「伝えるための準備学」から学んだ、失敗を恐れずに生き抜くための哲学。
表紙を開いた途端、滑舌の良い流暢な日本語が、私の頭の中に流れてきた。
聞いたことのある声。
それもそのはず。
その声の持ち主の名は、古舘伊知郎。
名前を目にしただけなのに、頭の中で声が再生されてしまうほどの、圧倒的な個性。私は、彼のことに詳しいわけではない。人気番組で司会をしていたり、テレビ出演をしていたのを拝見したくらいだ。ぎゅっと凝縮された言葉を、短い時間でとてつもなくわかりやすく、かつ面白く話すおじさん、という印象。
古舘伊知郎のことは記憶の片隅にもなかったのに、名前を目にし、彼の言葉で語られる文章を読むと、私の記憶の奥底に沈殿していた彼の声が、ふわりと浮き上がってくるのを感じた。
私が表紙を開いたのは、「伝えるための準備学」。
帯に「あなたの準備で仕事が変わる! 人間関係が変わる!」と書かれていた。
仕事も人間関係も、何かを変えたいと思って本書を手に取ったわけではない。
どちらかと言えば、反対側に書かれていた「平凡な僕が、天才たちの中で生き抜いてきた方法」に惹かれたのだと思う。
圧倒的な個性を放つ古舘伊知郎が、平凡だと?
何を、と思った。
しかし、それが真実ならば、平凡な私が、天才たちの中で生き抜く活路を見出せるかもしれない、とも思った。
読み進めていくと、本書はビジネス書というより、古舘伊知郎氏の自伝だという感想を抱いた。
そして、その自伝を読み進めるにつけ、どう考えても古舘伊知郎は非凡ではないと、私には思えた。
古舘伊知郎氏の準備は、明らかに凡人が行っている準備とは桁外れに異なるものだった。とにかくメモが凄い。そのメモは、前髪しかないチャンスの女神の前髪を、鷲掴みにするための準備運動。動体視力を鍛え、腕力や脚力を鍛え、俊敏さを高めるために欠かせない筋トレ。大谷翔平のマンダラチャートも真っ青ではないかと思うほどに、ギッシリと書かれたメモだった。
そして、その瞬間を逃さない貪欲さ。この世界で個性を放ちたいという、向こうっ気の強さ。
それを天才と呼ばずして、なんと呼ぶのだろうか、と凡人の私は思う。
せめて、自らを天才と名乗ってほしい。
そうすれば私は、耀く栄光を手に入れた人たちを「あの人たちは天才だから」と諦めることができるのに。
天才が自らを凡人と言い切ってしまっては、凡人である私に「あなたの努力が足りません」と書かれた赤札を貼られたのと同じではないか。
のっけから、非凡さを見せつけられた私は、実のところ懐疑的に本書を読み進めた。
もしかすると、類まれなるトークセンスで、古舘伊知郎を凡人に見せかけているのではないかという疑いの目を持ったのだ。
その非凡さを以て、凡人を丸め込みに来ているんだろ、と。
しかし、妙に親近感の湧く筆者のエピソードと、華々しい栄光に隠された裏側の苦労に、私は老眼鏡にベッタリと貼り付けられた疑いの目というフィルターを外さざるを得なかった。丸め込まれたのかもしれないという考えが脳裏をよぎったが、いっそ丸め込まれたいとも思った。
あっさりフィルターを外し、丸め込まれてしまえば、ただただ、読み物として面白い本だった。
なるほどね〜。
えー!そんなことが?!
お!古舘節!
くすくす。
みたいな。
文章の中にすっと差し込まれた毒も、絶妙にわかりやすい比喩も、これまでの準備で培われたものなのだろうと納得せざるを得なかった。インプットの量が圧倒的に違う。それは、紛れもなく努力で得られたものなのだろう。もしかすると、筆者が言う「準備で得られる天才とやりあえる力」というのは、自らが求めれば手に入るものなのかもしれない、と思った。
決して押し付けがましくない語り口は、少年古舘伊知郎へ「未来は明るいぞ」と伝える手紙のようでもあり、まだ自分を諦めきれない者たちへのエールのようにも感じた。
📖
最後に、本書を読んで印象だった章を紹介したい。
第3章「準備の奴隷」になるな、「本番の神様」に従え
── 準備したものを捨てる勇気
全8章あるうちの3章目。
準備が重要と言いつつ、その準備したものを捨てろと、この章で筆者は言っている。
この章には筆者の手書きのメモも載せられていて、そのメモには驚かされた。なるほど、準備とはメモとは、ここまで徹底して行うものなのか、と。
私も仕事をする際には、準備を怠らないようにしているつもりだ。そして、仕事がうまくいくように、シミュレーションもする。なぜなら、不安だからだ。上手く行きますように、と願いながら、頭の中で様々なパターンをイメトレする。
もちろん、自分の予想がハマれば気持ちがいい。
その快感を知ってしまうと、自分が場をコントロールしている気持ちにもなるし、その快感を再び求めたくなったりもする。
でも、当然、うまくいかない時だってある。
その時は落ち込むし、反省もする。下手したら、カッとなって苛立ったりする時だってある。
上手くいった時も、失敗した時も、どんな時も私は必ず"こう"思う。
準備が大事。
仕事に優劣はないけれども、人前で失敗を晒されることのない私でさえ、そう思うのだから、たくさんの目に晒されながら、その一瞬のために準備をし続ける生活をしている筆者も、当然、そう思っているものと考え、私は本書を読み進めていた。
だって、タイトルが「伝えるための準備学」だし。
しかし、一転して「準備を捨てる」とは、どういうことなのだろうか。
準備は準備として行う。
けれども、本番は本番と開き直った方が、いい結果になる時もあるのだと、筆者は語る。
なかなかに勇気のいる発言だと思った。
しかし、その本番の神様に愛されるのは、十分な準備をした者だけだと、後に気づかされるのだけど。
たしかに、全てが予定調和では、何も新しいものは生まれない。
予定調和ではない、準備を裏切るかのような発言に、私は新しい価値観を提示された感覚を覚えた。
📖
本書を閉じた後、不思議と元気になっていた。
元気がなかったわけではない。
でも、なんだか、失敗するのも悪くない、と思えた自分がいたのだ。
一度しか読んでいないし、メモも取らなかった。
全ては頭に入っていないし、正直なところ、今はっきりと覚えているのは読後感だけだ。
ぼんやりとした記憶の残像では、古舘伊知郎が私にエールを送っている。
失敗を恐れずに、生きよ、と。
小さく傷をつけ続けて、自分を磨き続けよ。
人生を、自分を創造し、未来を生きなさい、と。
「伝えるための準備学」重版記念の「ひろのぶと杯」に参加しています。
読書感想文って苦手で、夏休みの宿題に読書感想文が出された時は、いつも「あとがき」のある作品を選んで、「あとがき」だけ読んで感想文を書いていたのを思い出しました。
本書は個人的に、とても読みやすく、するすると読むことができました。
帯に古舘伊知郎さんの顔写真が印刷してあるからか、頭の中で古舘伊知郎の声で文章が再生された時には、自家発電audibleかよ!と思いました。
(比喩の難しさよ)
いや、でもさ、やっぱり天才ですよ〜、絶対!
(まだ言ってる)
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