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質問箱|自分の人生の外側を見る力?

※これは、匿名質問箱に届いた“問い”に対する“問い版”の回答になります。

少し前に、『そらまめくんのベッド』からメタ認知につなげる難解な質問がありました(以下参照):

で、質問者の方からコメントがあって…

質問の中にあった「共感」に対する僕の解釈がちょっと違ってたみたいです😅 質問者の方、ごめんなさい!
今日はその追加のコメントのお話です。


▼顔のない問い

こんにちは。
先日は、ご回答くださりありがとうございました。

確かに、メタ認知と共感は相反するというより補い合うもので、どちらも自分や他人が何を感じているか知ろうとするものですよね。

「共感」の例えとして「そらまめくんのベッド」を挙げたことについて、一応、補足させてください。

仰るようにこの物語の中で主人公のそらまめくんは、共感とメタ認知によって、他者を幸せにすることを、人の幸せに喜びを感じると知ることができました。

ですが、すみません。

私は「そらまめくんが作中でメタ認知や共感により成長したこと」を伝えたかったわけではなく、 「この物語が創られたことやこの物語を読めることは共感によって成り立つ」と言いたかったんです。

「そらまめくんのベッド」という作品が創られるためには、:
“そら豆の見た目”から“そら豆のさやのわたはベッドのようだ”と考えたり
“そら豆以外にさやにワタのあるマメを見たことがない”ことから”そら豆はフワフワのベッドが自慢で特別に感じていて独り占めしたいのかもしれない”
“他のマメ類たちもフワフワのさやで眠れたら幸せだろう”など
…と発想を飛ばす必要があります。

この考え方は、“モノに感情を持たせるイメージ力”から生まれるものであり、“自分がそら豆だったら何を思うか”とイメージする力だと思います。

“現実世界で見えているモノ(この例えでは、私達の日常で見かけるそら豆やマメ類のことです)を自分に置き換えて物事を見る”力がなければ、この作品は生まれないし、読者も楽しめないと思います。

共感というと、他人に共感するとか、自分と同種のものに自分を置き換えて他者の気持ちを感じようとすることという印象があります。でも、自分と見た目も大きさも何もかも違うものに自分を置いてみることも、共感かなと思ってます。

顔のない問い|一部改変

|受け取りました!

面白過ぎる「問い」と言うか「助言」?
ありがとうございました!😫

質問自体に解釈の幅を持たせるのがまず面白いですが…
このコメントには、「確かに…」ってなりました。


|分解します!

「物語が創られることや
 物語を読めることは “共感” によって成り立つ」

質問者の名言

これは、名言だと思います🙄
当たり前すぎて意識してなかったけど、意識すべきことな気がしたから。

“創造の共感”“鑑賞の共感” があって
初めて、「届く」あるいは「つながる」ってことですよね?


【創造の共感】作者からモノへの共感:
これは、人間以外の存在、今回の場合は「そらまめ」というモノに、作者が自らの意識を憑依させ、感情や物語を付与する力。
普段使う「他人の気持ちを思いやる」という意味での共感よりも、さらに根源的で、神話やアニミズムにも通じる「擬人化的共感」と呼べるかも。

【鑑賞の共感】読者から作品世界への共感:
普通は「そらまめが喋るはずがない」と知っています。しかし、物語を読む際には、その非現実性を受け入れ、「そらまめくんはきっとこう感じているんだろうな」と、作者が設定したルールに自ら乗っかる形で共感します。これは、作者と読者の間に結ばれる「共感の契約」みたいなものかも。


「共感」という言葉(定義)を、単なる対人スキルから、「自己の境界線を越えて、他者やモノ、あるいは世界そのものと一体化しようとする、人間の根源的な想像力」へと拡張しようとしてるってことだよね?

う~ん。むしろ、それこそ「共感」の本質な気がしてきました😅


|“想像力”という駆動力?

結局のところ、この二つの共感の根底にあるのは「想像力」だと思います。

  • 作者の共感は、「無から有を生む」方向の想像力。

  • 読者の共感は、「有を自分の中に取り込む」方向の想像力。

両者はベクトルが違うだけで、根は同じ?
だからこそ、作者が想像力で創った世界を、読者もまた想像力で受け取り、楽しむことができる。物語は、作者と読者の「想像力のキャッチボール」によって成立していると思います。


「両者の想像力のバランスが崩れると届かない」ってのも、真理かも。

どんなに作者が熱意と想像力を注ぎ込んでも、読者が心を閉ざしていたり、あるいはその想像力についていけなければ、物語は一方通行のまま。

逆に、どんなに読者が物語を求めていても、作者の創り出した世界が独りよがりであったり、深みがなければ、心は動かない。

作者が差し伸べた手を、読者がしっかりと握り返す。
その絶妙なバランスの上で初めて、物語は命を宿すのかもしれませんね😅



▼新たな問い

この視点を拡張すると、さらに面白い「問い」が浮かんでくる?

  1. 共感の対象はどこまで広がるか?
    モノだけでなく、「国家」や「正義」といった抽象的な概念にさえ、僕たちは感情移入し、物語を付与しているのではないか?(例:「正義が勝つ物語」「我が国の栄光」)

  2. この共感が「失敗」する時とは?
    ある物語に全く共感できない時、それは作者の【創造の共感】が足りないのか、それとも読者の【鑑賞の共感】が拒否しているのか?あるいは、両者の「想像力の波長」が合わないだけなのか?

  3. テクノロジーと共感の未来は?
    AIが物語を創る時代、そこには【創造の共感】は存在するのか? また、僕たちがVRやメタバースでアバターとして存在する時、それは従来の【鑑賞の共感】とどう違うのか?

これらに関しては、ここではやめておこう🙃
また、あらぬ方向に話が行くかも…
でも、「2」と「3」は特に興味あるな~



▼顔のない答え

答えっぽいことをまとめると:

  • 「共感」の本質は「想像力」?

  • 物語は、作者と読者の「想像力のキャッチボール」によって成立している?

  • まだまだ「問い」は尽きない



面白い「問い」でした!
深く考えてみると、一部ちょっと痛いところを突かれてて…心に刺さりました😫

「想像力」は「生き残るために必要なモノ」だと思います。

でも、僕は、それと同時に「比較的安全に人生を楽しむために必要なモノ」って感じていたんですが…それはなぜなのか、を言語化デキた気がしました!w(※「蛇足」参照)

想像力が共感を生み、共感が自分の人生の外側を楽しむカギになる。

うん…そうかも。 ありがとうございました!


さて、今日もお付き合いいただきありがとうございました。
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。


|あなたの問いを共有したい

ぜひ、何か僕の記事の起点となる“問い”を投げかけてください。
コメントでも「クリエイターへのお問い合わせ」からでもOKです。
いただいた“問い”から、僕の中で発散・拡散・崩壊して、最後にもう一度収束して“新たな問い”にして返すことができると思います。
※2025.09でのルールは以下の記事を参照してください。

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蛇足:

生き残るための想像力(危険のシミュレーション)

「この森の先に猛獣がいるかもしれない」「この行動を取ったら、相手は怒るかもしれない」 これは、未来に起こりうる危険やリスクを頭の中でシミュレーションする力。この想像力がなければ、僕たちは危険を回避できず、生き残れませんでした。これは、自分自身を危険から守るための、いわば内向きの想像力です。


人生を楽しむための想像力(他者人生の代理体験)

「そらまめくんは、ベッドがなくなって悲しかっただろうな」「この小説の主人公は、どんな気持ちで旅を続けたんだろう」 これは、自分以外の誰かの視点に立ち、その感情や人生を頭の中で代理体験する力です。この想像力が共感を生み出します。

そして、この「代理体験」こそが、「比較的安全に人生を楽しむ」ことの正体?!

僕たちは、実際に戦争に行かなくても物語でその悲劇を知り、実際に魔法を使えなくてもファンタジーでその高揚感を味わえる。他者の人生や、あり得たかもしれない別の人生を、リスクなく、追体験できる。これは、人生を何倍にも豊かにしてくれる、いわば外向きの想像力です!!


つまり、「自分の未来をシミュレーションする」という生存に必須だった能力が、「他者の人生を代理体験する」というエンターテイメントや他者理解に応用された…そういうことなのかな?

想像力が共感を生み、共感が自分の人生の外側を楽しむカギになる

僕は、腑に落ちました!😳

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