【短編小説】うそを履く
※この短編はお題を使ったブロマンス小説企画の応募作です
久しぶりに会った親友は、肌色のうさぎになっていた。
俺は、それの名称が、すぐには思い出せなかった。親友が頭から被っていたそれ。
親友は男だし、ふつう男はそれを履かないし、それは履くものであって、頭から被るものじゃない。
「パンティストッキング」
それで覆われた親友の口のあたりが窮屈そうに動いて、それの名称が発された。思いの外、発語は明瞭だった。
パンティストッキングを被ったまま話していても、親友の声は高すぎず低すぎず、聞き取りやすかった。
「見えてんの?」
俺は気になっていたことを尋ねた。
親友はつるりとした肌と黒目がちな目をしていたはずだった。
高校時代に女子からうらやましがられていた陶器のような頬と長いまつげは、肌色の繊維に覆われていた。
まつげは薄い布によって下方に引き延ばされていた。
「見えてるよ。君の顔も見える。日焼けしたよね」
大学生になってこれといった運動をしているわけでもないが、昨今の夏の日差しの下では道を歩いているだけで日焼けする。
親友は肌の露出が少ない格好をしていた。頭からストッキングを被り、長袖のTシャツにスウェットパンツと言う服装だった。見ているこっちの汗が吹き出しそうだ。
わずかに露出している首筋と手首は、痛々しいまでに白かった。
俺は待ち合わせていたコンビニの店内に親友を引っ張って行った。
手を取ろうとしたら彼がびくりと身を引いたので、長袖の裾を引っ張った。
親友が動くと一拍遅れてストッキングの脚の部分がついてくる。親友の頭頂部から突き出した二本の脚は、ひらりとゆれて宙に舞い上がり降りてくる。
ゆれてうごくと長い耳のように見えるのだ。
バッグス・バニーみたいな長い耳。
コンビニの店員はちらりとこちらを見たが、唇を引き締めてレジ業務に戻った。
「防ぐことが出来るんだ」
親友は心地よい声音で俺の耳にささやいた。
「他人の視線を防ぐことが出来るんだよ。それでいて、僕からはちゃんと外が見えるしね」
親友が言いたいのは、彼がストッキングを頭から被っている理由とその効能について、なのだろう。
冷房が効いた店内で急速に背中の汗が冷えていく。俺は身震いした。
コンビニで親友は肌色のパンティストッキングMーLサイズを一足買い求め、俺はカップ入りのアイスを買った。
レモンソルベ味とバニラ味。
コンビニを出て親友の実家にたどり着き、かって知ったる彼の部屋で、真新しいストッキングと向き合う。
西日に温められた部屋は動き始めたエアコンの風では歯が立たず、サウナの中のような蒸し暑さだ。
膝の裏にかく汗が不快だ。正座なんかしているからだ。
床に正座して、ふたりしてパンストを挟んで向き合っている。
風変わりなお見合いみたいだ。
「履いて欲しい」
親友は俺にストッキング着用を求めた。被ってくれとは言われなかった。暑くて喉が渇くが、言い出せる雰囲気じゃない。
「君にしか頼めないんだよ」
親友はこんなときにもパンストを被ったままで、こんなときにも良い声をしている。
汗ばんだボトムスを脱いでボクサーショーツ一枚になる。パンストというのはさすがにパンツの上から履くのだろうとは思う。
親友の視線が俺の脚にささる。
こちらからは親友の目が見えないけれど、親友からは見えているのだ。
ストッキングの薄い布越しに、彼が俺を見ている。
俺は新品のストッキングのラッピングをはがした。ビニールを開けて中身を取り出した。片脚部分に厚紙が入っていて、それを慎重に取り除かなければならなかった。
包装を解かれたストッキングは手の中でくったりとしていた。
「それで僕の首を絞めてくれてもいいんだ」
くったりとした新品の肌色は、光沢のある紐のようにも見えた。俺はそれを両手で捧げ持った。
親友はストッキングを被ったままでゆるりと首を振って、うなじを俺の前にさらした。
うさぎの耳のように、パンストの脚が親友の頭上でゆれた。
ゆれて垂れ下がった。
彼の首を見やる。
こんなに細い首だったかなと思う。
よく見ると首筋に、何かでこすったような痕があった。痕は薄茶色に変色していた。
俺は親友の首を絞めたくなんかない。だから手の中の肌色に右足を突っ込んだ。
突っ込んでみてから、パンストは靴下のようには履けないのだと分かった。汗をかいているせいもあると思う。くっついたりひっかかったりで中々履けない。
仕方ないのでパンストの履き方を動画で調べてから再度挑戦した。
今度は脇の下に変な汗をかいた。
親友は俺をベッドに腰掛けさせ、自分は床に座ったまま俺の膝に手を触れた。
パンティストッキングに包まれた二十一歳の男の脚は、どうみても異様だった。少なくともきれいではない。
すね毛が、所々、うずをまいて肌色に模様をつけている。
骨張った膝やかかとが光沢のある生地に包まれて、やはり骨張っている。
股はおさまりが悪く、ウエスト部分はきつい。
ごくごく薄い膜が下半身を覆っている。
奇妙な圧迫感。
風通しのよさと蒸れを同時に感じる不思議さ。快と不快のはざま。
履いているのに何にも守られている気がしない。
親友の手は俺の膝に触れ、すねの方に降りていった。触れるか触れないかの優しい手つき。
高くも低くもない彼の声のよう。
人間には聞き取れない周波数で、俺の脚と親友の手のひらが会話をしているかのようだ。
「どんな感じ?」
沈黙に耐えかねて俺は尋ねた。
「ざらざらしてる」
親友は、ストッキング越しの脚の触り心地を解説してくれた。
「ざらざらしているのにつるつるしてる。弾力のあるものが真空パックみたいに閉じ込められてる感じもする」
それは良い感じなんだろうか、悪い感じなんだろうか。そう考えているうちに親友の手が太ももに触れた。
「あったかい」
親友は俺の太ももを触りながら顔を上げた。
ストッキングを被ったままなので表情が読み取れない。
目の部分はまつげが下を向いてはりついたままになっている。
髪の毛はごちゃりとしたかたまりのままヘルメット状に薄布にくるまれている。その上から脚が二本伸びている。
その肌色のうさぎ耳のような部分がゆれ動いて、その耳の方が表情豊かにさえ見える。
俺は、親友がどんな顔かたちをしていたか、確かめたくなった。
「どんな感じ?」
親友に尋ね返されてあわてる。
太ももをストッキング越しに撫でられている。下腹部がぐにゃりとうごめく。撫でられているのに、かきまわされている。そんな感じ。
ふいにストッキングで押しつぶされた彼の唇が存在感を増す。
唇は薄布に赤く透け、彼がしゃべるとその部分の布が湿り、すぐに乾く。
湿る、乾く。
呼吸と共に繰り返される。湿る、乾く。
湿り気は俺自身の渇きを思い起こさせる。
「俺、おまえの顔が見たい」
俺は親友の目のあたりを見つめた。片方の目からひとすじ水気が布にしみていった。
親友はまずスウェットパンツを脱いだ。頭に被っていたパンティストッキングを脱ぐと、今度はそれを履いた。ストッキングの履き方には、慣れているようだった。
ベッドの上に並んで寝そべった。俺と親友は、ストッキングを履いた脚を触れ合わせた。前もも同士が触れ合い、ざらりとした生地と生地とがこすれ合う。
脚を絡ませる。
俺は親友の顔を見た。
親友の目は長いまつげにふちどられ、髪はストッキングを被っていたせいでぺっしゃりしていた。元々はさらさらした髪だったなと思い出す。
毛って言うのは生えている部位によって情緒が違うよな、と思う。
髪を直してあげようと親友の頭に手を伸ばす。
「覆われていないところは」
彼は急いで俺を制した。
「覆われていないところは、触ってはだめなんだ」
こんなときにも親友の声は心地よかった。わずかに震えて、心地よい。
そうだった。だから親友になったんだ。
高くもなく低くもない、良い声で話しかけてくれて。近くも遠くもない距離でそっと側にいてくれて。
だから。
「見るのはいいのか?」
他人の視線を防ぐことが出来る、と彼が言ったことを、俺は覚えていた。だからパンティストッキングを被っているのだと。
何にも覆われていない部分を見るのは、いいのだろうか?
「君になら、見られてもいいよ」
親友は、つるりとした陶器のような頬をしていた。わずかにピンク色に上気した頬。
「君は他人じゃない」
ストッキングの生地同士は親密になりたがっているようだった。こすれ合い、密着し、接着する。
はなれようとすると静電気が起こる。
帯電する。
俺と親友の間に微弱な火花が発生する。目には見えない電子と電子を脚の間で交換する。
俺は親友の顔を見ていた。
ベッドの上で向かい合って、俺たちの間に、パンティストッキングがもたらす化学反応が起こっている間、親友の目を見ていた。何にも覆われていない目と、唇を。
親友の目の中に俺の目が映っている。
お互いしか、見えない。
「どうしても触れちゃいけないのか?」
俺が問うが早いか、親友は起き上がってストッキングを脱いだ。
親友はストッキングの着脱に慣れているようだった。くるくるとストッキングを脱いで、その肌色を素早く頭に装着した。
親友は再びパンティストッキングを頭に被ってうさぎに戻った。
彼も慌てていたのだろうか、前後を間違えたようだ。親友の上唇のあたりにタグがあった。
こちらがうしろ、と示すためのタグ。
俺は半身を起こした。手を伸ばし、ストッキングの薄い布地越しに、親友の頬に触れた。
人さし指で頬をなぞり、タグのついた唇をなぞった。俺の人さし指は親友の呼吸を感じる。
吐く息で布がわずかに湿り、人さし指が潤う。吸う息で布が乾く。
ざらざらしたパンティストッキングの感触。
一ミリにも満たないわずかな布地越しの唇は、俺の指先に、ある。
「見えてる?」
親友には俺が見えているのだろうか。俺は今、どんな目をしているのだろうか。
「見えているよ」
見えている。
でも、直接触れることは出来ないんだ。
⭐︎⭐︎⭐︎
「私はあなたに、入社式に出られなかった理由を聞いているんですよ」
俺の直属の上司だという女性が、俺を正面から見据えていた。
上司は机の上で手を組んでいる。上司の手の甲から五十センチほど離れたところに、卓上カレンダーがある。
今日は、四月一日。月曜日。入社式に遅刻してきた学生気分の抜けきらない新入社員を、パワハラにならない程度に叱る上司の役を、やりたいかといったらやりたくないな、と俺は思う。
「ですから、いま申し上げたとおりです」
俺は膝の上でこぶしを握る。
「あなたね、その、パンティストッキングの話と入社式がどう繋がるか、説明してもらえますか?」
上司は天井を振り仰ぐ。
上司の鼻穴の中が見えてしまった。
「申し訳ないって思ってます。就職活動の時は意識したこともなかったんです。でも今日、ストッキングを履いた新入社員の集団を見たら、こう、動けなくなってしまって」
上司はデスクチェアに座り直した。居心地が悪そうな様子だった。
俺はセクハラと言われない程度にデスクの下に視線を滑らせた。
彼女はパンツスーツだったが、足首部分は肌色のストッキングで覆われていた。
「あなたが、社会人として信頼を得られるような振る舞いを期待しています。明日から」
上司は立ち上がった。
俺を採用した人事担当者に文句の一つも言いたい、という顔をしていた。
「ね。今の話、ほんとう?」
上司は口調を変えた。
二十代後半、と俺は彼女の年齢を読んだ。
上司らしく振る舞う、というのも疲れることなのだろう。
「ほんとうです」
嘘は、いちばん信頼を失う行為だと思っている。
「あなたの、そのパンティストッキングの話が、嘘だったらいいなと思うわ」
俺は返事をしなかった。
時間が経つほどにあの夏の日の出来事が、ほんとうだったのか自信がなくなってくる。
ストッキングを目にするだけで、こんなにも心揺さぶられるというのに。
「そのお友達とは今は会っていないの?」
先に立って歩き始めた上司が振り向く。
廊下につながる扉を開ける。
上司はなぜ、俺が親友と交流を絶ったと思ったのだろうか。
「親友とは、会っていません」
俺は上司のために扉を押さえた。
上司は微笑んだ。俺は彼女に好感を持った。
「もう会っていないの? それはほんとう?」
俺は答えなかった。
ほんとうのところ、俺たちが友達だったのか、今となっては分からない。
エイプリルフールの夕暮れ時。
会社帰りのコンビニで上司がパンティストッキングの棚の前にいるのを見てしまった。
俺は、上司が店を出て行くのを見届けてから、MーLサイズの肌色のストッキングとカップアイスを買い求めた。
アイスはレモンソルベ味とバニラ味を選んだ。
《 完 》
なみ様の企画に参加させていただきました!
なんと応募期限から一週間も過ぎてしまってからの公開となってしまいました。なみ様、ご参加のメンバーの皆様、ご迷惑をおかけしております。
お題は「視線」で、激重感情仄暗不穏ブロマンスを1万字以内。応募作はどれも不穏さと読み応えが漂ってくる興味深い作品ばかりでした!
拙作は不穏なのかシュールなのかフェチなのか・・・・・・
↑こちらは同じ素材でのバリエーション。もうちょっとコメディ寄りの男女カップルの短編です。
