【短編小説】僕の超新星
※この短編小説は、3つのお題を使った5,000文字BL小説企画の応募作です。
たこ焼き屋『超新星』の小窓が開き、カウンターから身を乗り出すようにして、一樹くんは僕に呼びかけた。
一樹くんとは小学校の登校班が一緒だった。僕が一年生で一樹くんが六年生の時。
「俊!」
僕が中学三年生になった今でも、一樹くんが僕の名前を覚えていたことに、びっくりした。
「俊。頼む。手伝って」
一樹くんは赤ちゃんを胸に抱えていた。
一樹くんの耳はルーズリーフみたいになっていた。輪っか状のピアスが刺さって耳に巻き付いている。両耳で合計十一のピアス。なぜそれが分かったかというと、僕が一樹くんの背後に立っているから。
なぜ立っているかというと、座ると赤ちゃんが泣き出してしまうからなのだ。赤ちゃんには抱っこセンサーが付いていて、抱っこしている人がさぼると泣き出す。
「け・・・・・・」
しゃべろうとすると緊張して手汗をかく。滑る。赤ちゃんは抱っこひもに入っているから、落とす心配はないんだけど。
「け?」
一樹くんはたこ焼きをひっくり返すスティックを手にしていた。
僕は、結婚したの? と一樹くんに尋ねようとした。お店を持って結婚して赤ちゃんが生まれた、というのが僕の想像した一樹くんの現況だった。
「俊。お前、相変わらず目でしゃべろうとするよなー。目え、でっか! ありがとござっしたー!!」
一樹くんの後半のセリフは、お客さんに向けて発されたものだ。
三畳に満たないくらいの、小さなたこ焼き屋さん。カウンター越しに商品を手渡す。
金髪の上に巻き付けられた黒手ぬぐいと、隠すもののない耳、ピアスは右耳に五つ、左耳に六つ。うなじにうっすらと汗。黒いTシャツの背に『超新星』のロゴ。えんじのエプロンの白い紐、その結び目。
後ろ姿を見ながら、僕はそっと赤ちゃんのお尻のあたりに手を添える。
たこ焼き屋の中は、油と粉の混ざった独特の甘ったるい匂いが充満していた。赤ちゃんの頭皮の匂いもどことなく甘かった。
三月なのに店の中は鉄板からの熱気で暑いくらいだ。
突然、もたれかかっていた壁が無くなって、僕は尻もちをつきそうになった。赤ちゃんのことを考えて足を踏ん張った。
壁だと思っていた部分は引き戸になっていて、中に畳敷きの小上がりがあった。従業員の休憩室兼更衣室、といった感じの場所。
引き戸を開けたのはランニング帰りみたいな格好の女の人だった。きれいな人だけどお化粧が濃い。
小上がりの向こうに従業員用の出入り口があるらしく、ひんやりした空気が漂ってきた。
「あら、ありがとー」
女の人が僕の身体に手を回して抱っこひものストラップを外し、赤ちゃんを抱きとめた。
「おせえよ!」
一樹くんは女の人に言い放った。
いちいち威勢がいい。
「・・・・・・お」
僕は何回か唾をのんだ。
「奥さんですか?」
一樹くんの奥さんですか? と尋ねたかったのだけど、カでつっかえそうな予感がしたから言えなかった。
でも通じたらしい。
「あらやだ。一樹の母ですー」
そこから、若すぎるお母さんと一樹くんとのスピード感溢れる会話から、僕が理解したのは、赤ちゃんは一樹くんの年の離れた妹、ということだった。
お母さんは産後の体型維持のため、今日は赤ちゃんを一樹くんに預けてヨガ教室に行ってたそうだ。
寝かしといてくれたらよかったのに、という母に対し、寝かしたら泣くだろうが、と応酬する一樹くん。
「まあいいや。ここでこの子におっぱいあげてから帰るわー」
お母さんは思いのままにしゃべった後で引き戸を閉めた。
僕は圧倒されていた。小学生だった頃みたいに、一樹くんがうらやましいと思った。
言葉がぽんぽん出ることがうらやましい。赤ちゃんがいて仕事があって奥さんがいて(実際はお母さんだけど)そういうふうに生きてる一樹くんがうらやましい。
「俊。お前、食ってく? 今の時間からだと給食終わっちゃうだろ?」
学校に行かなくていい一樹くんが、うらやましい。
「どうした? お前って、目だけで語ろうとするよなー。相変わらず、目え、でかいよなー」
なぜ中学生が、昼近くに制服を着て商店街を歩いているのか、尋ねない一樹くんは優しいんだと思う。
「そ・・・・・・つぎょうしき、の練習、が」
最初の言葉が出てしまえば、それほどつっかえないのに。
一樹くんはたこ焼きをひっくり返すスティックを両手に持ったまま首を傾げた。
僕の言葉を待った。
油と粉の混じった匂いと唐突な空腹感が僕の背を押した。
「そ・・・・・・つぎょう証書を受け取った後に、言うやつが・・・・・・」
名前を呼ばれて返事をするだけならまだいいのだ。
もし「はい」が出てこなくても、出て行って証書を受け取ってしまえばいい。
問題はその後。自席に戻る途中に保護者席に向かって「将来の夢」を言わなければならないこと。
「あー。あれな。いまだにやってるのか」
一樹くんは僕に背を向けた。ぽこぽこした鉄板にたこ焼きのタネを流し入れた。
「俺もあれ、嫌だったな」
一樹くんは同中の五期上の先輩に当たる。一樹くんの卒業後の将来の夢ってなんだったんだろう。一樹くんが高校に行ったのかどうかも知らない。
ちょうどお客さんがやって来て、一樹くんは焼き作業に追われた。
僕は一樹くんの後ろ姿を見ていた。
小学生の時も一樹くんの後ろ姿を見ていた。
一年生の僕が登校班から脱落しないように、一樹くんのすぐ後ろが僕のポジションだった。小学校の正門が近付くにつれて足が止まりそうになる僕の手を、一樹くんが引いてくれた。
ただそれだけの思い出。
「天下統一とかだったんじゃね?」
一樹くんが振り返った。
たこ焼きが八個のっかった容器を差し出しながら、青のりとかつおぶしとマヨネーズはかけていいかと僕に尋ねた。
「それか風林火山? 麻薬撲滅? 仏恥義理?」
四文字熟語の羅列に混乱する。仏恥義理(ぶっちぎり)って?
引き戸が再び開いた。
「あんたの卒業式での将来の夢でしょ。あの、皆の前で言うやつでしょ。一攫千金、よ。あたし覚えてるもん。親孝行で思わず泣けたわー」
一樹くんのお母さんは、今度は表の出入り口から颯爽と出て行った。抱っこひもを装着した後ろ姿はきりっとしていた。
お母さんの髪は一樹くんに負けないくらいのプラチナブロンドで、商店街に光を投げかけていた。
「俊。そこで食ってけよ」
一樹くんは引き戸の後ろの小上がりを、あごでしゃくって示した。
「あー。悪い。あのババア、また忘れて行きやがって」
僕はスニーカーを脱いで小上がりに入って、一樹くんのお母さんの忘れものを拾い上げた。
拾い上げてから固まってしまった。
それは男は決して使わないものだし、なぜかと言えば男は身体のつくり的にそれが必要ないから。
その、僕の拾い上げてしまった伸縮性のある布には、お椀型のパッドがふたつ並んでいた。
「あいつがさ」
一樹くんはお母さんのことを、ババアとかあいつとか呼ぶ。
「あいつが、ヨガの後、スポブラ脱いで授乳ブラに取り替えるんだけど、脱いだ方、いっつも置きっぱなし」
僕が手にしているのは、つまりはスポブラというそうだ。
授乳ブラっていうのも生々しいネーミングで、ちょっとドキッとした。
「こういうの見ると、女に対する夢が無くなるよな」
僕は一樹くんからたこ焼きを受け取り、代わりにスポブラを手渡した。
頬が熱い。たこ焼きの熱気のせいだと思いたい。
一樹くんは僕から受け取ったスポブラを、どうしようかと思案したあげく、えんじ色のエプロンのポケットに突っ込んだ。
「いいな」
口から、うらやましい、がこぼれた。
こんな時に限って、僕の言葉はつっかえないし、お客さんも途切れていて鉄板も静かにしてる。
一樹くんは戸惑いがちにこちらを見た。
「お前、これ欲しいの? ババアのスポブラだぜ?」
そうじゃない。
一樹くんのポケットに入りたい。
一樹くんが小学校の前で僕の手を引いてくれたみたいに、一樹くんのポケットに入っていたら、きっと安心できる。
置き去りにされたスポブラでも拾い上げてくれる一樹くんだもの。
一樹くんの側にいられるなら僕はスポブラになったっていいんだ。
「・・・・・・なりたい」
「何に?」
スポブラ、とも言い出せず僕は慌てた。慌てるほどに言葉が出てこない。
分かっているのに。
「将来の夢だろ?」
一樹くんは、卒業式の話の続きだと勝手に勘違いしてくれた。
「・・・・・・えっと」
どうしよう。
サ行は比較的発音しやすいんだ。
一樹くん、のカは、今日はだめっぽい。どうしよう。何て言う?
顔を真っ赤にさせてもじもじしている僕に一樹くんは微笑んだ。
僕は吹っ飛びそうになった。
そうだった。
一樹くんはこんなふうに笑う人だった。
「俊。いいよ。着けてみたら?」
一樹くんはスポブラを僕の右手に握らせ、小上がりの引き戸を閉めた。
僕は片手にスポブラ。片手にたこ焼きを持ったまま、状況理解に努めた。
なりたいっていうのは。
「女の子になってみたいんじゃねえの?」
引き戸越しに一樹くんの声。
なりたいのはスポブラであって、女の子じゃない、と僕は言い出せない。
「着けれた? スポブラだから、上からすっぽり被るんだぜ。手伝う?」
脇の下を変な汗が伝う。
手伝われたりしたら、気絶しそう。
僕はたこ焼きを小上がりの端っこに置き、制服のブレザーを脱いだ。
説明出来ないなら、もう着けるしかない。スポブラを。
シャツのボタンを外す指が滑る。話そうとするといつも手汗をかく。
僕のコミュニケーションはいつも不完全だ。
だから、スポブラを着けるはめになる。シャツとTシャツを脱いで、スポブラを首に通す。
一樹くんは女の子が服を脱いだり着たりするのを手伝ったことが、あるんだろうか。
スポブラは思ったより小さくて首と腕を通すのにコツがいった。身体を筒にもぐりこませるようにして何とか着けられた。
ラベンダー色のスポブラは清楚でかわいらしく見えた。
僕がかわいらしく見えても何の意味もないけど。
気配に振り返る。
一樹くんが引き戸を薄く開け、身体を滑り込ませてきた。狭い小上がりに、僕と一樹くんのふたりきり。
「・・・・・・・お・・・・・・みせ、は?」
「出前にいってます、っていう札、出しといた」
出前って、そんなものあるんだ。
一樹くんは小上がりに座り込んだ。
僕を見上げるような格好。
スポブラの胸の部分が余っててぶかぶかで、そのすき間から僕は一樹くんを見下ろす。
一樹くんは部屋の隅のたこ焼きを手に取った。
「ん」
一樹くんも言葉少なになってる。
僕はしゃがみ込んで口を開ける。少し冷めたたこ焼きが舌に乗っかる。
表面はカリッとしてソースの香ばしい味がする。噛むと中はまだ温かくてトロッとしている。中心部にあるコリコリしたものがタコだと思う。
小上がりの中は狭いくせに、白熱灯に照らされて逃げ場がないくらい明るい。
一樹くんはまばたきをしていない。僕が食べる姿を見ている。
僕の上半身に鳥肌が立つ。
スポブラだけを身に着けているから、肩とお腹がむき出しだ。
「女の子になりたいって、卒業式で言いにくいよな」
一樹くんはまだ勘違いを続けている。
細められた目が優しい。
僕は吹き飛ばされっぱなしだ。一樹くんはこんなふうに微笑む人だったんだ。
僕は咀嚼を続ける。口をふさいでおけば、言葉が出ないのはそれほど不自然じゃない。
一樹くんの吐息が裸の肩をかすめる。
「寒くねえの?」
大丈夫と言う代わりにうなずき、それから首を振る。
「どっちだよ」
一樹くんが微笑むたびに胸でぱちぱち火花が散る。
スポブラの胸部分が余っていて、そこに入るものを持っていたらよかったのに、と思う。女の子だったら、一樹くんの側にいられるのかな。
「せ・・・・・・政治家に」
僕は、サ行はわりと得意なんだ。
一樹くんは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「お前、将来の夢、政治家って言う気?」
女と男じゃなくても、好きな人の側にいられる社会がいい。
とろんとしたたこ焼きの中心部を味わいながら、僕はそう思った。
どうしたらいいか分からないけど、社会を変えるなら政治家っていうのも間違ってはない気がする。
「じゃあ俺が俊の応援演説してやるからな」
胸のすくような笑みに僕の中心部がパチンと弾けた。四文字熟語だらけの応援演説が脳内に流れる。
僕の舌先から、たこ焼き風味の言葉が溢れ出す。
不完全なコミュニケーションのために。
《 完 》
※参考文献「どもる体」(シリーズケアをひらく)伊藤亜紗著
なみ様のBL企画に参加させていただきました!
3つのお題はこちらでした!
・卒入学式
・ヤンキー
・スポブラ
スポブラをなるべく自然に(?)登場させて5,000字以内に収める……というのが、超絶難しく楽しかったです!!
たこ焼き屋さんの名前が『超新星』というのが気に入っていて、別作品でも使ったことがあります。バクハツしちゃいそうなたこ焼き屋さんです。
なみさん、メンバーの皆さま、いつも素敵な企画と作品をありがとうございます!
