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人生を変えるほどの作品って?──『寄生獣』に喰われた「人間」

生き方を変えるほどのインパクトを与える作品がある──


『寄生獣』(岩明均)って知ってますか?
漫画が好きな人なら、一度は勧められたことあるんじゃないでしょうか?

僕にとっては、本当に生き方の柱になった作品で…
今日は、この『寄生獣』について紹介?しようと思います。

いや… でも、本当は自分で読んでほしくて!!
(アニメも良いんだけど… 漫画で!もっと言うなら紙で!)
漫画を読まない人なら、まずはいくつか他の作品を読んでから、
準備運動してから、この作品に向き合ってほしい!

だから、僕なんかのしょ~もない以下の駄文なんて読まないでほしいwww

すみません。支離滅裂で…
作中で、濃硫酸かけられた寄生獣(島田)の苦悩が分かります。



▼寄生獣ってなに?

人間ではない、人間を捕食する、人間に匹敵する知能を持つ生命体──

脳を乗っ取って、他の人間を食い殺す・・・寄生獣。

でも、物語は…
ある高校生「泉 新一」と、
その脳の乗っ取りに失敗し、右手に宿ってしまった寄生獣「ミギー」
その二人(?)の視点で紡がれる。


▼「人間とは?」を問う

「人間」を「人間以外」の視点で見つめ直す──

そのための装置として「寄生獣」がいて、
「人間以外」から投げかけられる鋭い「問い」
それに対する「人間」側の言い訳を赦すために「泉 新一」がいる。

そんな“仕掛け”なのか?

「泉 新一」が高校生なのも“仕掛け”なのかも?

高校生と言えば、猿から人になったばかりw
まだ、何も知らないと言っても過言ではないでしょ?
知識もまだ十分でなく、知性を育ててる段階。
だから、その視点は、ほぼ「主観的」なんだけど──

そこに、自身と同一体でありながら、
自己とは別の個体(ミギー)が存在することで
自己に「客観的(非人間的)」に「問い」を投げかける構造を強制的に作っている。

要は、ミギーが「メタ認知」し、新一が「内省」する。

そのサイクルを通して、人間(新一を含め、読者?)に
「自己とは何か?」「人間とは何か?」を問い、深めていく。

正直、読んでた当時(中学生だったか?)、全然わかってなかった。
自分自身もまだ「主観的」世界でしか生きてなかったから──
それでも、「何か」を受け取ることができた。

それが、この作品の“仕掛け”がヤバいことをものがたってると思う。


▼「問い」に囚われていた自分が──

中学生や高校生ぐらいのときって、
色んなことに気付いたり、それで考えこんでしまったり、
そして、とうとう悩んでしまう──

そんな時代じゃないですか?w

小学校までって、「感情」と「主観」、
そして、学校や家族だけの「狭い世界」なんだけど、
中学生くらいから──
何かその外側にも世界が広がっていると
知識がないのに気づいてしまう。

僕も、それまで“自分の世界”を他と見比べたことなかったので、
中学校に入ったくらいから・・・
それまでの理解不能で理不尽なできごとに
「ぇ?!なんでだったん?」と「問う」自我が発生してしまって😅

「意味」や「答え」がないことがあるということを知らず
「意味」を求めて、「答え」を求めて…

でも、「知識」だけじゃなく「考える術(知性)」も足りない時期だから・・・
本当に終わりがないんですよね~

そんなときに、『寄生獣』の世界ですごく感情移入しちゃったのが…
田宮良子という寄生獣側のキャラクター。

高い知能を持ち、どの寄生獣よりも合理的でありながら
人間に興味を持った者、その最期に語った言葉が本当に──


『ずっと考えていた。
 わたしは何のためにこの世に生まれてきたのかと。
 
 一つの疑問が解けるとまた次の疑問がわいてくる…
 始まりを求め… 終わりを求め… 
 考えながらずっと歩いていた。
 何処まで行っても同じかもしれない…
 歩くのをやめてみるならそれもいい。

 全ての終わりが告げられても…「ああ、そうか」と思うだけだ。
 しかし、それでも今日また一つ疑問の答えが出た

『寄生獣』田宮良子の最期のセリフ


本当に── 腑に落ちたんです。

なぜ生きるのか?」という問いを突き詰めても、結局それは「問い続ける」という行為そのものに回帰して、

それでも、歩きながら問い続けるという“営み”をやめるでもなく、崇めるでもなく、ただ続けていく

──「問い続けることが生きること」

こう「在りたい」って思ったんですよね。
これまでも、これからも「意味」を求めて考え続けても良い…
で、僕も最期「ああ、そうか」って、納得できるように生きたいって。

「問い」に囚われてた自分が赦された。

──そんな感覚でした。


▼その矛盾が愛おしい 

人間ってどんな存在なのか? 

この著者の作品は、『寄生獣』だけじゃなくて
他も一貫して──

人は、自己中なくせに、理解されないと傷つく。
否定するくせに、受け入れられたがる。
寂しいと嘆きながら、誰かを突き放す。
「誰かのため」と言いながら、自分を救おうとしている。

それでも、僕は人間が嫌いになれない。
どうしようもなくて、でも愛おしい。
それが、人間なんだと思う。

そんな、“想い”が込められてる気がするんですよね。
もうね… 
自分だけの気付きにしたいのに、誰かと共有したくなる──はずです!w


▼おわりに

作中で、ミギーが、人間という生物について深く考え、
(田宮良子もミギーも人間が大好きなんでしょうねぇ…)
その末に出した結論が──

どうしようもなく好きです🙇

以下、ちょっとだけ読んでみてください:


ミギー
「道で出会って知り合いになった生き物がふと見ると死んでいた。
 そんな時なんで悲しくなるんだろう?」


それに対するミギーの結論は?

「そりゃ人間がヒマな動物だからさ!」

「だがな それこそが人間の最大の取り柄なんだ。
 “心にヒマ(余裕)がある生物” なんとすばらしい!!」


心にヒマがあるから周りの存在のことにも何かしようと思える。
無駄なこともやってみようかなと思える。
それこそが、人間らしさ、人間の特権な気がします。

だから、やることなすことに「コスパが良いから」とか簡単に言っちゃダメだと思いますw

効率化って無駄が減って良いのかもしれないけど、それで人間らしいっていえるのか?
無駄が良いってわけじゃなく、無駄だと思うことをやってみる「ヒマ」がないのって「人間」と言えるのか?
「無駄かもしんないけど、まぁ、楽しもうと思えば楽しめるし」と考えてやってみる「心のヒマ」があることこそ、人間の取柄でしょ?

僕は、これで人生が変わっちゃったんですよねw

「無駄」に「意味」を与えられることこそ!
 最高の人間らしさ!そして贅沢なんだ!!


そして無駄に生きてきた結果がここに在る──


本当は、僕の記事なんて読まずに…
というか、ここまで読んでくれて嬉しいですけどw
この記事で興味を持ったら、ぜひ、自分で一度読んでほしいです。

ぁ…そしたら、なんで、ミャクミャクくんなのかも分かるかも?w


さて、今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。


引用作品:

寄生獣
「人間とは何か?」「なぜ生きるのか?」を人間以外の視点から突きつける。
記事とのリンク
田宮良子やミギーの言葉に救われ、「問い続けることこそ生きること」と結論づけている。

※Amazonのアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。

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