【短編小説】 雨宿り文芸部
※この短編小説は、3つのお題を使った5,000文字BL小説企画の応募作です。
人生で大切なものは二つだけだ、とボリス・ヴィアンは言ったらしい。素敵な女の子とデュークエリントンの音楽。それ以外は醜いから。
分かってない、と俺は思う。
人生に必要なのはルマンドだ。
ほろほろとさくさくと崩れ落ちる繊細なクレープ生地が、ココアクリームに優しく包まれてる。
あんたは、ルマンドを食べながら、ル・モンド紙を読むべきだね。フランス語話者数の減少を嘆く記事の上に、クレープ生地を大胆にこぼすんだ。破綻した世界地図みたいにさ。
ココアクリームで汚れた指をハツカネズミに舐めさせておやり。
世界は完璧だ。
ルマンドの包みを正しく開けられたなら。
・・・・・・と、いうポエムを新入生歓迎部活動紹介の壇上で読み上げた、文芸部の土井先輩は、五月に入る頃には箱男になってしまった。
僕が入学した高校は私服で校則もゆるい。だからといって、さすがに段ボールに入ったまま授業は受けられないはず。
先輩は部室に来てから、頭から箱を被るんだと思う。箱に入るっていうか。
土井先輩と僕のふたりだけの文芸部の部室で、一方が箱に入ったままっていうのは、やりずらい。
「気にしないでくれ」
いやいや、気になるって。
「安部公房の箱男になりきってみたいだけなんだ」
箱の真ん中と上から四分の一くらいのところに、二カ所、スリットが開いている。先輩はそこから外を見ている。
今は先輩は床に座り込んでいるから、真ん中のスリットからこちらを見ているんだと思う。
「土井先輩。どっから見付けてきたんですか? そんなでっかい段ボール」
先輩は郊外の家電量販店の名前を挙げた。ひとり暮らしサイズ冷蔵庫の段ボールらしい。
ガムテで補強されまくってるから、側面の字が読めないけど。
「文芸部なのに、箱に入ってたら書けないじゃないですか」
僕の文句に先輩は応酬した。
「君こそ、ほんとは書く気ないだろう。なんでサッカー部に入らないんだ。勧誘されてたくせに」
僕がサッカー部に勧誘されたことを先輩が知っていたことに、ちょっと驚く。
中三で怪我したんですよ、と答える代わりに、僕はボリス・ヴィアンの作品の感想を述べた。
「うたかたの日々、めっちゃメルヘンでしたね。水道の蛇口からうなぎが出てくるとか」
ほらね先輩、僕は文芸部やる気、あるんだから。
小説なんて受験国語の物語文以外に読んだことなかったけど。最近はけっこう読んでる。
「箱男も読みましたけど、あれは脚フェチの話じゃないですか?」
「社会との距離の取り方の話だ」
「でも、声変わりする前の少年の脚がいい、ってやばくないです?」
「そんなこと書いてあったか?」
「ありましたって」
それで先輩は箱に入ることで、何と距離を取ろうとしているんですか? って聞けたらよかったのだけど。
僕の言葉を全校放送がさえぎった。
『大雨警報が発令されました。生徒のみなさんはただちに帰宅して下さい。中央昇降口は十七時に施錠します。繰り返します……』
外は春の嵐だ。
僕は立ち上がった。
「帰りましょう。先輩」
「先に帰ってくれ」
いやいや。まさかそりゃないでしょ。
僕は真ん中のスリットから箱の中をのぞきこんだ。箱の中は暗くて、先輩と目が合ったのかどうかも分からない。
「一緒に帰りましょうよ。完全下校時刻まであと十分なんですから」
先輩は箱を被ったまま危なっかしく階段を降りた。箱からは先輩のすねから下が突き出している。
昇降口で外履きに履き替えるとき、僕が手伝ってあげた。箱を被ったままだと下駄箱から靴が取り出せない。
先輩の靴箱には、つま先が破けそうなくらい履き込んだスニーカーが入っていた。
立っている時には、箱の上から四分の一くらいの高さに開いた方のスリットから、外を見ているんだろう。と思ったら、昇降口の柱にぶつかりかけていた。
外、見えてるのかな?
「靴を取り出してくれて助かった。君はもう先に帰っていいぞ」
昇降口から一歩踏み出して、僕はため息をついた。先輩は強情だ。
東の空に、分厚い毛布みたいに垂れ込めた雨雲の中で輝く稲光。ビニール傘の外側で水滴が川になり、滴り落ちる。
バスに乗るのはやめた。
先輩が箱を被ったままバスに乗るとは思えなかったから。
僕は時々振り返りながら、先に立って歩いた。
先に帰れと言われたからって、先輩が事故にあったり雷に打たれたりしたら、後味が悪い。
あれじゃ傘も差すことが出来ない。箱の上半分がすでに黒く変色してきてる。
雨に濡れた段ボールは重いに違いない。
線路沿いの舗道を歩く。僕は傘を差して歩く。
ボトムスに雨水がしみて、膝がつっかかるように感じる。
先輩は段ボールを被ってよれよれと歩く。
僕たちの脇を小田急線が通り過ぎていく。
電車のライト。照らされて光る雨の群れ。
運ばれていく車両の中は温かそうなオレンジ色。行き先表示が光の筋となって流れる。
あの電車はきっと、後ろ四両が切り離されるやつだ。
先輩は箱を被ったまま電車に乗れるんだろうか。自動改札を通れるんだろうか。
傘に入りませんかと何度目の正直かで尋ねても、土井先輩は、先に行けと繰り返すばかりだ。
そんなに社会から距離を取りたいのか。
湿気のせいで僕の右膝がしくしくうずき始める。立ち止まってふくらはぎ側をストレッチしようとしたら、後ろから箱がぶつかってきた。
あぶな。
「悪い」
あ、しょぼんとした。
先輩が箱の中でうつむいたのが感じられた。
やっぱりほとんど前、見えてないと思う。
「足、大丈夫か?」
土井先輩が濡れねずみの箱の中から尋ねてくる。
「今に始まったことじゃないから、大丈夫です」
思わず本当のことを答えてしまった。
靱帯損傷っていうのは基本的には自然治癒しないんです、という医者の言葉を思い出す。
「なんか話すぞ」
突如、先輩が宣言した。
「なんか聞こえてないと、ぶつかって危ないだろう」
先輩は、ようやく僕を同行者と認めてくれたらしい。
「君の足はいつから大丈夫じゃないんだ?」
直球だ。こういうところ憎めないけど。
「その話はやめときましょう」
せっかく先輩から話を振ってくれたけど、和やかに話せる自信がなかった。
「しり取りをしよう」
土井先輩が提案した。
ふたり無言で歩き続け、二本目の小田急線江ノ島方面行きが過ぎ去った頃だった。
マンホールでスニーカーがずるっと滑る。
僕の靴も先輩の段ボールもかなり水気を吸ってる。
「いいですよ。何から始めますか?」
「ルマンド」
先輩は即答だった。
「んー。じゃあ、ドリブル」
ドリブルって真っ先に出ちゃうところ、僕はまだ未練なのかな、サッカーに。
「ルマンド!」
「なにそれ? ルマンドしり取りですか?」
その通りだ、と先輩はいくぶん誇らしげだ。
「えー。じゃあ、ドッヂボール」
「ルマンド!」
「ド・・・・・・ドラゴンボール」
「ルマンド!」
先輩は間髪入れずにルマンド返しをしてくる。なんだかこっちも意地になってくる。
「ドル」
「ルマンド!」
スニーカーがびしゃっと水たまりを跳ね上げた。
「ドラムロール」
僕はどうにか絞り出す。ドで始まってルで終わるもの。
「ルマンド!」
「ドーナツホール」
ちょっと村上春樹っぽいの出来た。
「ルマンド!」
「道頓堀フォール」
「ルマンド!」
「土曜日のイオンモール」
「ルマンド!」
「ドラえもんにコール」
そろそろネタ切れしそう。
「ルマンド!」
「ドイツのポール」
えっと、誰?
「ルマンド!」
「土井先輩、愛してる」
「ル・・・・・・!」
段ボールは、ほとんど無音で崩れた。
土井先輩は転びかかって段ボールの前を踏んでしまい、濡れてもろくなった箱は中央のスリットのところから破れた。
先輩は箱を頭から振り落とした。
久しぶりにこの人の上半身を見た。
顔も見えた。
マッシュルームカットに半ば隠された目元と高い鼻。ひょろひょろの体躯。
六十年代のロックスターみたい。
僕は先輩に傘を差しかけた。
スーパーマーケットで雨宿りした。
先輩が、へなへなになった段ボールをどうにか小さく折り畳もうとしている間に、僕はルマンドを買ってきた。
贅沢ルマンドでもルマンドアイスでもルマンドドリンクでもなくて、ふつうのルマンド。
紫色のパッケージを一袋。中には小分けになったルマンドが入っている。
「サッカーやめちゃっていいのか?」
直球だなあ。
先輩が気にしてくれてる、それは伝わってくるけど。
スーパーマーケットの出入り口の端っこ。
自販機前の軒下で僕たちは雨宿り。
グレーの空を見上げる。雲の色が、濃いグレーから明るめの霜降りグレーくらいに変わってきた気がする。
「先輩。僕、箱男、ほんとに読んだんですよ」
何ものも背負っていない重力を感じさせない脚は素晴らしい、と安部公房はしきりと書いていた。
僕は何か背負っていた気もするし、これから背負う予定だった気もする。
僕は先輩がルマンドを開ける手元を見ていた。
『小分けパッケージの裏側にある真ん中のフィルム部分を九十度に立ち上げます。そのままゆっくりとファスナーを下ろすようにフィルム部分を引き下げます』
僕は暗唱した。
僕は、ルマンドのキレイな開け方、という動画だって見ておいたのだ。ちゃんと。
先輩は心底けげんそうな顔でこちらを見た。
僕はそっと先輩の手に自分の手を添えた。
「だって、先輩が言ってたじゃないですか。そういう詩をよんでたでしょう? ルマンドが正しく開けられたら世界は完璧になるって」
先輩の右手人さし指と親指はまさに、ルマンド裏面の真ん中のフィルム部分をつまんでいた。
僕は自分の左手でフィルムの切れ目に近いところを押さえた。動画のインストラクションによれば、そこを持つと、より開けやすいのだ。
先輩を後ろからハグするような格好。
僕はずっと運動をしてきて、体格もそこそこ良い。細身の先輩は僕の腕の中にすっぽりとおさまってしまう。
マッシュルームカットのせいで目元はよく見えないけれど、先輩の口元は見える。
先輩は陸揚げされた魚みたいに口をぱくぱくさせた。
「先輩、ちゃんと呼吸して」
かわいいなと思ってしまった。
「君は・・・・・・近いんだよ。距離が」
先輩は息も絶え絶えな様子だ。
もしかして、先輩が段ボール箱を被ってた理由というのは。
「もしかして、先輩は、僕と距離を取りたかったんですか?」
軽くショック。
「当たり前だ。君みたいな、いっつも太陽が友達だった、みたいな人間と一緒にいたら」
ふるふる、と先輩の手の中でルマンドが震えている。
「僕と、一緒にいたら?」
小動物を壁際に追い詰めるみたいな気持ちで、僕は尋ねる。
久しぶりに、相手のオフェンスと一対一で対峙したときのような緊張感と高揚感が湧き上がる。
雨に濡れて湿った靴と靴下の不快感。しくしくする膝。今も、小さなひさしでは防ぎきれない水滴が僕たちの肩を濡らしていく。
色々なものがクリアに入ってくる。
次にどう動くべきが、考えなくても、入ってくる。
「そのままゆっくりと、ファスナーを下ろすようにフィルム部分を引き下げて」
先輩の耳にそっと注ぎ込む。
震える指先に想像させてあげる。
僕と一緒に、何をしたい?
インストラクション通りの美しさでルマンドが開封された。
僕はお菓子を先輩の口元へ持っていった。
繊細なクレープ生地が土井先輩の前歯で噛み取られる。唇にクリームがのっている。
湿った大気にほろほろと、崩れたかけらが舞っていく。
ルマンドの破片がひしゃげた段ボールに墜落する。ゆっくりと。
完璧な一瞬を、僕は見る。
「先輩の詩を聞いたときに、僕にも、サッカー以外の他の世界があるのかなって、思ったんです」
新しい世界の扉を、この人と開いていきたい。
ルマンドのココアクリームをまとった指先を舐める。先輩の肩が濡れている。
確か『うたかたの日々』の中で、恋する二人を小さな雲が包んでしまう場面があった。雲の中は温かくて甘い匂いがして、外からは中の二人が見えない。
箱に一人で入ってしまわないでよ、と僕は先輩にささやく。
それよりも雲にふたりで包まれたい。
「俺はめんどくさい人間なんだぞ。コミュ障だし」
そんなの先輩が箱に入る前から、知ってた。
「さっきの、もう一回、言えよ」
かわいい人だなと思う。
「土井先輩、愛してる」
「ルマンド!」
《 完 》
なみ様のBL企画に参加させていただきました!
3つのお題はこちらでした
・雨の日の恋
・ルマンド
・ダンボール
ルマンドのキレイな開け方動画を何回も見て考えました!
ダンボールは、もう被せるしかない……と思って📦
なみさん、ご参加の皆さま、楽しい企画をありがとうございます!!
