08_整うスナップエンドウ
達也も私と同じように、菖蒲さんの口元をまじまじと見つめていた。
「ね、ネズミ…..じゃ……ないよね?」
二人で顔を見合わせる。本物のネズミを見た記憶が、私にはない。それでも菖蒲さんの咥えているものは、どう見てもネズミではないことが、私にも分かった。うなだれた生々しさが足元から這い上がり、無意識に鳥肌を増殖させる。
「── ん、人形?」
達也の声が耳に届き、私はもう一度、焦点を合わせた。よく見ると、人の形をしている。
「確かに、人形っぽいね」
拍子抜けして、小さく呟いた。
私は菖蒲さんの前に、小さくしゃがむ。
菖蒲さんの咥えているものを、両手でそっと受け止めた。その瞬間、今度は両手から頭頂部に向かって、体が粟立つのを感じた。
「ひっ」と小さく息を飲む。
手のひらが暖かい。鼓動を感じる。生きているかもしれない。人形と思っていた物体をじっと見つめた。体から伸びた細い首に丸い頭。髪は金髪で、細長い二本の手と二本の足が小さく揺れている。纏っているのは、革ジャンとチノパンで、全体的に薄汚れてはいるが、完全におじさんだ。それも、大型のバイクにまたがって、海辺の風を切っていそうなファンキーなおじさん。
ただし、体長はせいぜい十センチと人間の大きさにしてはあまりに小さすぎる。あまりに小さな人間は、小さな肩を上下に動かして、間違いなく息をしている。私は硬直してしまった手のひらを、そのまま達也に向けた。
「どうした?」
達也は眉根を寄せる。
「い、生きてる……!」
「はぁ? 変な冗談言うなって」
鼻で笑われて、私はムッと口を尖らせた。
「本当だって!見てよ、息してるじゃん」
達也が手のひらを覗き込んで、「マジだ」と口をあんぐりと空けた。
「ちょっと貸して」
小さいおじさんの首根っこを掴むと、達也は自分の顔の前に釣り上げた。
「精巧な人形じゃないの? これがマジで生きてたら、都市伝説でしょ。ネタになるやつ。小さいおっさん」
達也のその一言で、うなだれた小さいおじさんがの頭が動いた。
「だれが都市伝説じゃ。み、水をくれ……!」
二人で顔を見合わせて、ぎゃあと叫んだ。目と口が、まん丸に開いた達也の間の抜けた顔を確認すると、私の口から、おならみたいな笑い声がぶふふと漏れる。達也が動揺しているおかげで、なぜか落ち着いた。それに最近の不思議な体験のおかげで、耐性がついているのかもしれない。
私は、おじさんを手に乗せて店に入る。
達也と菖蒲さんも私に続く。テーブルにおじさんを乗せて、「ちょっと待っててね」と声をかけた。お猪口に水を入れて、おじさんの目の前にトンっと置く。
おじさんは胡座をかくと、どこぞの横綱みたいに両手でお猪口を持ち上げた。んぐんぐと喉を鳴らしながら、水を飲み干す。ぷはぁと息を吐いて、お猪口をトンっとテーブルに置いた。
「いやぁ、すまんねぇ。神社で死にかけてたら、猫ちゃんがわしのこと運んでくれたんじゃ。猫ちゃん、ありがとな」
おじさんは大きな口を開けてガハハと笑った。菖蒲さんは無関心な様子で、いつもの席に座っている。
小さなおじさんのお腹から、ぐぅと大きな腹の虫の音がした。
「腹、減ったな」
おじさんは、店内をぐるりと一瞥した。
「お、もしかして、ここは飯屋じゃないですか。わし、めっちゃついてるな。ちょっとでいいんで、飯、恵んでくれんか」
私は反射的に眉根を寄せる。図々しい。菖蒲さんの時にも感じたが、この手の人間でない存在って、少し無遠慮な気がする。私が逡巡していると、おじさんは両手をぱんっと合わせて頭を下げた。
「お姉ちゃん。お供えと思って」
「ニャア」と菖蒲さんが、椅子の上で鳴いた。
食事を出せということか。達也に話を聞くいい機会だと思ったのに、余計な邪魔が入った。シュークリームが膨らまなかった時のように、気持ちが萎えていく。
「何が食べられるの?」
「何でも。日本酒も頼むね」
私は厨房に向かった。
冷蔵庫を開ける。すぐに出せるものを取り出す。
もずく酢と冷奴の肉味噌乗せ。それとスナップエンドウが少し残っていたので、さっと茹でた。お湯に潜らせると、「ほぇぇ、あったかい」とスナップエンドウが湯加減を楽しんでいる。一分程経って、ざるにあげた。じゃっと冷水で冷やすと「これが噂の整うってやつか!」とスナップエンドウが間の抜けた声で唸った。私は「サウナじゃないから」と笑う。
「お姉ちゃん、もしかして食べ物の声、聞こえるのか?」
いつの間にかシンクの上にいたおじさんが、私の調理風景を覗いていた。
「ま、まぁ」
くぐもった声で、私は返事をする。
おじさんは破顔した。
「そうか〜!お姉ちゃんが、食べ物の声が聞こえる人間か。本当に、久しぶりに見たぞ。食べ物たちが喜んどるのが、よ〜くわかる。嬉しいなぁ」
私は首だけ動かして、ぺこりとお辞儀する。
もしかして昔は、もっと沢山の人が、私みたいに食べ物の声が聞こえたのだろうか。
お盆に料理を乗せて、お猪口に日本酒を注ぐ。そのお盆の上に、おじさんがジャンプして乗った。身軽なその動きは、まさしくノミだ。「待ってました〜」と胡座をかいて、日本酒をぐびりと飲んだ。かは〜と喉から息を吐き、幸せそうに目を瞑る。私はお盆におじさんと料理を乗せたまま、店内へと運んだ。
よくわからない展開に、達也の目が泳いでいる。
盆をテーブルに乗せ、片付けのために厨房に向かう。
「おっと、お姉ちゃん、ちょっと待った。ほら、お兄ちゃんもここに座って」
おじさんは私たちに、テーブルに着くよう要求した。
「せっかくだから、乾杯しようじゃないの」
強引過ぎる。でも、おじさんには少し興味がある。小さいおじさんと言えば、幸福を呼ぶと聞いたことがあった。ここで優しくしておけば、何かいいことがあるかもしれない。
私は、瓶ビールグラスを二つ用意した。
「乾杯」と三人でグラスとお猪口を合わせる。
「それより、あんた、何者なんだよ」
達也が、不躾に尋ねた。
「そうです、私が小さいおじさんです」
思わず二人でぷっと吹きだす。
「見たらわかるし。しかし、本当に存在したんだなぁ。マジでびっくり」
「なんで愛宕神社で倒れてたの?」
おじさんが、体に対して大きすぎるスナップエンドウ頬張った。カリっといい音がする。
「いやね、住んでた町が開発されて、一気に都会になってしまってな。わしは自然の多いところじゃないと、生きていけんのじゃ。色々話を聞いて回ったら穂結町がいい所という話を聞いて、ここまで来たんじゃ。いい人に拾ってもらって助かった。ありがとう」
小さいおじさんは、深々と頭を下げた。
「穂結町は遊ぶところはないけど、自然だけはあるもんな」
達也が笑って、ビールを飲んだ。
「確かにね」
私も笑う。
小さいおじさんは、冷奴の肉味噌のせを大口で頬張った。
「うん。うまい。久しぶりにこんなに美味いもんを食った。お兄ちゃんも、こんなに料理上手なかみさんを貰って、幸せもんじゃ」
達也が、ビールを噴いた。
私の頬が緩む。夫婦に見えたということか。
「夫婦じゃないから」
即座に達也が否定するので、膨らんだシュークリームが、一気にしぼんだ。
「まさか、わしの見立てが外れるとは。信じられん。笑った顔がそっくりじゃから、いい夫婦だなぁと思ったんじゃ。でも、結婚してないだけで恋仲なんじゃろ? あんたら二人、出とる空気が同じじゃ」
私は下唇を噛んだ。頬が熱を帯びるのがわかる。
達也はなんて返すのだろうか。達也の表情を目の端で、捉えた。なにか言い淀んではいるけど、困っているというより照れてる様子に見える。グラスのビールを一気に飲み干した達也に、私は声をかけた。
「達也には、誕生日を一緒に過ごす相手がいるんだもんね〜」
心に刺さっていた棘が、言葉になって飛び出した。
困惑した達也の目が、私の視線を奪う。達也は顔の前で、手をふるふると振った。
「それ、違うって!その日は、面接があるんだよ。デートとかじゃないから」
「面接? 何の?」
達也は頭を掻いた。
「ちゃんと決まってから、香菜には言おうと思ってたんだけど、俺、転職しようと思って」
「転職?」
「そう。香菜が店を継いだじゃん? 香菜が楽しそうに店やってるのを見て、俺もこのまま適当に入った会社に居続けるんじゃなくて、やりたいことやりたいと思ってさ。今年三十歳だし」
達也の突然の転職発言に、疑問符が次々に沸いた。
「やりたいことってなんなの? 何の会社?」
「決まってから言う。多分、大丈夫だとは思うけど……。21日に面接終わったら、とりあえず店に報告に来るから。あぁ、でも、土曜なら昼営業しかないよな……」
デートじゃなかったと知り、私は胸を撫で下ろす。瓶に残っていたビールをグラスに注ぐ。
「片付けもあるし、予定もないから店で待っとくよ。食べたいものあったら、作るし。誕生日だし」
ぬるくなったビールを流し込んだ。いつもなら美味しくないのに、今日はやたらと美味しく感じる。
「あ、それなら、店に迎えに行くから、外に飯、食べに行こうか。せっかくだから、お祝いしてよ。俺の三十歳の誕生日」
「もちろん!」
ニヤける口元が抑えられず、私は達也から顔を逸らす。目の前では、小さなおじさんがニヤケながら私たちを見ていた。
次回予告 09_しらけた煮込みハンバーグ
達也とのデートにウキウキして心が弾む。心ここに在らずで掃除をしてたら、神棚の水入れを倒しちゃった。不穏な空気を感じ取る菖蒲さん。何が起きるの?!
