身につける短編小説 #8|Tree 第三話
指輪の前で、私は立ち尽くしていた。
ずっと欲しかったはずのものだった。
彼と付き合って、もうすぐ十年。
いつか結婚するなら、この人だと思っていた。
なのに、
すぐに「はい」が出てこなかった。
戸惑っていた。
もしかしたら、
私が言わせてしまったのかな。
そんなことも思った。
少し前まで私は、
彼のいない暮らしを考えていた。
仕事はある。
借りたばかりの家もある。
一人でも、きっと暮らしていける。
そして、
猫を飼おうと思っていた。
彼は、猫と暮らせない人だった。
だから私にとって、
猫と暮らすと決めることは、
もう彼のところへ戻らないと決めることでもあった。
猫と暮らそう。
もう、戻らないぞ。
そうやって、
彼のいない人生へ進もうとしていた。
ほかの誰かと恋をすることなんて、
考えられなかった。
彼と生きていくか。
彼のいない人生を生きていくか。
そのくらいだった。
私はもう一度、
目の前の指輪を見た。
ティファニーの婚約指輪だった。
ちゃんと、
私のために。
私のサイズで用意されていた。
ここへ来るまでに、
きっといろいろ考えて、
段取りをして、
私の知らないところで準備してくれたんだ。
そう思ったら、
嬉しかった。
傷ついた気持ちは、
まだそこにあった。
戸惑いも、
消えてはいなかった。
それでも、
嬉しいと思った。
どちらも、
私の本当の気持ちだった。
私は指輪を見つめた。
そして、
「はい。」
と答えた。
彼のいない人生を、
一度は思い描いた私が、
もう一度、
彼との人生を選んだ。
この物語は、
BOUNDARIES
Amulet Series「Tree」から生まれました。





