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なしかと思ったらありだったメトロンズの演劇ー芸人演劇を垣間見るーラカン風分析を添えて

 令和7年9月中旬、メトロンズと呼ばれる劇団をみにいった。演劇鑑賞を趣味として15年以上経つが、当初好きだった劇団も結果的に15年たっており、明らかに演者たちも後期高齢化社会になりつつあり、今は少しでも新しい劇団を探している。
 メトロンズとは、2021年に吉本興業に所属するお笑い芸人のしずる、ライス、サルゴリラの3組と、作家・演出家の中村元樹氏を加えた7人組の演劇チームである。
 今回は、第9回公演『No Sing,No End!』を赤坂RED/THEATHERに見に行った。
 物語は、千葉県の岡村梨園を中心に繰り広げられるプラスティックコメディである。
 都内の謎の資産家徳則(児玉智洋)と聖(川上友里)という夫婦が梨園にやってきて、梨園の職員の山崎(純)に梨を取ってきてもらう。そこに近所に暮らす緒形(田所仁)が「岡村梨園」にやってくる。
 こんな所に梨園があったかという話をしていると、山崎が持ってきた梨を徳則・聖夫婦は食べてその美味しさに感動する。
 しかし、そこに突然、山崎に監禁された秀雄(池田一真)と妻の貴子(福井夏)が姿を現し、山崎にこの梨園を乗っ取られたと言われた。そして、山崎が秀雄の土地を勝手に使い、梨を作っていた事がわかった。最終的には全員が協力し、山崎か考える梨の味の向こう側にある「あり」を作るという内容であった。
 私的には錯綜する梨からの「あり」という幻想とも言える存在への希求は登場人物にとって梨へのリピドーが外的に備給され対象αが抽出され転移を引き起こし転移のシニフィアンが出現しているともいえ、そのシニフィアンはあくまでも梨に留まっており、ファンタムス(空想世界)が成立していた。一方で、「あり」の存在を盲信する山崎だけは現実を寡黙に否認し、ナルシズムに退行し、ラカン的な享楽の脱局在化が生じ、ファンタムスの機能不全を起こし妄想機能によってファンタムスの代理(妄想性隠喩)が作り上げられ、結果的に己を「あり」と同一化させ悲劇的な結末に結びつけらたと考える。
 ラカン風の分析はここまでにして、 会話の各所各所に散りばめられた笑いの要素や最後の出演者全員のカタルシスも含めて非常に有意義な時間であった。
 私にとっては他の芸人演劇の享楽への可能性を見い出せた貴重な演劇体験であった。
 なお、メトロンズの過去公演はすべてYoutubeで見られるらしいのでお時間のある方は是非見てみてください。非常にお得な気がします。
すげえぜネット文化!!

参考文献 松本卓也 人は皆妄想する(増補新版)青土社

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