかった。
「矛盾を認識したまま、そのままにしておくということ?」
僕の問いにかがりはうなずいた。
かがりは長いさらさらした髪をおでこの真ん中で分けていた。髪が揺れて、問いかけるような大きな目が揺れた。
この子は、見た目ほどお人形さんのような子ではないのかもしれない、と僕は思った。
「ずっと忘れないで考え続けるの。いつも上手くおさまりはしないの。その方が平和になれると思わない?」
消え入りそうな声を聞き取るために、僕は彼女の方に身を乗り出す。
かがりが言いたいのは、自衛隊と憲法第九条の関係性のことなんだろう。
「僕は、そういうふうに考えたことがなかった。矛盾を見続けるっていうのは、それは勇気がいることだね」
かがりは息を吸い込んだ。白い肌が、おでこまでうっすらと桃色に染まった。希少な花が咲く瞬間を早回しで見ているかのようだ。
かがりの口元にうっすらと笑みが浮かんだ。
僕が再び口を開きかけたとき、焼け付くような視線を感じた。振り返ると、そこにあったのは隼の目だった。
桜の下で出会ったときとは違う。僕の心臓を突き抜けてしまいそうな力量で、隼はこちらを見ていた。
実際に僕の心は破れたのだと思う。
何か取り返しのつかないことが起こったのだと感じた。
時の流れが不均一になる。
飛行機が離着陸するときのように、内耳の圧がおかしい。かがりの目と隼の目が交互に身体を通り抜ける。
指先から力が抜けた。
ボールペンを落とした。拾い上げては指が震え、また落としてしまった。
何度も床にかがみ込んでペンを探すので、講義が終わる頃には頬がほてっていた。
講義室の机を元の位置に戻しながら、僕は何か言わなくてはと思った。憲法の前文と倫理観と正義感と、いろいろな用語が頭の中でせめぎあっている。
このままでは、何か重要なものを取りこぼしたままになってしまう。
僕は隼とかがりの姿を探した。
彼らは講義室前の廊下に立って、キスを交わしていた。
隼は身をかがめてかがりの頬に手を添え、かがりは伸び上がって自身を差しだしていた。
小鳥がついばむような愛らしい交歓は、完成された一枚の絵のようだった。二人の背後にはピロティへ繋がる大きなガラス戸があって、外では桜の花びらが舞い散っていた。
僕は明かりの消えた講義室の中にいて、ふたりは光の中にいた。
僕は一歩踏み出す。
かがりの肩が緊張したのが感じ取れた。
かがりは僕に背を向けた。僕はかがりの肩越しに、パールホワイトのジャージを着た一団を認めた。
隼がかがりの肩甲骨に手を添えた。
「息を吐いて」
隼の声は、僕の喉ぼとけにも、しみ込むようだった。
「かがり。ゆっくり吐いて、そうしたら吸って、お腹に空気を入れてごらん」
かがりは上体を前に倒した。黒い髪が肩から流れて落ちる。かがりは、開いた本をたたむように真ん中からきれいに身を折った。
「おはようございます」
凜とした言葉が一礼とともに発された。
「かがりちゃん。おはよう」
パールホワイトのジャージの一団は、軽やかに手を振って通り過ぎていった。
「すごい」
僕はその光景にのまれていたので、正直に口にした。
隼とかがりは同時にこちらを振り返った。隼の髪を光の束が通り抜けた。
「素晴らしいあいさつだった」
僕が、素敵とか素晴らしい、と表現すると相手は戸惑うらしい。僕はいつも発言してしまってから、それを思い出す。
隼の視線は僕の心臓の穴を押し広げた。一方で、かがりは戸惑う様子は見せなかった。
「隼がね。考えてくれたの。あいさつを身体に覚え込ませればいいんじゃないかって」
小さくはあるけれどはっきりした声で、かがりは説明した。かがりの手はもの言うようにひらりと動いた。
「それでね。いったん吸った息をこう、言葉と一緒に押し出すの」
僕は、声を出す仕組みについて、そんなにも真剣に考えたことがなかった。
「おはようございますが言えないと、仲間に入れないの」
特殊な工作員が機密事項を伝達するかのような口調で、かがりは僕の耳に打ち明けた。
日本のスポーツ業界で、日本だけではないかもしれないけれど、あいさつが出来ないというのは異端なのだろう。
「言葉が形になって現れたような、素敵なあいさつだったよ」
僕は素直に伝え、かがりは目を細めた。
かがりは微笑んだまま隼を仰ぎ見た。かがりの笑顔は、きゅっとすぼんでいた芍薬がほろりと身を緩めるような、あでやかさがあった。
かがりの目に隼の影が被さってきた。
隼がかがりを抱き上げた。フィギアスケートのペアを思わせる優美な所作だった。
身長差のせいか、幼子を抱くようにも見えてしまう。
隼は僕と同じくらい、身長六フィートを超えているだろう。かがりは五フィート前後と思われた。アメリカの公園でポニーに乗って許されるサイズの体つき。
もっとも僕は背ばかりが高くてひょろりとしているので、女の子を軽々と抱き上げることは出来ないと思う。
「ついてるわ」
かがりが僕のつむじのあたりから花びらを取り去った。
「かがり、そこにも、耳の後ろにもついてる」
隼の声に、僕は目を閉じて、頭を差しだした。かがりの指先が僕の頭皮をなでる。
僕は人との距離の取り方が下手らしい。今までは遠ざかることで、なんとか距離を保ってきたのだけど。
「こんなにたくさん」
二対の目に見つめられている。
僕はうなずく。
美しい男女の発する言葉は魔術的だ。
隼がかがりを床へ下ろした。足首がしなやかに床をとらえる。かがりは身をひるがえし、ピロティへ繋がるガラス戸を開けた。
桜の下で彼女は両腕を広げ、片脚を上げた。脚があんなにも空に向かって上がっていくのを初めて見た。膝が中空に差し出され、膝下がそのあとを追って伸びていく。
かがりは自分の脚と抱擁した。
「講義でしばらく座っていた後は」
隼はかがりを見つめたまま僕に話しかけた。
「十分間くらい動かないといられないんだ。踊ったり、縄跳びしたり」
それは隼自身のことではなく、かがりのことだと分かった。
かがりは全身で花びらを受け止めていた。自身が花の一部になってしまったかのように、くるくるとピロティを横切っては戻ってくる。
ワルツのリズムだ、と僕は気付く。一拍目にわずかにためがある。
「ユキは桜の根元を見ていた」
講義の前に校舎の入り口で隼に出会ったときのことだろう。
「なぜ?」
隼の目は僕を貫くかのようだった。
「僕は苔に興味があるんだ。あの、樹皮の表面の、白いところ」
「苔?」
隼は破顔した。
とたんに人なつっこい印象になる。
「苔のどういうところに興味が?」
それは冷やかすような口調ではなくて、純粋に好奇心のようだった。
「寄生して生きているものに関心があって、研究したいと思ってるんだ。苔とかカビとか、粘菌とか」
馬鹿正直に答える必要はなかったのかもしれない。隼の目は僕をぐらぐらと揺らして判断力を奪った。
「桜の根元を凝視してるから、ユキの髪にどんどん桜の花びらが落ちてきてた」
隼は僕の髪に指を差し入れた。
ひゅっと僕の喉は締まる。
「ユキ。息を止めたらだめだ。ゆっくり吸って」
言葉に従うことの心地よさを、僕は味わう。
隼に触れられたところから熱が広がる。耳たぶをなぞった指が唇をかすめる。
隼の指は僕の脳から、僕自身にも解読できない暗号を読み取っていた。
かがりが戻ってきて隼に抱きついた。
隼は僕の髪を撫でながら、もう片方の手で、かがりの長い髪をひとふさすくいあげ、そこに口づけた。
「それで、ユキは俺たちと来る?」
完璧な誘い文句だった。
《 完 》
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本文は約4,900文字となりました。
今回は、本記事とは別に、あとがきを書きました。
なみさん、noteでBL参加者の皆さん、拙作を読んでくださった皆さん、ありがとうございます✨
