SNS疲れで発信がつらいあなたへ|数字に惑わされず気づいたこと
こんにちは、オアハカ在住のさるです。
2026年の活動の一つの節目として、
1月最後の月曜に、この記事をアップします。
SNSを使っていると、知らず知らずのうちに「いいね」やフォロワー数に振り回され、自分の歩みや価値を見失いそうになることがあります。私も、例外ではありませんでした。
20年にわたり現場で職人とともに歩み、オアハカの伝統や文化を伝えてきたと自負しています。しかし、SNS特有の「手軽な憧れ」の波の中で、自分の言葉や経験が埋もれていくように感じることもありました。
事の始まりは、2025年にnoteをスタートさせたことです。
毎日おすすめに並ぶ、メキシコやオアハカの記事自体に、違和感があったわけではありません。
ただ、その中で紹介されていたリンクをたどった先に、私がこれまで意識的に距離を置いてきた、キラキラした誇大表現や、事実とは少し違う情報が流れ込んできました。
読み進めるうちに、いつの間にか封印していた
「関係のないアカウントは見ない」
という自分なりのルールが崩れ、気持ちが迷走し始めたのです。
「映え」と「数」の息苦しさの中で
SNSを開けば、オアハカの断片を切り取った「映え」や、
旅のための消費型情報が、勢いよく流れてきます。
「私のやってきた20年の記録には、一体どんな価値があるんだろう?」
そんな問いが、ふと頭をよぎることがありました。
2006年からこの土地に住み、
彼らの隣に立ち続け、文化の変化も、日常の揺らぎも見てきたからこそ感じる、一種の焦りだったのだと思います。
観光から始まる「好き」も、オアハカにとっては大切な入口です。
2005年、私自身も一人の旅行者でした。
旅行者の「オアハカにいるよ。オアハカ最高!」という投稿や、現地の楽しそうな写真に、ニッコリします。
でも、最近どうしてもモヤモヤするのは――
インフルエンサー気取りで、
オアハカを「自分が目立つためのアクセサリー」として演出し、
結果的に、人や文化を間違った方向へ
消費してしまっているように見える表現です。
正直に言えば、それは「違和感」というより、警戒に近い感情です。
間違った名前で文化を広め、職人を自分を飾るための「背景」として消費する――。
そんな、歴史や営みへの敬意を欠いた「キラキラした演出」が、本物の価値を静かに削っていくことに、私は強い危機感を抱いています。
たぶん、考え方の違いなのでしょう。
私は
「主役はオアハカ」
に徹するため、黒子の立ち位置を選んでいます。
「オアハカにいる私、素敵でしょ?」
――その、真逆です。
また、各方面のプロと話をしていて、感じることがあります。
タコス、メスカル、民芸品、メキシコ文化。
さまざまな分野で「プロ」として携わっている人ほど、
SNSの攻略法を研究するよりも、本業を磨くことに時間を使っています。
24時間、SNSの注目度を上げる作戦を考えているわけではありません。
本物が埋もれてしまう。
それも、今のSNSの現実ではないでしょうか。
「窓口としてSNSを活用したい」と思っていても、上手にできない。
それもまた、正直なところです。
視界を広げた先にあった、圧倒的な「答え」
改めて、自分は誰に向かって発信したいのか。
それを振り返るため、
長年使っているFacebookの個人アカウントを見返しました。
そこに並んでいたのは、
日本の流行とは無縁の、
ただひたすらに私が追いかけ続けてきた、
オアハカの祭りと、人々の関わりを写した写真たちでした。
私の各SNSのフォロワーは、商売をしている割に
そんなに多くありません。
でもなぜか、Facebookには1.4万人以上のフォロワーがいます。
数字だけ見れば、少し異質です。
自慢に聞こえたら、すみません。
でも、このアカウントの特徴は、数ではありません。
フォロワーの大半は、日本人ではない。
この街に生きるオアハカの人々、そしてメキシコ人たちです。
タイミングよく、友達に言われました。
「ちょっと!
1.4万人のほとんどが現地の人って、すごくない?
日本人のアカウントなのに!」
その時、確かにそうだな、と思いました。
数字ばかりを見て、
「誰に支持されているか」という、
いちばん大切なことを、私は見失っていたのです。
2023年以前は、日本の方に応援され、
700人ほどのアカウントでした。
その後、オアハカの文化として長年投稿してきた「ゲラゲッツア」の写真が、少しずつ現地の人たちに届き、フォロワーが一気に増えました。
それが、
「オアハカの人たちのパワー」
でした。
彼らは、私の視点から見たオアハカに、
日々「いいね」を押し、温かい言葉を残してくれます。
彼らが認めてくれたのは、「外側の私」ではなく「共にいる私」
メキシコの人たちは、
自分たちの文化を安っぽく消費されることを嫌います。
そんな彼らが、
一介の日本人である私を支持してくれる理由。
それは、
私が20年、彼らの横に立ち続け、
「主役はオアハカの人」
に徹してきたからだと思います。
私が見た「オアハカの素敵」が、
彼らにとっても
「これは自分たちの誇れる文化だ」
と受け取られ、評価されたのだと感じています。
お祭りで出会った小さな子どもが、
時を重ね、魅力的な大人へと成長していく。
その過程が、私の写真には残っています。
家族でもない私が、
記録し続けてきた、オアハカの一部です。
祭りの場に通い、
邪魔にならない距離感で見守りながらシャッターを切る。
すべてを共有してきた
「身内」としての視線を、
彼らは私の写真の中に見出してくれているのだと思います。
救いとしての、1.4万人
日本のSNSで感じていたモヤモヤや虚無感は、
実は、とても狭い世界の出来事でした。
現地の実情とそぐわない情報に心を痛めていたのも、
自分が誰に向けて、何を発信したいのかを、
見失っていたからでした。
1.4万人のメキシコ人が、
私の視点を「本物だ」と認めてくれている。
そして、
いつも応援してくれる日本の方々がいる。
この事実こそが、
迷いの中にあった私に差し伸べられた、
いちばん温かく、力強い救いの手でした。
「ああ、私はこれでいいんだ」
外側からの評価ではなく、
愛してきた「現場」そのものが、
私を肯定してくれていた。
これほど嬉しいことはありません。
結び|数字に振り回されず、彼らの隣で見たことを、ただ伝えよう
SNSの濁流の中で自分を見失いそうになったら、
また、彼らの眼差しに帰ればいい。
キラキラした演出ではなく、
オアハカの、文化と歴史が積み重なったこの場所へ。
旅行のお得情報は、
今やネットやAIですぐに手に入ります。
それは、私自身も去年から実感していることです。
みんなと同じ情報で競っても、
「え?情報の出どころはどこ?」と疑い続けても、
疲れるだけではないでしょうか。
誰でも見つけられる情報を並べただけの文章や、
一瞬それっぽく見えるキラキラ動画を、気にするのを辞め、
「私にしか書けないものを書こう」――と、吹っ切れました。
嫉妬と焦りは、今のSNSの影のような存在です。その力をどう使うかで、私たちは伸びることも、沈むこともあります。
だから、自分に言い聞かせ、発信の方向性を変えました。
2026年は、
現地20年の経験に基づいた
「私だけの視点」
で、オアハカのストーリーを届けていきたい。
最近の私のnoteを読んで、
「前と、書く内容が変わったな」
と感じた方がいたら、
それは、たぶん気のせいではありません。
この葛藤の中で、
私なりの答えを見つけたからです。
もしこの文章を読んで、
「私も同じ」
「出口が見えてきた」
と感じてもらえたなら、
この記事を書いて、本当によかったと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
▼この記事を書いたのは、こんな人。
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