実家のお盆は稼ぎ時。お盆になると思い出すこと。
こんにちは、オアハカ在住のさるです。
お盆は実家の稼ぎ時で、
私も小学生の頃から祭り場でお店を手伝っていた。

実家の稼業はちょっと変わっていて。
コメ農家とおもちゃ屋を経営していた。
それも、おもちゃ屋はお祭り場にテントを組んで売っていた。
傍からみたら、テキ屋にみえるんだけど。
不思議なことに、正真正銘の「堅気」である。
これは、おじいちゃんの代から続いていた。
たぶん、おじいちゃんがちょっと気骨のある人で、なんだかんだで、
テキ屋界隈からも「あの人だから…」って感じで見られてたっぽい。
お店の周辺には本物のテキ屋が並ぶ。
ヤンチャしそうな兄ちゃんが、兄貴分に教えられ。
たこ焼き、焼きそばを焼いたり、綿あめ作ったり、くじ屋をやっていたりしていた。
田舎の村祭りなんだけど。
実は、意外とちゃんとしているな。と思ってた。
同じ祭り場で働くので、
挨拶は基本中の基本。みんなする。
仕事上がりは
お先にー。
お疲れ様です。とか言う小学生。笑
テキ屋の親方っぽい人がお祭りのご祝儀として、各出店からいくらか集めて、お祝い兼電気代として祭りの主催者に渡す。
テキ屋側も、祭りがあってこそ商売ができる。
だから祭りを運営する側にちゃんと義理を通すんだなって思っていた。
今の令和の時代こんなことを書いている私もどうかと思うが。
テキ屋には、テキ屋のルールみたいなもんながあって、それを守って義理を通していれば、普通だったと思う。
たこ焼きとか焼きそばとか売れ残ったら
「これ、もってってー」とお土産でもらったり。
父も、飲み物とかお弁当とか差し入れしたりもしていた。
でも、子供目線での風景だったから、本当はどうだかはしらんけど。
私もお祭りがあるときは、小学生なのに離れた村の祭り場に連れていかれてお店番をしていた。
お店番じゃない時は、家のお留守番と妹弟の世話とごはんづくり。
これを、小学校4、5年くらいからやっていた。
昭和の時代じゃあたりまえだったけど。
いまなら、ヤングケアラーとか言われそう。笑
不満は、日曜なのに遊びにいけない。
両親が祭り場に店を出すので、家のことをやるのは子供たち。
お盆なのに村祭りを楽しめない。
同級生はみんなお祭りを楽しんでいるのに。
ちょっと恨み節が入る。笑
でも、親も気を使っていたのか、村で一番大きな祭りがあるときは
手伝い免除で遊びに行けた。
ちなみに、父からは。
「くじだけは絶対にやるな!当たらないから」って何度も言われていた。
さすが、現場を知りつくしている。
それなのに、くじやっちゃう私。笑
そんな感じなんで、子供のころから自立心が旺盛というか。
生意気な児童だったと思う。
そのまま大きくなって今にいたるかもしれない。
専門学校卒業後は、会社員として働いていたけど、オアハカに来てから自営。
なんとなく、収入が安定しない仕事をいまでもやっている私。
妹弟は、会社員として働いている。
村祭りも小さくなった。
日本の村は過疎化がすすみ、子供がいない。
お祭りのおもちゃを買ってくれる人まだいるのだろうか?
父もかなりの高齢だ。
でも、祭り場が好きみたいで、まだ現役でたけんぼ(竹の棒)を担いでテントを張って、おもちゃを売っている。
数年前、日本に一次帰国したとき、ひさしぶりに村祭りを手伝った。
私も堂に入ったもんだ。
首にタオルをかけて、
おもちゃを買わずにいたずらする子供には、
「はい、はい。買わないならさわらなーい。見るだけね」
とか言ってかまっている。
少し前なら同級生が子供と一緒におもちゃを買いにきてくれたけど。
もう、村へ行っても知っている顔は一人もいない。
あれが、もしかしたら私が小学生の頃から手伝ってきた、お店番の最後になるかもしれない。
メキシコは、若い世代がまだ村祭りを支えている。
日本の田舎の祭りはどんどん消えていくのが寂しいなって、ちょっとセンチになったりするお盆の思い出です。
でも、日本の夏まつりは、どんなに小さくても今の私には、風流で特別な存在だったりする。
逆に、めっちゃフォトジェニックだよ。
その祭り好きの血が、いまオアハカで祭りを追っかけて写真を撮っている私の原点かもしれないって、ちょっと思ったりする。笑





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