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なぜ学び、なぜ考え、なぜ想像する?

『ファイアパンチ』(藤本タツキ)を読んでほしいです。

作中で、極寒の世界で不死者の主人公(アグニ)は、自分の肉を削いで村の人々を養っていました。ある日、ある男(ドマ)に故郷の村と兄弟を焼かれ、その復讐の旅に出ます。


アグニとドマの再会のシーン、とても考えさせられます。



ドマ「アグニ、今の人々に“足りない物”は何だと思う?」

出典|『ファイアパンチ』(作者:藤本タツキ|出版社:集英社)


復讐の標的ドマと再会したとき、彼から唐突に投げかけられた「問い」──

答えられずに戸惑う主人公アグニに、ドマは淡々と語ります。

ドマ「温かい気候でも、
   大量の食糧でも、
   神でもない──

   “正しい教養”だ」

この極限状況の世界で… 教養を説く?
あまりに場違いで、思考が追い付かないアグニに
ドマは、その思想を、“現実の断片”に置き換えて迫ってくる──

ドマ「人肉で食いつないでいる村人は、お前が死んだらどうなると思う?」

アグニ「………飢えて死ぬ…」

アグニの答えは、ごく自然な反応だった。
──しかし、続く、ドマのセリフにハッとさせられる

ドマ「死なない! 命は簡単に死なない

そうだ。 生物は… 生命は… そんなに簡単に諦めたりしない。
ギリギリまで足掻こうとするモノ…
なら、その“問い”の“答え”は?


ドマ「お前が死ねば、人肉を食う文化だけが残る。他の村を襲って人肉を作るか、仲間同士で共食いをするだろう」

“純粋な生物”に近いほど、この現象は理解できるはず…
続くドマのセリフはまさにそれを裏返した言葉になっている。

ドマ「自分の基盤に正しい教養がないから簡単に馬鹿になれる
   それなれば、それはもう“人”ではない

出典|『ファイアパンチ』(作者:藤本タツキ|出版社:集英社)

アグニ「それはっ!そんなの、お前の妄想だ!!」

反射的に「妄想」と叫ぶアグニ
気持ちは分かる。
だがその否定こそ、後に続くドマの言葉を、皮肉にも裏打ちしてしまっていた。


ドマ「妄想ではない、想像だ。
   教養がないから先のことを想像できない。
   想像が出来ないから間違った正義をふりかざしてしまう

出典|『ファイアパンチ』(作者:藤本タツキ|出版社:集英社)


このあと、ドマは「だからと言って村人を焼いてよい理由にはならない」という話をして、自分も間違った教養を疑うことなく信じ、間違った正義を振りかざした過去を詫びます。


もうね…… このやりとり、
アグニと共に言葉を詰まらすしかないですよね😅

あまりにも極限状況下での話なので、現実につなげるには注意が必要ですが、生きるうえで興味深い作品だと思うのでぜひ読んでほしいです。


なぜ学び、なぜ考え、なぜ想像する?

それは── “生きる”ためではない。
「よりよく」生きる―活きる ためだ。

個としての生存を考えたとき
実は、教養はそこまで重要じゃないのかも?
生きるだけで精一杯なとき、余裕なんてない。
考えることも、想像することも、贅沢になる。

人間は、集団を、社会を形成する生き物だから
社会をつくり、そこに余白と豊かさが生まれる。

そして、その“余裕”のある社会を維持するためにこそ、
学び、考え、想像する力
──

つまり“教養”が必要になる。


ただ、この話には注意するところがあると思います。

まず、“教養”と“人間性”の関係について…
ドマは、教養がなければ人間になれないと強い主張を出していますが
これは一つの極端な例であり、現実の価値判断にそのまま適用はできません。それに関しては、また他の機会で議論したいところです。

そして、なにより──
“正しい”教養とドマは言っていますが、人間が決めることに“絶対的に正しい”は存在しません。(“正しい”は、“視点”と“軸”によって「変わる/変えれる」から──権力と教養の関係も無視できないはず)

だから、我々は学び、それを疑って、考え、そこから想像しながら修正し続ける必要があります。


おわりに

今の時代、色々と忙しかったり、大変だったりするけど、
よく考えてみると、意外とまだまだ“余裕”があると思う。

そして、確かに──

“余裕” があるところには “教養” があって
そして、“教養” によって “余裕” が生まれる。


でも、これはとても怖い現実だと思うんですよね。
だって、過去と現在だけじゃなく未来を含んだ“格差”が暗示されてますよね?

だからこそ!
みんなに、教育の場だけでなく、“教養”の大切さを共有できる場があるのが大切なのかもしれないですね。


さて、今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。


引用作品:

ファイアパンチ
極限の世界設定の中で、人を“人”たらしめる条件を問う。
記事とのリンク
教養は生きるだけでなく「よりよく生きるため」に必要だと読み替え、社会と未来を支えるための学びの意味へと接続している。

※「教養」という言葉自体が持つ 不安定性と暴力性(たとえば“正しさ”を装うことによる排除)に関しては、またどこかで書くかもしれないです。

※Amazonのアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。

顔のない問い


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