ミトコンドリアは、ゆっくり財を成していく。
ミトコンドリアは、ゆっくり財を成していく。
明け方、目が覚めて頭に浮かんできたのは、なんともよく分からないフレーズだった。
私はぼんやりと、枕元に置いていたスマートフォンを手に取り、メモを開いた。
そして、その謎のフレーズを書き留めた。
厳密に言えば、入力して保存しておいた。
物理的に書いたわけではない。
私はなんのこっちゃと思いながら、時刻を確認する。
まだ、アラームが鳴る前であることに気づき、再び眠りについた。
いや、正確には眠っていないと思う。
もっと正直に言えば、どうだったかなんて忘れてしまった。
いちいちそんなこと覚えているわけがない。
この頃、私は完全に病んでいた。
死にたいとさえ思っていた。
コロナ禍だった。
そして多分、更年期の入り口に立っていた。
うつ病という名前を付けられた訳ではないし、更年期ですねと言われた訳でもない。
すべては自己診断だ。
素人診断は、やってはいけないことだとは知っている。
でも、そうして納得するしかなかった。
何か病名をつけてくれと思いつつ、レッテルを貼られることを怖がり、インターネットを彷徨った。
現実に存在する病院に足を運ぶことを躊躇していた。
齢40前後。
1 闘う私
コロナ禍の1年頃前から現在に至るまで、私は何かと闘い続けている。
何と闘っているかなんて、正直よくわからない。
ただ、一つだけ思いつくとすれば、人生100年時代という謎のプレッシャーと闘っていることは間違いなさそうだ。
私には、もうすぐ100歳に手が届きそうな祖母がいる。
内臓疾患で入院したことは一度もなく(私の記憶上)、骨折してもリハビリをし再び歩き出す祖母だ。
その祖母を間近で見ていると、私は100歳まで生きるのだろうという謎の自信が湧いてくる。
その自信が、人生100年時代という、人によっては無関係ですよと言い切ってもよさそうなフレーズを、私の中に刻み込んでしまった。
となると、健康でいたいと思うのは人の性ではなかろうか。
医療費に金を注ぎ込むつもりはない。
もらえるのかどうかもよくわからないまま、自動的に引かれ続けている年金に期待していいのかもわからない。
元気があればなんでもできると、赤いマフラーを巻いたおじさんが言ってたし。
とりあえず健康でいよう。
なのに、なのに!!
なんで、急に情緒不安定になるんだよ。
しかも突然。
いや、言いすぎた。
徐々に蝕むように。
突然でも、徐々にでもどっちでもいい。
体は健康なのに精神的に不安定になるなんて、そんな話聞いてない。
勘弁してくれよ。
こちとら、働かせ盛りで仕事は湧いては降ってくるし、食べ盛りの息子たちもいて米はいくら炊いても足りないし、家に帰れば転がって携帯ばかりいじっている夫もいるんだぞ。
その中で、健康に気をつかいながら頑張っているっていうのに。
本当に、勘弁してください。
むしろご褒美ください、神様。
2 最初の異変
最初に異変を感じたのは、いつの頃だっただろうか。
はっきりと覚えている。
39歳。
もうすぐ憧れの40代と、うきうきしていた頃。
私の中では40代は憧れの年代だった。
自慢じゃないが、という前置きで自慢させてもらうと、その頃は初対面の人に必ずと言っていいほど、20代と思われていた。
若造りしているつもりはないが、見た目が若いという自負があった。
なので40歳になれば、見た目は20代、頭脳は40代。その名は、猿荻レオン!!
という赤い蝶ネクタイをした少年のキャッチーなコピーを真似できると、楽しみにしていたのだ。
しかし、40歳を過ぎて数年経つが、いまだにそのフレーズを使う機会は訪れていない。
今後も訪れる気はしない。
なぜなら、日々は刻々と過ぎ、顔には年輪が刻まれる。
憧れの40代に心躍らせながら、30代を満喫していた頃、上司が変わった。
いい人だったが、仕事ができない上司だった。
そして、生理的に受け付けないタイプだった。
まず、においがダメだった。
いわゆるスメハラ。
上司は、私より後に出勤するのだが、においで気づくほどだ。
そして、残念なことに席が隣だったため、仕事中も加齢臭がほんのりと香ってくる。
毎日ではないものの、調子が悪い時はよく香る。
次に、音ハラ。
仕事中に急に膝でビートを刻み出す。
貧乏ゆすりとは違う。
そこにドラムがあるかのようなビートだ。
そして、調子がいいと、終いには机を叩き出す。
お前を叩き出したい、と常に思っていた。
さらに、つまハラ。
上司は、昼食後席に戻ると、おもむろに引き出しを開けて、爪楊枝を取り出す。
その爪楊枝は特段、個包装もされていない。
大量に爪楊枝が入っているような透明のケースに入っている訳でもない。
その爪楊枝は、僕はボールペンやマーカーの類ですと言わんばかりに、引き出しに鎮座している。
上司は、爪楊枝を取り出す。
そして、それを顔面の近くに持ってくると、耳かきを始めるのだ。
その爪楊枝は、仕事を終えると、再び引き出しに戻される。
隣の席で、私はなんとも言えない不快感を覚えた。
その他には保育園のお迎えがある私の就業時刻間近に、宇宙の成り立ちなどを話してくるという謎の苦行を強いられたこともあった。
別に嫌いな部類の話ではないが、今じゃない。
というか、仕事してくれ。
ついでに唾の飛距離も計測しておいてくれ。
意外に飛距離、すごいんですよ。
マスクの着用御検討ください。
思い返せば、他にも色々あったはず。
別にネガティブなエピソードばかりでもなかったはずだが、とにかく変わった人だった。
周囲の目を気にしているようで、少しずれている。
生理的に受け付けないという事実がなければ、チャーミングに思えることもあったかもしれない。
だって、その上司には家族がいるし、友人もいる。
人によっては愛すべき存在なのだ。
ただ、私が苦手だという事実だけで、全てがよくない印象に見えてくるから不思議だ。
私は心を落ち着かせるために、ユニークな人だなと無理やり思い込むようにして、日々を過ごした。
だが、それにも限界があった。
そんな上司と仕事をしているうちに、喉の詰まりを感じるようになった。
そして、若干の息苦しさもあった。
これは完全にストレスが原因だな、と思った。
生理もなんだか心なしかサイクルがおかしい。
私はきっちり28日周期なのに。
ストレスが原因だと思ったが、どう対処するのが正解なのかが分からなかった。
さらに上の上司には相談もしたし、理解してもらっていた。
ストレスの原因であるその上司は、私以外の人も同様に苦手とする人が身近にいて、自分一人じゃないという安心感もあった。
仕事に関しては、上司がいなくても問題なく対応できるようにしていたので、トラブルもなかった。
ストレスなんてどこにでもある。
今までだって合わない上司はいた。
今回だけ、特別なわけがない。
ということは?と色々と調べ、考えた結果、この喉の詰まりや生理不順は更年期の始まりでは、という思考へとシフトしていった。
私の母が更年期が重いタイプだった。
非常に苦労していたのを見ていた。
私ももしかすると更年期が重いタイプかもしれないという先入観もあった。
とりあえず薬局を訪れ、相談し、命の母を買ってみた。
命の母は私にはあっていたようで、不調が軽減された。
私はそのまま様子をみることにした。
3 ストレス期の相棒
その頃の通勤時の相棒は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」と自作の詩だった。
呪文のように、唱えていた。
それを唱えると心が落ち着く気がして、ルーティンになっていた。
「雨ニモマケズ」は、子どもが見ていた教育番組を見ていて覚えた。
いいものは、いつ聞いてもいい。
サウイフモノに私もなりたいと、呪文のように唱えながら自転車を漕いだ。
自作の詩は、長男を産んだ後の育児休業中に作ったものだ。
育児休業中は写真を撮るのにはまっていた。
よく撮れた写真を何か形に残したいと思った。
写真データで本を作れるサイトがいくつかあったので、文章をつけて一冊の本にしてみようと思い、作った詩だった。
小学生の頃、国語の詩の授業で、先生に褒められたのが嬉しかったのをよく覚えていたので詩を書くことにした。
それではどうぞ、読んでください。
猿荻レオンで「ありがとう」。
ありがとうを
いおう
うんととびきりの
えがおを
おくろう
かなしかった
きのうも
くやしかった
けんかも
こころのなかのもやもやも
さっとあらいながそう
しあわせで
すごせるひびが
せかいでいちばんのたからもの
そばに
たいせつなきみがいるばしょが
ちきゅうのどまんなか
つめたくてもあたたかくても
てとてをつないでいよう
とまらないじかんをともにあゆめることが
なによりもしあわせ
にじいろに
ぬりかえよう
ねっとりとしたくらいそらも
のにさく
はなでいっぱいにしよう
ひからびたじめんも
ふたりでもたくさんでもいい
へたでもたのしいほうがいい
ほっとするような
まんまるなおつきさまを
みあげて
むかしばなしをするのもいい
めにはかがやくほしをちりばめて
もっとみらいのはなしをするのもいい
やさしくなろう
ゆっくりすすもう
よこにならんでてをつなごう
ららららんとうたをうたおう
りんとせをのばして
るんとむねおどらせ
れもんのようなこいもして
ろっくなこころいきで
わたしをはじめよう
ありがとう「を」わすれない
か「ん」しゃはつたえるためにある
お気づきの方、いらっしゃいますか?
ちょっと強引なところもありますが、仕様はあいうえお作文となっております。
完成した時、非常に満足して、自分で覚えてしまうくらい何度も読み返したものだ。
いい感じにまとまったと悦に入っていた。
心の清い人が作ったように読める、かもしれないが、そうでもない。
非常にエゴにまみれた詩なのだ。
小学校の教科書にでも載らんかなと考えながら作ったのだ。
そのため、あえて全てひらがなにしている。
まあ、そんなエゴまみれの詩でも、私の心の支えとなった。
私は日々、この二つの詩を繰り返し唱え、合わない上司との日々をなんとか乗り越えた。
4 一変する生活
落ち着いてきた頃、次の波がくる。
それは、私が自分の人生の主人公であることを思い出させるかのようにやってきた。
そう簡単には、穏やかな日々は送れないのか。
私は人事異動で、合わない上司の元を去ることができた。
新たな職場の仕事は、これまでに経験したことのない仕事ばかりだった。
勉強の日々だった。
そして、同時期に世間は新型コロナウイルスという謎のウイルスに翻弄される。
この時ばかりは、インターネットを彷徨うのはやめた。
恐ろしい情報ばかりが目に入り、不安が不安を増長させた。
しかし、不安を払拭させたいと、できる限り前向きな情報を探してみたりもした。
結局再び不安になることも多かったので、スマートフォンをそっと閉じた。
さらには、二人の息子が中学校と小学校に同時に入学。
生活様式、仕事、そして子どもたちの環境まで、私の周囲を取り巻くもの全てが一変した。
仕事は忙しいが、飯を食わさないかん息子たちが待っている。
夫は食事の用意を得意としなかった。
私は早起きをして、朝のうちに三食分用意することにした。
部活が終わると塾に行かなければならない長男のために、ほとんどの料理をレンジで温めれば食べられるものにした。
夕食は一人分ずつ取り分け、皿に入れてラップをし、所狭しと冷蔵庫に並べておいた。
仕事を早く終わらせるために、昼休みも食事をしながら資料を読んだ。
食事が終われば仕事をし、そのまま残業に突入。
夫と次男はゲームに集中すると、食事を取るのを忘れてしまう習性があるので、可能な限り食事に影響のない時間まで残業し、猛ダッシュで帰宅した。
厳密に言えばダッシュはしていない。
自転車を漕いで、家路を急いだ。
帰宅すれば、千手観音のように手を動かし、レンチンの嵐。
レンチンが続くと、Wi-Fiに影響があるらしく次男からのクレーム対応も行った。
慣れないマスク生活は息苦しかった。
仕事もコロナの影響で、過去の資料は役に立たないことが多かった。
エクセルを使えなければ、仕事にかなりの支障が出る。
40歳に突入したババアが関数を覚えなければならなかった。
コロナ関連の苦情対応も多かった。
背中は常にガチガチで、夕方になれば目が霞みだす始末。
コーヒーとチョコレートが唯一の癒しだった。
忙しくても忙しいと言いたくない性分がよくなかった。
気付けば、再び喉のつまりと息苦しさを感じ始めていた。
次第に夜の寝つきも悪くなり、動悸を感じることが増えた。
5 更なる異変
それは突然にやってきた。
車の助手席に座った時だった。
シートベルトをしめた瞬間、背筋に悪寒が走り、手足が急速に冷たくなるのを感じた。
そして、動悸。
呼吸がうまくできない。
車が走り出しても、それは収まらない。
おでこにじわりと脂汗。
感じたことのない恐怖。
焦った私は、車を止めてもらった。
私は後部座席に座り直した。
後部座席で足を伸ばすと少し落ち着くことができた。
その出来事以降、助手席に乗るたびに、最初の経験がフラッシュバックした。
私は、助手席に乗ることができなくなってしまった。
後部座席はなんとか乗れた。
でも、いつまた同じようになるかもしれないという不安がつきまとった。
命の母では対処できなくなっていた。
しかし、仕事は忙しいし、どの病院に行けばいいかも分からない。
私は、インターネットを彷徨い、いくつかの漢方薬を試すことにした。
飲めば落ち着く漢方薬が見つかり、私はお守りのように漢方薬をたくさん鞄の中に常備するようになった。
しかし、問題は車だけではなかった。
美容院に行った時も同じ症状が出た。
会議室に入った時も、映画館に行った時もだった。
自由が効かなくなる環境で、それは突如私を襲うのだった。
家族にだけは症状を話すことができたが、職場や友人には話すことができなかった。
どう説明したらいいかも分からなかったし、心配をされるのも嫌だった。
市販薬を飲めば対処できると思っていたし、それになんとかなっていた。
ただ、症状が改善されることはなく、漢方薬の減りだけが速くなっていった。
コーヒーも次第に濃いものに変わっていった。
その頃、同じ年齢の女優さんが亡くなるというニュースを見てしまい、一気に体調が悪くなった。
眠ってしまうと平気なのだが、寝付くまでが息苦しく、どう息をしていいのかが分からなくなる日があった。
死んだ方が楽なのでは、と考えるまでになってしまった。
幸い、夫と母親が良き理解者で、かなりフォローをしてくれた。
この時期が一番辛かったが、周りの支えもあって乗り切ることができた。
ただ、本当に辛かった。
苦しかった。
6 はじめてのびょういん
できるだけ早くこの暗闇から抜け出さなければと思った。
半分壊れかかっていたのかもしれないが、壊れているという自覚はなかった。
これ以上この状態が続くと、壊れてしまうのではないかと思った。
私は、病院に行くことを躊躇していたが、そんなことは言っていられないと、勇気を出して婦人科を予約した。
メンタルクリニックを予約する方がいいのでは?と頭の片隅によぎった。
しかし、周囲から精神的に強い方の人間と思われている節があった。
私は、自分がメンタルを病んでいるとは認めたくなかった。
風の噂で、一度精神科で薬をもらうと、どんどん薬が増えて抜け出せないと聞いたことがあったのも、メンタルクリニックへの足を遠のかせた。
ただただ、今までみたいに普通に生活したかった。
元気な頃の自分に戻りたい、それだけだった。
私は人間ドックには毎年行っていた。
どの科でも異常はなく、私は健康優良ババアだった。
最初の不調のあたりから、情緒が不安定になるのは排卵期か生理前後だったし、経血の量も極端に減ってきていたので、先に婦人科だと考えた。
これでダメなら、メンタルクリニックに行こう。
不安要素は一つずつ潰していこう。
どうせ一気には解決しない。
しかし、婦人科でも特に異常はなかった。
数値は全て標準だった。
多分PMSだろうということで、ホルモン充填療法を勧められた。
私は期待を胸に、胸にホルモンパッチというようなものを貼った。
だがしかし、急に体調が悪くなった。
自己判断で、二度貼るものかとそれを外し、再びその婦人科に行くことはなかった。
それならと、かかりつけの内科に行ってみた。
動悸がするのは心臓の病気かもしれないと思ったからだ。
やはりここでも異常はなかった。
かかりつけ医にメンタルクリニックに行ったほうがいいかと相談してみたが、表面上、全く病んでいるようには見えない私を見て、医者はその必要はないと言った。
思い返せば、人間ドックでもちゃんと私は相談したのだが、頑張り過ぎなさんなで終わったのを思い出した。
職場でも心配なんかされたことはないし、病んでいるようには見えないらしい。
くそっ。こんなに辛いのに。
そんなこんなで、私は医者が行かなくていいといった事を理由に、メンタルクリニックのドアを叩くのはやめ、自ら調べた対処療法で乗り切ることにした。
7 前進
病院に行くぞと決意した頃には、仕事にも慣れ余裕ができていた。
エクセルもそれなりに上達し、残業をすることもなくなっていた。
夫も、私が遅くなる時には、子どもの食事の用意という名のレンチンをしてくれることも増え、漢方薬だけで十分乗り切ることができるようになっていた。
新型コロナウイルスのワクチンも打ち、以前ほど感染に怯えることもなくなった。
マスクも色々な種類が出てきて、新しい生活様式も馴染んでいた。
女子会という名目で、ただただ鬱憤を吐き出すための会合がなくても、日常会話でガス抜きができるようになってきていた。
おひとり様にも慣れ、カラオケは一人が最高だなとさえ思えるようになった。
死にたいと思うことも無くなった。
ただ、相変わらず車の助手席には乗れない。
映画も一番端の席じゃないと難しい。
美容院に行く前は、いくつか漢方薬を飲まないと落ち着いて席に座れなかった。
その頃、年齢のせいだろうか、朝起きても疲れが取れていない日が増えてきた。
ある朝、起きた瞬間に「疲れたー」と呟いていた。
自分のその声に驚き、これはいかんと思った。
ということで、私は再びインターネットという大海に飛びこんだ。
お得意のネットサーフィンだ。
私は色黒で、よくサーフィンでもするんですか?と聞かれることが多かった。
日焼けの理由は、朝晩の自転車通勤だ。
一時間以内の距離なら自転車と決めている。
サーフィンはしませんと答えればいいだけの話だが、何かいい返しはないものかと、いつも、人の波に乗っていますと返していた。
今思えば、ネットサーフィンはプロ並みなので、素直にサーファーですと返せばよかった。
今後は、正直にサーファーですと返そう。
ネットの波を乗り回すと、副腎疲労というワードに辿り着いた。
そして、何をするにも極端すぎると言われる私は、突然カフェイン断ちを決意する。
コーヒーを飲むようになって数年のコーヒー初心者の私には、まだコーヒーに特別な思い入れはない。
コーヒーを断つという決断をするのは容易だった。
そもそも、なんでこの年齢になってコーヒーを飲みはじめたんだったっけ。
そうだ。それは、肌荒れがひどかった時だ。
その時も、ネットの波に乗り、砂糖断ちという島に降り立ち、砂糖を断つことを決意した。
砂糖を断つのは容易ではない。
大好きなコーラも飲めないし、お菓子も控えなければならない。
毎日食べていた食後のデザートなんてもってのほか。
私は、口寂しさを埋めるためにコーヒーに寄り添うようになった。
おかげで肌荒れは無くなった。
そもそも、コーヒーは苦くて好みではなかった。
昔は、コーヒーは焦げた水ではないか、と言っていたくらいだ。
かろうじてカフェオレは飲めたので砂糖なしのカフェオレを飲むことにした。
次第に、香りがいいとまで感じるほどになった。
マイルドな優しい彼では飽き足らず、刺激的な男性を求めるようになった。
要は、ペットボトルのミルク入りを卒業し、エスプレッソを飲むようになっていた。
コンビニでも手軽に美味しいコーヒーが買えることを知り、職場に行く前にはコンビニに立ち寄るまでになっていた。
そんなコーヒーとのお別れの日は土曜日にすることにした。
私調べによると、突然の別れは頭痛をもたらすらしい。
なので、やはり週末が望ましい。
そこまでしなくても、フェードアウトするように別れる方法もあったはずだった。
しかし、そうは問屋が下さない。
私は、別れると決めたらキッパリと別れたい。
別れの日、その日は地獄だった。
二日酔いより、ワクチンの副反応より辛かった。
頭は鈍器で殴られたように痛いし、吐き気も収まらない。
家族からは、そんなに辛いならコーヒー飲みなよと言われたが、初志貫徹。
絶対にコーヒーは飲まないと決め、鎮痛剤に頼った。
日曜日の夕方には体調も戻り、コーヒー断ちができた満足感があった。
しかし、コーヒーもチョコレートもない。
私に寄り添ってくれるものはなんだろう。
基本的に砂糖が入っているお菓子類は頂き物以外は食べないようにしていたし、どうやったら口寂しさを埋められるのか。
ドライフルーツやナッツは、仕事中には難しい。
マスクがあるとは言え、歯に残る。
ガムはマナー違反だし。
私は、再びインターネットの大海を泳ぎ出す。
今回は、サーフィンではない。遠泳です。
新しい島に到着し、踏みしめる。
現代の技術の素晴らしいこと!
なんと!カフェインを抜いたコーヒーがあるではないか。
私は早速それを入手し、生活のお供とした。
次第にデカフェの量も減っていった。
すると!
夜の寝つきも非常によく、気づけば朝までぐっすり眠ることができていた。
そうなればこちらのもの。
疲労感もどこ吹く風で、メンタルも安定し、漢方薬の量もいつの間にか減っていた。
私は、私の体調不良の根源は、突如飲み出したコーヒーによるカフェイン中毒が主な要因だったのだろうと、勝手に結論づけることにした。
ただ、人体がホルモンに支配されている(知人の言葉を借りました)ことには変わりはない。
私のPMSの症状が完全になくなったわけではない。
けれども、この数年で、自分と自分の体調にしっかりと向き合うことができた。
自分の不調を認め、改めて婦人科に通うようになった。
そこでしっかりと相談することで、自分にあった漢方薬を処方してもらっている。
今では助手席にも乗れるし、映画も見れる。
美容院にも行ける。
会議室で緊張することもない。
いや、そこは、緊張しとけ。
もしかすると、また別の波が来るかもしれない。
今は、その時はその時だと思えるようになってきた。
人間ドックでは体重を除いては、相変わらず健康優良ババアだし、人生100年でもドンときやがれ。
この体重でタックルしてやる。
8 ミトコンドリア
それにしても、ミトコンドリアってなんぞや。
学校の授業で単語が出てきたくらいの知識しかないぞ。
突然、明け方に思いつくワードでもなかろうに。
と私は思う。
疑問に思うとすぐに泳ぎ出すのは私の性分。
よろしく、グーグル先生!!
そして、私は早速調べてみた。
いやいや、先生、なんか、踏むやつ踏むやつ難しいんですけど。
わかりやすくとか、簡単にとか追加しても難しい。
色々と踏み続けた結果、なんとなく、ミトコンドリアが体の細胞の中にある物質ということがわかった。
そして、私がイメージしていたのが、ミトコンドリアではなくミドリムシだったことにも気づく。
ミトコンドリアの知識は一つも持ち合わせていなかった。
自分の体の中にある身近な存在であるというのに。
さらに、ミトコンドリアが60兆個もあるということに驚きを隠せない。
その数、どうやって確認したんでしょうか。
疑問が疑問を呼ぶ。
新たな疑問を解決したい気持ちはあるが、ここはぐっと堪え、ミトコンドリアの知識を深めることにする。
しかし、踏めども踏めども、脳が理解するのを拒む感覚だけが残った。
ただ、体の健康維持のために重要な存在らしいということだけはわかった。
ありがとう、ミトコンドリア。
よく分からんけど、ミトコンドリアを増やして活性化すると元気になれるらしいよ。
ああ、もしかすると私は、ミトコンドリアへの感謝が足りなかったのだろうか。
感謝は伝えるためにあると自分で言っていたにも関わらず。
私は、自分で自分を抱きしめた。
見えなかったものが見えてくる気がした。
とめどなく、溢れる感謝。
これまで、気づかなくてごめ
ん
どうかしてた。
理由なんてない。
ありがとう、ただそれだけ。
明日からも、どうぞよろしく。
リスペクトが止まらない。
がんばっていこう、100まで共に。
ということで、
うちの今日の晩ごはんは、糸こんのドリアにします。(すみません、嘘です)
