川柳句会ビー面 2025年9月

匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。
参加者:nes・ササキリユウイチ・スズキ皐月・ラム=ラグドール・公共プール・南雲ゆゆ・城崎ララ・小野寺里穂・西脇祥貴・雨月茄子春・黒澤多生


場外で足湯忘れていた悪口/小野寺里穂

「場外で足湯/忘れていた悪口」で切って読みました。「足湯(を)忘れていた」と読んでも面白いんですが、そうなると「悪口」の着地は捻じれすぎな感じがする。読みやすい方向に読むのは良い悪いがあるのはわかりつつ、前半の景と後半の心情、みたいな、短歌的な読みをしたとき私には魅力的に映ったので並選で頂きました。
──nes
「足湯」と「忘れていた」でスペース空けたほうが読みやすいと思った。(切れる場所違っていたらすみません)
──南雲ゆゆ

絶交してもたぐりよせてくるじゃんね/公共プール

しつこさと怒りの湿度。「じゃんね」の口語が絶妙。たぐりよせてくる、そこが嫌なんだろうな。ほんとに。でもそれでため息ついて許しちゃうような、仕方がなさも滲んでいる。良い。
──城崎ララ
人間関係で「たぐりよせ」る、って使うのにこんな引っかかれると思わなかった……糸なのか、人間関係って。絶交したらぷつん、て切れて、でも、ってなった人はそれたぐりよせてくる。切れたはずなのにひきつづき垂れ下がってるからたぐりよせられるわけじゃんね? ほんとに糸じゃん! 糸生えてんのおれら?! こわ!!! あと一音オーバーの「ね」は、当然ながら要る派です。なんなら「ね」一音あることで残る残らないが分かれるとさえ思った。
──西脇祥貴
口調と絶交が近い?
──雨月茄子春

俺は船 港区全部積み込むぞ/黒澤多生

一字空け要るかな、とは思ったものの、一字空け以降の威勢が良いのでまあいっかー、となった。披講ではこの間、生かしてほしい。で、威勢については勘違いの度の過ぎ方がいかにも「俺は船」とかいうやつっぽくてほのぼのしちゃう。って読んでたら若大将の声でこの句が再生されてきたけど、いくら若大将でもたぶん俺は俺だと思う。船になってどうする。港区を抱え込んだ沈黙の艦隊でもやる気なのか。
──西脇祥貴
船とは、港から荷を積み込む機能を持ったものです。「俺は…積み込むぞ」なのであって、俺は、「船」であり、「積み込む」船でもあります。荷は港区全部です。隠喩であり、誇張法です。でも、こうしたまとめかたに何か嘘があるんじゃないか、と思うから、川柳を面白いと思うのです。俺は文字通り、船であるのだと感じるのであれば、港区全部は誇張でもなんでもなくなるんじゃないか。港区全部が誇張でないのと同時に、俺は船なんだとは思えないんじゃないか(俺は船のようであるならば、俺は港区全部を積み込むのではないんじゃないか)。港区全部を積み込む意気込みが「ぞ」にあるのか。「ぞ」に意気込むのは川柳とは別の嘘のなにかであって、「ぞ」は、絶対なんじゃないか。
──ササキリ ユウイチ
タンカー川柳?
──雨月茄子春

起き抜けにデュプランティスの記録表/南雲ゆゆ

「デュプランティス」、知らなかったので調べました。なるほど、なら「記録表」というのも納得です。そうなると問題は上五で、良い意味で何て変な状況なんだろうという一点で並選としました。個人的にはこれぐらいの流し方(デュプランティスに対する裏切りのささやかさ)ぐらいが好きです。
──nes
珍しいくらい時事ネタだけどちょっとそのまますぎるかな?
──スズキ皐月
youtubeに上がってたデュプランティスの動画に「四捨五入したら鳥」というコメントがあって、川柳だと思った。自分で思いつきたかった。これは。
──南雲ゆゆ

レーニンの腸の切り身が給食に/nes

川柳でも、勿体無いと思った。レーニンの腸という名の料理であってほしいと思った。もう手遅れ。
──ササキリ ユウイチ
ソ連なら
──雨月茄子春
レーニンだと理屈が通りすぎた風刺感あるかも
──スズキ皐月
混入? しかも生?! とりあえず茹でてください!!!
──西脇祥貴

(相互不理解)グミを供える/城崎ララ

先月はじゃがいもで、今月はグミなんだろうか。地球に限らないどこかの文化圏には、分かり合えない相手に対してグミを供える(直接渡すわけではない)という風習があっても不思議ではない。カッコは袋で、その中に「相」「互」「不」「理」「解」という5つのグミが入っているようにも見えなくはない。視覚的にもたのしい句。
──小野寺里穂
今回頂いた句の中で、一番評を組み立てるのが難しい、かつかなり惹かれたため特選としました。そもそも十四字は成功するのが難しい定型だと思っているのですが、これは上手くいっている気がする。評なので、それを言語化しないといけないんですが……まずパーレンの効き具合について考えてみると、改作例は「相互不理解グミを供える」「相互不理解 グミを供える」「グミを供える相互不理解」ぐらいになるでしょうか。三つ目にやや可能性を感じるものの、収まりが良すぎる感もあり、掲句の強度には達さない気がします。そういう意味でこのパーレンは効いていると感じました。そして前後半の組み合わせがどうかという話になってくるんですが、「(相互不理解)」というネガティブなイメージと「供える」には共鳴関係がありつつ、それが「グミ」のイメージによって攪乱されるところが面白さでしょうか。正直、筋の通った読みは私には出来なかったので、言葉の重力の感覚が気持ちよかった、という結論に着地してしまうのですが、とても好きな句でした。十四字の成功例として覚えておきたい句。
──nes
事件や事故起こった現場にグミを供える光景が思い浮かんだ。(相互不理解)は主体の感情だろうか。悲劇を相互理解の大切さを学ぶ教材にしたくなくても、自分が供える行動をとることは多かれ少なかれそういう結果を孕んでしまう。(相互不理解)という抽象的な言葉に留められているところに、結果への拒絶があると思った。グミなのもいい。好きなグミを知ってるくらい仲が良い人か、子供が相手なんだろうなと想像させる導線がちゃんと引かれている。花とか水とかでは表現できない部分だと思う。
──南雲ゆゆ
死んだおばあちゃんにピュレグミは馴染みないだろうし、もったいないかもね
──公共プール
不理解に対して供えるはちょっとおとなしすぎて現代っぽいコミュニケーションの気がした
──スズキ皐月
特撮観てれば分かる句。意味は分からなかったけど!
──黒澤多生
「供え」ていることからお墓かお仏壇、あるいはなんらかの儀式の祭壇を思い浮かべ、そこにいま流行ってる(まだ流行ってるのかな)グミを供える――ところまで考えてきゅうに『テイルズオブエターニア』を思い出した。あのゲーム、回復アイテムがグミだった。グミブームの先駆者じゃん。どうあれグミ、回復の象徴になり得るらしい。だから供えるにあたって納得の度合いが高いんだな、と理解が進んだ。なにから来てるんだろ、やわらかさ、甘さ、見た目のつやぷるした宝石感、とかかな。ただ相互不理解が( )で括られる効果がはっきりせず、相互不理解の例として、の意味なのか、供えなので墓碑銘とかなのか、がとらえにくかった。現代的なお供えの光景、ではあると思う。
──西脇祥貴

やさしいどろどろどこに行っちゃったの/nes

言語化できない存在の気配――! 「やさしいどろどろ」、なんて素直な名付け! 名付けたのは子どもかな、とはすっと思うんだけど、その後、この句の中の時点で主体がまだ子どもか、あるいはもう大人になっているか、で読みが変わるの面白いです。欲張りなので大人と取った。幼い頃あんなにいっしょにいた謎の「やさしいどろどろ」。大人になってこんなさびしいいま、その存在が恋しくなってしまう――まで考えていや、大人時点で名付ける「やさしいどろどろ」もいるだろ、と気付いた。これはもうキャラクター的な存在のことではなく、状況のことでしょう。痴情のもつれ、しかし誰かが死ぬほどではない、そんな中でしか得られない生の実感、みたいな。こと果てて、ほどほどに満たされた(ほどほどに傷の残る)平凡なルーティンに戻ってみると、気持ちも体も穏やかなのに、なにか足りない。あの生の実感はどこに行っちゃったの? ってもうドラマのその後みたいな世界。とここまで読んでしかし、まだやさしいどろどろの可能性があることに気づいた。「どろどろの酷い状況が現実に起こっていると気付いていながら、それを対岸の火事だと思ってられるまだ切迫してない状態」も、そう言えないか? それが「どこに行っちゃったの」ということは、この句の中の今、状態はやさしくない、笑えない、ただの「どろどろ」。手を打たなかったために「どろどろ」に呑みこまれた地点からの声を、これは拾っちゃったという感じがする。作ったというよりは。近い未来の自分らの声かもしれない、と思うと、とたんにぞっとして来た。まさに「現代」川柳。しかも十七音! 
──西脇祥貴
抽象度が高く情報も少ないけどさみしさだけ抽出してある感じ。パンチには欠けるかもしれないけど感覚を共有するには不足はないと思う。
──スズキ皐月
「どろどろどこ」が小気味良い。
──黒澤多生

おれたちは無限介護の庭師だぜ/西脇祥貴

自分より寿命の長い生物を介護しなければならない時「無限介護の庭師」になるの、ハッとした。剪定された枝が成長して母体を介護していく人員に当てられるのか。
──黒澤多生
ふふっとなった
──雨月茄子春
時事っぽい助走が強くて「庭師」が乗り切れなかった
──スズキ皐月
仕事の中でワード「無限介護」を拾った。あまりにかなしく本当だったので抵抗しようとした。それもできる限り雄大なかたちで。
──西脇祥貴

皺を書く全部忘れてベルリンへ/小野寺里穂

全部忘れて、って入った句、あったような……思い出せないからだめなんですけど、川柳っぽいしぐさですよね、全部忘れる。アナーキーな感じもして。その分その振り幅に合わせたことが前後に求められる。この句はその辺もバランスいいと思った。忘れる、があるから皺は脳みその皺にも思えた。けど細密画のごとく、紙に延々皺書いてる方が読むうえでは面白いな。そんな集中できてたのに、ベルリン?! でも理屈を問う気にならないのがまさに、「全部忘れて」とのバランスがばっちりであることの証明でしょう。ベルリン、って都市まで絞って選んだのもいいんだよな、国名とか、都市にしてもパリとかだとこのバランスは取れない。その不思議の裏には、たぶんだけど、ドイツだってことはかかわってるんじゃないかな。
──西脇祥貴
忘れるの唐突さは川柳っぽい気はするけど、皺とベルリンの繋がりが読み切れなかった
──スズキ皐月

アカウントを乗っ取られたら  hey/雨月茄子春

郡司さんの出来事なのは知ってて、その上で川柳的出来事としてめちゃくちゃ面白いと思わされた。身内ネタから、万人にひらかれた川柳に翻案できている。特にhey前の間の取り方が絶妙で、脱力させてくれる。吟行したときに、視界に映ったものとか交わされた会話とかをそのまま写生してるだけなのに現代川柳っぽくなる技を発見したのだが、それに通じるものを感じる。現代川柳は現実にはありえないようなことを描写しているみたいな言い方よくされるけど、それは違ってて、現実をそのまま描写している可能性は十分にあるよな〜という気づきがあった。
──南雲ゆゆ
いい二字空けだね……せつなすぎてなきそうだったよ。郡司さんにささげるがいいよ。とうとう二字空けの必然を持った句がこの世に現れた。なんなら二字空けをこの世に存在させるための句、くらいの趣きがある。からのhey。heyそのものというより、言い得ぬ感情のすべてを載せた音を書き出したらこうなった、みたいな感じがする。知ってるheyとはまた違うhey。記号的なhey。意味が奪われてちょうどいいです。それでねえ、個人的にこの後に流すのにちょうどぴったりの曲があってねえ、ピクシーズの、そのものずばり"Hey"って曲なんですけど、歌い出しとサビがずっと"Hey"なんですよ。本当にいい曲だからぜひ一回聞いてみてほしいんですけど(https://www.youtube.com/watch?v=tVCUAXOBF7w)

ここへつなぐのほんといいと思うんよな……。
──西脇祥貴
シンプルさが一周回って面白い気がしたり、また回って乗れない気がしたり、また面白い気がしたりとぐるぐるしています
──スズキ皐月


カステラの日々 脱皮して平成/ラム=ラグドール

「カステラの日々」っていいですね。なんかエモさも可愛げもある。そこから一字空けして「脱皮して平成」。何が脱皮したのかは想像するしかないですが、カステラの紙を剥がすイメージとの共鳴があって、良い語彙の選択な気がします。「平成」の着地は特に好みという感じではないですが、この句の中では活きている感がありました。そこまでが日常感強めなので、若干大きいことを言ってもいい磁場が整っているというか。並選です。
──nes
カステラの日々になんだかなつかしさを感じて良かった。平成の取り方では悩んでいて、平成一桁生まれナントカの自分としては平成も十分新しい時代のような気がしつつ、もう令和7年だし平成も一昔前か~って気もしている。
──スズキ皐月
カステラ食ってばっかの日々、ではないんでしょう。カステラ「みたいな」日々……甘い日々? 工業製品的な甘味かな。そして直方体のフォルム、切り分けたとて直方体。単調、色ばかり暖色でぱさついてる。そう、いいカステラ、おいしいカステラじゃない感じがする。のは、「日々」につながってるからと、後に「平成」が出て来るせいか。とはいえたとえいい日々であるにしても、カステラなのでそう派手な日々ではなく、つつましい素朴な日々ではあるはず。じゃなきゃ「脱皮」に至らないもの。でも脱皮したとて「平成」返り。いまや平成が何でできてたかよく知られている以上、もう一度平成をやりたくなんかない。と読んだけど、これは読み手の平成観にも左右される句な気がします。
──西脇祥貴
「脱皮して平成」、平成止めがかっこいいな〜とおもった。
──南雲ゆゆ

ティラノサウルス山々ですが/黒澤多生

早口で言えばごまかせるシリーズの一つみたいでおもしろかった
──雨月茄子春
ティラノサウルスの歴史をもう一度ここから始められると思う。
──ササキリ ユウイチ
山々ですがと言うときは決まって〜したい気持ちはとか〜なのはという文言がセットになっている。ティラノサウルス山々ですがはそもそも文法的におかしい、にも関わらず謎の説得力がある。ティラノサウルスという語彙の強さというよりは、長さがそうさせるのだという論は提示しておきたい。
──南雲ゆゆ
ティラノサウルス山々は怖いな
──スズキ皐月
語呂良いなあ。ありがた山を思い出したので、令和の地口ってかんじがする。なにもかかってないけど! しかし使っていくには長いな、ティラノサウルス。「飲み会ですかー? 明日ー? えー、そうスなー、行きたいのはティラノサウルス山々ですがー」――ティラノって仇名付けられちゃいそう。
──西脇祥貴

電車のなかはHARIBOの群れ/城崎ララ

グミ句2つ目か。満員電車に乗っていると、一人ひとりが個人というより群れのように見えることがある。駅に停まっては降りる人がいて、新たに乗ってくる人がいる。ある程度統制がとれた群れの動き。乗客がHARIBOのカラフルなクマであれば、窮屈な都会の電車も少しは可愛げがあるのに。
──小野寺里穂
明るいかわいいって行き過ぎると怖さになるのはよくあるけど、そこにハリボー使ったのはすごく良いし好みでした。あのサイズ感で床にびっしりだとしたらかなり良い景だと思う。
──スズキ皐月

選者だらけの水泳大会/ラム=ラグドール

柄井川柳ののし泳ぎは見物でしょうね。小島六厘坊とか浅井五葉は泳げるのかな。でもべつに川柳の選者とは言ってない。何を選する/させられるのかわからないまま選び続ける者たちの、つかの間のハレの日。ポロリもあるよ! はもはや死語。我々は、わけもわからず集められわけもわからず泳がされる者たちの、宙ぶらりんの競走を眺めて誓いあおう。もっとおもしろいことやろう、って。披講なら爆笑間違いなし。
──西脇祥貴
メンバーが気になる。見てみたい。
──スズキ皐月

租庸調忘れて歌う海じゃない?/スズキ皐月

なんかいいかも!
──雨月茄子春

あえて踏むガムの五丁目四番地/西脇祥貴

完全に伝統川柳、写実の句として取りました。ポイントは助詞「の」でしょう。「あえてガム踏んで五丁目四番地」とか色々形は考えられるところを、「の」に負荷をかけることによる工夫が良かったです。あえてガムを踏むことってそんなに無いシチュエーションだと思うんですが、この主体にはそうしたくなる理由があった。その辺りを考えるのが楽しい。並選です。
──nes
勤務先の市は歩道にガムが落ちまくっている。それをあえて踏む無為に意味を見出せるなら、そのガムにも奥行きを見出せると思った。一丁目一番地、二丁目一番地、……五丁目四番地。
──西脇祥貴

意味の通りに落穂拾いを/ササキリ ユウイチ

これは命令なんだろうか。「落穂拾い」を慣用句的に受け取るのではなく実際に実行しろという。いやな感じ。
──小野寺里穂
意味が指し示す通りに(そのやり方で、その経路で)、と読むのと、落穂拾いしなさい、と言われて、その言った意味の通りに……と読むのがあると思う。前者かなと思う。後者は指示のある前提がだいぶ欠かせないので。それで前者とすると、意味がどこからやって来た何なのかが不明瞭で、ひょっとすると啓示みたいに降って来たのかとさえ思わされる。特定の何かの意味、ではなく、意味の総体というような。モノリスですね。その示すとおりに落穂を拾う。大宇宙の意志とか、そんな話もちらっとよぎる。それくらい強大なものを思い合わせないと、「意味」のどんどん大きくなるサイズを捉えられなくなるから。句の頭に、いっさいの修飾なくおかれた効果は抜群。落穂拾いという大地に関わる行動も相まって、大きな循環の中にいることに自覚的な句なんだな、と再確認しました。七七だし。
──西脇祥貴
77のリズムに順接にカッコ良すぎる(のが自分にはマイナスに働いちゃった)
──雨月茄子春
もう少し何かが欲しい感じ。77では少し物足りないか?
──スズキ皐月

全力は週一までのエレベーター/スズキ皐月

ぼくたちはライスワークで仲直り/公共プール

造語かと思って一応調べたら存在する言葉なんですね、ライスワーク。検索結果見たらまあ、ライスワークを下位に置き、ライフワークやらライトワークやらのほうが偉い的な言説ばかり出てきた。労働の多くはライスワーク。残念ながら。だけどライスワークのなかでぼくたちは偉大なことが出来るんだと信じたっていい。仲直りとかね。
──南雲ゆゆ
ちょっと打算的な感じが「ぼくたち」でかわいくしてあってバランスが面白い。
──スズキ皐月

地殻変動ねむっては尾根/小野寺里穂

これはプレートテクトニクスギャグです。「ねむってはいねえ」と尾根を掛けているし、「ねむっては(起きるたび)」に尾根(を形成する)という造山運動を表現してるんですね。にんげんでいえば、横になって「尾根」の発声とともにおしりを突き上げる感じです。主体がにんげんじゃなくて地殻なら聞き取れない重低音の振動でしょうし、そういうふうに他のプレートとコミュニケーションをとった結果が地震なんでしょうね。にんげんなら単純にこういうじゃれ合いがあるのかも。どっちにしろ楽しそう。
──公共プール
内容の大きさが好印象。77の中で地球のリズムを表してる。
──スズキ皐月

花の名で蛸を呼ぶのはあきらめて/ラム=ラグドール

「あきらめて」があることで、あきらめたくない誰かが浮かび上がる。蛸を花の名で呼びたがる人はその蛸に対しての愛が強そうである。しかしその蛸への愛着を捨てさせようとする誰かもいる。不思議なシチュエーションで面白い。
──スズキ皐月
エモい
──雨月茄子春
すでに何度も挑戦した気配。ドリカムが何度でもああ言おうと、どうにもならんことはたくさんある。そんなの分かったうえであの歌なんでしょうけど、それでも世の中にはこの句くらいわけのわからんことはある。衝動である。衝動が主体の相手をして、蛸を花の名で呼ばせしめるのである。もちろん蛸は振り向かない。レンゲでもパンジーでもコキアでもないから。でもやるんだよ! あきらめなんかするもんか!! と、なぜか「あきらめて」より衝動の方へ目のいく句でした。そこがあまりに魅力的すぎなのかも。
──西脇祥貴
蛸をペットにしてる変人を諭している家族だろうか。花の名じゃなくても、蛸は呼びかけに応じてくれない気がする。どの花の名で呼んだんだろう、というところが気になりますね。
──南雲ゆゆ

カラリスの助走みたいな神話やの/南雲ゆゆ

「やの」の軽さが良いのはある。そこに神話とカラリスの助走の類似が来ると、カラリスの助走に不思議な高揚と感動が生まれていると思う。
──スズキ皐月

はらだいこマイメロディの筋弛緩/ササキリ ユウイチ

マイメロと筋弛緩は取り合わせとしてすごく良い気がする。はらだいこはうまく取り切れてない。
──スズキ皐月
「マイメロディ」に合わせてほしくない単語だらけで笑った。この笑いこそが筋弛緩……
──ラム=ラグドール

ハッピーバースでんでらりゅうばはこわい歌/雨月茄子春

ハッピーバースデー歌ってていつのまにかでんでらりゅうばになったら確かに怖い。「でんでらりゅうば」は「出られるならば」という意味らしい。「出られるならばハッピーバースデー」ということ?
──黒澤多生

桜から幽体離脱する桜/nes

「マリリン・マンソンからマリリン・マンソンが脱退」みたいな。桜の桜性は花の方にあって、花が散った後の桜は桜と認識されづらい。幽体離脱した後の桜は幽体離脱したと気づかれずにそのまま来年の春も咲き誇るのだろうと思う。
──黒澤多生
西行寺幽々子のことを想いつつ。桜から幽体離脱するのが桜であることは自明なのに、あえて「桜」と繰り返すことでその自明が揺らぐ。桜にはなにか別のものが宿っているのかもしれない。
──ラム=ラグドール
足元に死体を埋められがちな桜の、ありそうでなかったホラー要素。散っている花びらは、果たして本当の桜か、幽体離脱した桜なのか?生活における思考に影響を及ぼせる川柳ってすごい。来年の花見はこの句を肴にしてみます。
──南雲ゆゆ
木の幽体離脱! スケールでけえ……。シシ神さまがダイダラボッチになるのと、言ってることはほぼ同じです。幽体離脱、現象としてある、というのはわかるけれども、意志をもってすることなのでしょうか? そこが分からず、なんでしたのか……と思ったけれども、それこそ幽体離脱も自然現象である、とすれば、ひとえに神秘的かも。そして同時に、あんまり見ちゃいけない類の現象な気もする。
──西脇祥貴

2000年問題がやっと咲いたよ/公共プール

実る前に、咲く!2025年の句だけど、これからもっと醸造されていく句。
──黒澤多生
どんな問題にも近い期間で与える影響と、長い期間をかけなければ見えない影響がある。とすればこの句のいうことはじつにまっとう。25年経って咲くことくらい織り込み済みと思われます。気になるのはそれが明るみに出たことを「咲いた」と表現している、そこ。あんなにみんな怖がっていたけど、じつはいい問題だったのか? それともやはり川柳だし、穿って逆を言っているのか……いずれにせよ「問題」が視覚的に「咲く」さまなんてそう見られるものじゃない。また萎む前に早く、見に行こ!
──西脇祥貴

Go. Bang. (きよしこの夜その背中)/西脇祥貴

なんかわかんないけど好きですね。きよしが生きてるみたいで、昔仲良かったけど疎遠になった友達みたいで。お元気そうでなによりです。
──公共プール
( )内が先にできた。ここが読みやすいので合わせて前を付けた。殺す銃かどうかはわからない。
──西脇祥貴

謝罪。孔雀の二の舞はやだ。/城崎ララ

カタコトキャラのセリフみたいで、このコマの前後が気になった
──雨月茄子春
煌びやかなものに「二の舞」をつける面白さ。でも孔雀は食べることもあるらしいのでつきすぎかもしれない。結構強めに見える「やだ」に対して謝罪自体は「謝罪」で済ませているところが読みどころかもしれない。
──ラム=ラグドール

藤井風を買って領土は売ってしまおう/雨月茄子春

風と土の対比。ここでの藤井風、その音源、という意味が隠されているように、なんか見えない。本人の身体そのものか、あるいは「風」が立ってくる。おそらくずっしりした名詞「領土」からの反射もあると思う。心酔じゃない! しかし気を付けな、特定の一人に心酔するのは、どこまでも危険だぜ。あとこれ語られる順序から、藤井風を買う財力はとっくにあって、領土は藤井風の代金に充てたいわけじゃなく、ただ藤井風に比べたら要らないから売った、という風に読めますね。心酔じゃない!! いよいよ藤井風本人を買おうという話が、本当になってきた……。でもたぶん本当に大事なのは藤井風でなく、領土を売ってしまうことの方だと思う。領土を売ることは、領土の歴史や営みを売ることだから。一人の為政者の手になんかどうあがいても余る重大事が、ここまで軽く語られてしまうとは。いたって現代的なディール、だと思います。
──西脇祥貴
風を名にするとはこのようなことである。ただの呼称。風は買われる場合は内容になって、風は吹く場合は表現となる。
──ササキリ ユウイチ

かなり安直に子供が育ってる/ササキリ ユウイチ

かなり、がおもしろい。子供に対しては、かなり、という副詞がよく似合う
──雨月茄子春
十七音、はともかく急にどうした?! まっとうな指摘過ぎて、こういう句ビー面になさすぎて、出す場所間違えてないか心配になりました。でもそういえばそうだな、番傘とかって見たままとか心のままとか言う割に、こういう心のままが出た句ってそんな見ない気がする。川柳としてどうかとか言う前に、これを自分でも言えるのか、まず確認してほしい。試金石みたいな句。
──西脇祥貴

マーシャルも笑ってしまう落とし物/南雲ゆゆ

幽霊ちゃんスシローに来ては泣いている/スズキ皐月

スシローに来るんだから、スシローの地縛霊ではなさそう。くら寿司でもはま寿司でもなく、スシロー。親がスシローしか使わなかったのかな。で、「来ては泣いている」。そうでなくても幽霊はよく泣いている。だからふしぎなのはやっぱりスシローだ。どうしてスシローなんだろう。何店だろう。何時くらいに来るんだろう。見えるんだろうか。席へ通されるんだろうか、勝手に座るんだろうか。そもそも座るんだろうか。座ったとて、すぐ泣くだろうか。なにかきっかけがあって泣くだろうか。そして哀しいんだろうか、嬉しいんだろうか……これだけの興味はみな、スシローから湧き出している。スシローにいる幽霊、というワンダー。ある意味これも幽霊という問いに、スシローで答える問答体と言えないか。そして未来、スシローが一店舗もなくなったあとでも、謎に耳障りのいいおもしろ単語として生き残るであろうスシロー。一人勝ちじゃん。それと取り合わせるためのチューニングとして「ちゃん」か……ものすごく手のかかった句、なのでは。
──西脇祥貴
「スシローに来ては」の語呂が気になった。「スシロー来ては」でも意味は伝わると思う。幽霊を幽霊ちゃんと呼び、スシローによく来るらしい(幽霊ちゃんについてきてるのか、幽霊関係なくスシロー好きな人なのかは分からないけど)主体はきっとフッ軽でお調子者だろうから、勢いある語呂のほうが合ってる気がする。
──南雲ゆゆ

区分上/第三の孫/募集中!/黒澤多生

嫌な電柱だな!
──雨月茄子春

総評

固有名詞が多かった回。その固有名詞のインパクトに対して適切な語彙や文体を採用できているか?という視点で見ました。
──南雲ゆゆ

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