初対面で意気投合。知らない人に導かれて辿り着いたメスカル工房とカルナバル —— サンタ・カタリナ・ミナス
こんにちは。オアハカ在住のさるです。
今回は、メスカルで知られる小さな村サンタ・カタリナ・ミナスを訪れたときの記録です。
オアハカ市内とはまったく違う文化と暮らしに、驚きの連続でした。
村へ向かうまでの珍道中
2月17日、オアハカの各村でカルナバルが開催されていました。
午前中から昼過ぎまで、木彫りで有名なサン・マルティン・ティルカヘテを訪問し撮影。
サン・マルティン・ティルカヘテのポートフォリオはこちら。
その先にあるオコトラン・デ・モレロスを経由して、サンタ・カタリナ・ミナスのカルナバルに初参加してきました。
去年、行こうと思ったんだけど、あまりの猛暑とサン・マルティンでの撮影が過酷すぎて訪問は断念。
1年越しの目標、ようやく達成です。
さて、問題はここから。
オコトランからサンタ・カタリナ・ミナスへ行くには、乗り合いタクシーか乗り合いトラック。
でも発着場所が全然わからん。
たぶん、その辺にあるんだろうけど…。
人に聞けばいいか!と思ったが
メキシコ&オアハカあるあるで
何人かに「サンタ・カタリナ・ミナス行きはどこから出てますか?」と聞いたら、みんな違う情報をくれるのよ。笑
同じ道を3回くらい行ったり来たりして、まぁ今回はダメなら来年行けばいいかーと思っていたら、トラック来たー!
荷台に乗り込むと、首からカメラかけたおじさんと女性が話しかけてきました。
「そのTシャツ、○○のデザインだよね?」
「あ、これメスカル・フェアで買ったやつです。サンタ・カタリナ・ミナスのカルナバルに行くんですか?」
なんと、彼らは友達のメスカル職人さんに招待されてカルナバルに行くそうで!
パレンケ(メスカル工房)で、体に色を塗ったり準備しているところも見れるって。しかも「一緒に来る?」って声かけてもらった。
うわぁ、マジで!?
ツアーのお客さんと専用車で私のおすすめメスカル工房はご案内したことはあるけど、ひとりで村訪問は初めてなので、ありがたく便乗させてもらうことにしました。ちなみに、その方もメスカル関係者です。
工房で出迎えてくれたリカルドくん
工房に着くと、マエストロと呼ばれる青年が出迎えてくれました。
若いなぁ…27歳だって。
挨拶したら、いきなりスマホを取り出してFBページの画面を見せてくれた。
「キミ?Saruyaoax の人だよね?俺フォローしてるよ!」
マジで??嬉しい!!ありがとう!
いきなり打ち解けたよ。笑

まだ自分のグループが集まってないので、村の中心で地元TV局が取材しているところを見に行くことに。

そして、まさかのお昼ご飯もご馳走になることに。
カルニータスめっちゃ美味かった。
村の招待客や警備の人たちに混ざって食べました。

ちなみに、村あるあるですが、スプーンやフォークがないことが多いです。
トルティージャを千切って肉をつまみ、フリホーレスやワカモレに付けて食べる。
村の食事は、トルティージャを制した者が勝者なのです。

カルナバル準備の村散策
食後、まだ時間があったので、他の工房でもカルナバル準備しているところを見せてもらうことに。
この時期、どのパレンケでも悪魔の仮装準備をしているそうで
「見せてもらっていいですか?」と聞くと、快く迎えてくれました。
お祭りマジック?すごい。
それともこの村の人はみんな外の人にもオープンなんだろうか?

この体の斑点は、メスカルを飲むバシートに使われる、葦の一種「カリーソ(carrizo)」の茎に絵の具をつけてハンコみたいに押していきます。
昔は、絵の具じゃなくて墨を使っていたから、黒かったそうです。

準備中のポートフォリオはこちら。
途中、食用のサボテン(ノパル)畑も発見。

赤い染料用の虫、グラナ・コチニージャ用のサボテン畑は見たことあったけど、食用畑は初めてでテンション上がった。
ビックリ文化あれこれ
今回のマエストロ・リカルドくんは、27歳ですが12歳から叔父さんと一緒にメスカル作りに関わっているので、人生の半分はメスカルと一緒に生きてきた人。そう考えると若くても経験豊富なマエストロです。
本人も、12歳でメスカルを口にするって、みんな驚くし普通じゃないと思うけど…でも、この村でメスカルづくりの仕事を覚えるためには、必要な事と言ってました。
村の歴史やメスカルの現状も詳しく、いろいろ教えてくれた。
今回はお祭り気分で、美味しいメスカル(アルコール度52%)を3杯ご馳走になっていたので、大筋しか覚えてないんだけど。
彼曰く、この村は色々搾取されてきたそうです。
もともとサポテカ文化の村はサポテコ語の「Zozoquiapam(ソソキアパン)」と呼ばれていましたが、スペイン統治時代に「サンタ・カタリナ・ミナス」に名前が変わり、サポテコ語や文化も奪われたとのこと。
メスカル工房は村に点在していて、小さな工房でも伝統的なメスカル(mezcal minero)を作っています。
今では珍しい『素焼きの壺』を使った蒸留を頑なに守り続けている場所。
村のいたる所では、一般住宅の横の庭先からマゲイ畑や作業場が見える。
カメラを首からかけてたエクトルさんが色々なパレンケを案内してくれました。
ここは、70歳越えの大御所マエストロのパレンケ。


大きな工房もあれば、自宅横に小規模な蒸留設備やマゲイ畑を持つ家庭的な工房も。


いままでは、大~中規模な工房しか見たことなかったので、こういう村の現場は興味深いです。
現在は、小さい工房で作ったメスカルは大きな販売元が買い取り、自分達のメスカルが別の名前で売買されている事も増えてきて、悲しいと言ってました。
8年前の驚き体験
8年くらい前、村のメスカル工房に立ち寄ったときの話。
工房に誰もいなくてウロウロしていたら、近くの民家から小学校高学年くらいの女の子が出てきた。
「すいません。工房見学したいんですけど。お家の人いますか?」
って聞いたら、
「ちょっと待って、スエグロ(義父)に聞いてくるね」
え?あの子結婚してるの!?日本人的感覚だと早婚すぎてビックリ。
でも、オアハカの人は男女とも小柄。
実年齢より若く見えただけかもだし、こういうのは部外者が口出しできる話でもないので、いまでも村の文化として受け止めています。
生活と生業が密着する村
近代メキシコ人や日本人からすると驚きの連続ですが、この小さな村では生活と生業が密接に結びついていて、とても興味深いです。
次回はリカルドくんに、じっくり村案内とメスカルの話を聞きたいと思います。
そして彼が自慢していたこと。
コロナ禍でも「村ではコロナで亡くなった人はいなかった」と。
理由として、日常生活の習慣や伝統文化の中で培われた体の強さ=小さい頃からメスカルに関わっている影響だと、彼は考えているそうです。
私も、風邪で喉が痛いときにメスカルをゆっくり喉に通すと、アルコールの殺菌作用で症状が緩和する気がするので(思い込み?)
それは…ありえるかもなーって思いました。
家には、喉痛い時用の中瓶メスカルが2~3本あります。
近々、またこの村をゆっくり訪問したいと思います。
次回の、新たな村の文化発見話を楽しみにしていてください。
※サンタ・カタリナ・ミナスはメスカルの伝統製法「メスカル・ミネロ」で知られる村です。
こちらは前に作ったショート動画です。
ご興味あれば是非ご覧ください。
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