『深夜ジューク堂』 お勤めご苦労様です! Elvis Costello / Welcome to the Working Week
今夜のお通し:
Bob Dylan / In The Summer Time
♪〜イン・ザ・サマー・タイム、
ああ、夏の日よ
イン・ザ・サマー・タイム、
きみが一緒だった夏〜♪
一日が終わり、 人々が家路へと急ぐ頃、 俺の一日は、始まる。
営業時間は、夜12時から朝7時頃まで、
人は、『深夜ジューク堂』って言ってるよ。
店の隅にあるのは、1951年製、「Seeburg M100B」俺の昔からの相棒だ。
メニューは、この箱の中の100曲だけさ。
あとは、コインを放り込んで、好きな曲を選んでくれりゃあ、古い音をできる限り大きな音で、暖かく鳴らす。
それが、俺の営業方針さ。
客が来るかって?
それが、結構来るんだよ。
午前一時すぎ。
最初に来たのは、みどりさんだった。
「こんばんは、マスター」
「いらっしゃい」
暑く湿った夜気を店の中まで連れてきたみたいだった。
汗ばんだ首元にハンカチを当てながら、いつもの席に座る。
バッグと、スマホと、読みかけのプレゼン資料を、一度に抱えたまま。
席についてからも、その三つを、どこに置くか少し迷っていた。
「今日は濃いめで」
「氷、多めにしようか?」
「うん、お願い」
「あいよ」
ハイボールを作って出すと、一口飲んで、ようやく息をついた。
「今日はどうだった?」
「二回くらい辞めたかった」
「二回で済んだのか」
「辞めたいっていう気持ちにも手が回らなくなってきた」
そう言って笑う。 その笑い方に、いつもより少しだけ、力がなかった。
しばらくして、扉が開いた。
まだスーツに着られているような若い男が、シャツの背中を汗で貼りつかせたまま入ってきた。
「あの、まだ大丈夫ですか」
「朝までやってるよ」
男はカウンターの端に座り、ビールを頼んだ。
「新入社員くん?」と、みどりさんが言う。
「はい。今年入ったばかりで」
「やっぱり」
「そんなに分かりますか」
「分かるよ。まだ鞄を膝からどかせないでしょ」
ワタルは照れたように笑った。
「疲れた顔してるね、新人くん、怒られたの」
「今日は逆で。ちょっと褒められて、それで。」
「それ、しんどいよね」
「うれしいんですけど。次からもっとちゃんとやらなきゃいけない気がして」
「褒められると、逃げ道が減るからね」
奥の席で、低い声がした。
「褒められた次の日が、一番働かされる日だよ」
チョウさんだった。
ワタルは、少し困ったように笑った。
「そうなんですか」
みどりさんは苦笑いした。
「みどりさんも、そうだったんですか?」
「そりゃもう」
「今も、ですか?」
みどりさんは、バッグとスマホと資料を、一度に持ち直しながら、少し間を置いて答えた。
「今もね」
ワタルは、少し驚いたような顔をして、それから急に距離を詰めてきた。
「えー、みどりさんでも、まだそんな顔する時あるんすね」
こいつ、馴れ馴れしいな。
みどりさんは、少し笑った。 いつもの笑い方だった。
ワタルがまた何か言おうとした。
グラスを持ったまま、少しだけワタルから体を逸らした。
バッグ、スマホ、資料。膝の上で、行き場をなくしたみたいに重なっている。

「まあ、いいから飲みなよ」
みどりさんは、それだけ言ってグラスを持ち上げた。
ワタルは、少し戸惑った顔をした。 それ以上は、何も聞かなかった。
しばらく、誰も何も言わなかった。
氷が溶ける音だけがした。
みどりさんが、バッグから百円玉をひとつ取り出した。
「マスター。何か聴きたい気分。どれ選んだらいい?」
俺はグラスを拭く手を止めた。
「なら、Bの7だな」
みどりさんは席を立ち、ジュークボックスの前へ歩いていった。
バッグとスマホと資料は、椅子の上にそのまま置いていった。
両手が空くのは、今夜、これが初めてだった。
投入口に百円玉を滑り込ませる。
カチ。
カラカラ。
コインが途中で詰まったのか、音が途切れた。
「また?」
みどりさんは、コインの投入口あたりをゲンコツで叩いた。

「おいおい、もっとやさしく扱ってやってくれよ」
コトン。
古い相棒には、たまにこのくらいの荒療治が要る。
文句も言わずに、また動き出す。
眠っていた機械の奥に電流が入る。
低い唸りが床を伝う。
アームが動き、レコードの列に向かって小さく傾く。
迷いなくスライドし、目当ての一枚の前で止まる。
爪が盤を持ち上げ、中心の軸に穴が合わさる。
カチリ、と硬い音がして、位置が決まる。
シュウゥゥ。
チリ、チリチリ、チリ。
一拍の空白。
Elvis Costello / Welcome to the Working Week
ゆっくりと立ち上がったと思ったら、どんどんスピードが上がっていき、
曲全体が、誰かに背中を押され続けているようだった。
隙間を大事にする間はない。
ギターは歪んで、余韻を残さずぶつ切りに刻まれる。
ドラムは手拍子のような硬い音で、ためを作らず前へ前へと急かす。
コードの詰め方が、まるで書類を片手に、デスクからデスクへ走り回っているみたいだった。
♪〜Welcome to the Working Week〜♪
その合間に、コーラスの声が短く割り込んでくる。
呼び止められて、振り向く暇もないまま、また次へ急かされる。
そんな入り方だった。
一瞬、その割り込みが、名前を呼ぶ声に聞こえた。
♪〜 み・・・ど・り。
♪〜 み・・・ど・り。
忙しない曲の中で、そこだけ引き伸ばされて聞こえた。
空耳だと分かっていても、聞こえてしまった。
一分ちょっとで、全部言い終えて帰っていく。
ワタルは、その忙しなさに、ただ乗っかって聴いていた。
みどりさんは、ジュークボックスの前に立ったまま、少しだけ動きを止めた。
曲が終わり、針が外れる。
カシャリ。
チョウさんが、グラスを揺らしながら、ぽつりと言った。
「今週も、お勤めご苦労さんか」
誰も、それに答えなかった。
ワタルはしばらくして、勘定を置いて店を出て行った。
新しい革靴の音が、遠ざかっていく。
みどりさんは席に戻り、まだ座っていた。
「マスター。もう一杯、濃いめで」
「はいよ」
俺はグラスを用意しながら、それだけ言った。
「月曜になると、またこの曲入れる人がいる」
みどりさんは、何も言わなかった。
ただ、資料の束を、一度、テーブルの上で軽く整えた。
しばらくして、チョウさんがグラスを空けながら、ふと時計を見た。
「もう、土曜か」
俺はグラスを拭きながら、それだけ言った。
「土曜は、すぐ終わるよ」
チョウさんは席を立ち、勘定を置いた。
みどりさんも、それを潮に腰を上げた。
「マスター、今夜はごちそうさま」
「おやすみ」
二人が扉を開けると、まだ夜の湿った空気が店の中に流れ込んできた。
扉が閉まる前、俺は最後にもう一枚、コインを機械に入れた。
今夜の締めの一曲
Nick Drake / Saturday Sun
ヴァイブラフォンの音が、遠くで鳴っている。
土曜の陽射しの話をしている曲だった。
良かった時間は、たいてい長くは続かない。
それでも、悪いことでもないと思えるくらいには、鳴り方がやわらかかった。
店の隅で、ジュークボックスがまた静かに眠っている。
外の空気は、少しだけ朝に近づいていた。
それでもまだ、夜は残っている。
だから今夜も、俺は灯りを消さない。
《B面ノート:Welcome to the Working Week》

この曲は、歓迎(Welcome)の歌なんかじゃない。歓迎の言葉の形を借りて、働く人間を、また同じ場所へ押し戻す歌だ。
Elvis Costelloのデビューアルバム『My Aim Is True』の一曲目。
そして、大ヒットした『Alison』のB面でもある。
始まった瞬間から、もう急いでいる。
息をつく暇もなく、前へ前へと追い立てる。
演奏しているのは、Alison と同じく「クローヴァー」
西海岸のカントリー・ロック・バンドで、当時コステロが関心を寄せていたヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンみたいな東海岸の感覚とは、もともとあまり噛み合っていなかった。
コステロ自身も、この曲で何が歌われているのか、彼らにはよく分かっていなかっただろうと振り返っている。
分からないまま、考える間もなく録られてしまった。
分かり合っていないのに、演奏だけは前へ進んでいく感じだったのかもしれない。
プロデューサーのニック・ロウも、ほとんど手を加えなかった。
機材のスイッチを入れる以外、たいして何もしなかったと本人は言っている。
ロンドンのパスウェイ・スタジオで、4時間のセッションを6回、合計24時間、2000ポンドでアルバム全体が出来上がった。
歌詞の中身は、皮肉と怒り、家族の歴史、断絶していく距離と、一言では割り切れない。
今夜のこの店で思い出したのは、そのタイトルと、最後の一節だけだ。
♪〜Why'd you want to be my friend
When I feel like a juggler running out of hands?〜♪
なぜ、あなたは私と友達になりたがるのか。
まるで、両手がふさがったまま、次々と物を投げ続ける曲芸師のような気分の時に。
サウンドの面白さは、速いことではない。
「クローヴァー」と言うバンドは本来、もっと土の匂いのするカントリー・ロックを演奏するバンドだった。だから、この神経質で切り詰められた曲想とは、どこか温度差がある。そのわずかなずれが、妙な落ち着かなさとして残る。
だからかもしれない。「ようこそ、働く週へ」という言葉だけが、皮肉みたいに耳に残る。
サビの隙間には、女性コーラス風の合いの手が、短く挟まる。
励ましなのか、次の用事を急かされているのか、判然としない。
歓迎しているようで、少しも休ませてくれない。
タイトルの空々しさが、そのまま音の性急さとして鳴っている。
疲れ果てて、これ以上何も持てないと思っている人間に、なぜか誰かが近づいてくる。
歓迎できるはずもないのに、無下にもできない。
両手がふさがっている時、人は、差し出されたものにうまく手を伸ばせない。
受け取れないのは、物とは限らない。
だから、「ようこそ、働く週へ」という言葉だけが、律儀に繰り返される。
一番歓迎されたくない場所に向かって。
1分22秒。
短い。
短すぎるくらいに短い。
立ち止まる時間は、最初から与えられていない。
だから月曜になれば、また誰かがこの曲をかける
