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【2025まとめ】植民地とメゾン、東京と田舎【問いを生ききること】

波乱の2025年が終わろうとしています。

昨年の今ごろ、私は二拠点目として、地元の田舎で暮らすための家を探していました。

理由はいくつかあるけれど、ここで挙げたいのは

「都会と田舎」という、現代において見過ごすことのできない問いを、生活で検証し、それを公共性へと接続したいと考えたからです。

またテクノロジー社会において、成功像が終わりのない競争へと偏っていくことへの疲れ。

都市中心の価値観から距離を取り、直線的な成長や成功物語以外の道を探したいという感覚も、そこにはありました。

そうしてご縁のあった家に出会い、私の地元である富山県南砺市に、アートスペース「OSHITOPIA」が生まれました。

ここ数年は海外出張(毎年、数か月を海外で過ごしている)や芸術祭が続いていたこともあり、しばらくは田舎で、飾ることなく生きてみたかったのです。

経済的な成功も、社会的な評価もない。
誰の目にも見えない地道な探索、私はそれをやってみたいと考えていました。

次の大きな舞台が10年後になっても構わないと、
そう思いながら、取り組むつもりでいました。

しばらくは、ここでの「比較的ラクな方の自分」をやっていける気がしていました。

そう考えていた矢先、大きな転機が訪れました。

毎年訪れているKYOTOGRAPHIEのポートフォリオレビューで、思いもよらずRuinart Japan Award 2025を受賞したのです。

この賞は、フランスのメゾンでのアーティスト・イン・レジデンスの成果が、翌年のKYOTOGRAPHIEのメインプログラムとして発表されるという、少し不思議な仕組みを持っています。

世俗から距離を取り、いわば隠居しようとしていた自分を見透かすように、
私は、お釈迦さまの手のひらの上の悟空のように、再び都のステージへ引き戻されました。

急ぎで、今の自分には何が出せるだろうかと、引き出しを開けます。

そこにあったのは、田舎での生活のなかで、一人で考え続けてきたいくつかの寓話でした。

このオファーを引き受けるべきかどうか。
その答えは、明白でした。

非美大卒で、新卒からずっと会社員。
一般的なアーティスト像からは大きく外れた経歴ではありますが、問いがあり、土地があり、それを生活に接続してまで来た以上、引き受けないという選択肢はありませんでした。

今は本当に思うんだけど、
何もかもが代替されうるAIの時代に、
わざわざやりたくないことをやる必要はありません。

いくら権威や承認につながるとしても、
自分の内側と異なることなら、やらずに済む方が楽だと思います。

だからこそ、「問いを生ききる」という覚悟を引き受けることでしか、
自分なりの答えには辿り着けないのだと感じました。

正直に言えば、この考えのなかには「誰かのため」という動機はほとんど含まれていません。

私は、芸術に関しては、他者に向けた正しさよりも、まず自分の内側に誠実であることが必要だと感じています。

しかし同時に、そうして個人の内側に蓄えられた想いが、円環をなしていることにも気づきました。

この地域に根付くものがある、という感覚。
世代を超えた歴史や共同体の暮らしは、一人ひとりの個人に内在し、過去や未来を含んだ大きな円を形づくっていきます。

それは、あくまで私の体感ではあるけれど、都市とは異なる土地の、精神的な感覚なのだと思います。

そして現代において、その感覚を持ち続けている人は、少数派になりつつあるのかもしれないと感じています。

社会は急激に変化し、個人主義が進み、社会システムの形も大きく変わりました。

それは、人類の長い歴史から見れば、かなり新しい暮らしのあり方です。

その過程で、失われていくものがあります。
目に見えない精神的な側面や、人と人とのつながりなどです。

私が生まれ育ち、今も拠点を置く富山県南砺市には、それがまだ残っていると感じています。

2025年の出張

2025年の主な予定は、結果的に以下の三つに占められることになりました。

  • 1か月間のインドネシア・プランテーションをテーマとしたアーティスト・イン・レジデンス&芸術祭

  • フランス・ルイナールメゾンでのアーティスト・イン・レジデンス

  • 約1か月のフランスでの出張

それぞれを振り返るには、ひと記事では到底足りません。
特にインドネシアは外国人一人で必死に生き抜いた、猛烈な経験となりました…。

とにかく生活そのものを動かし、大きな問いを寓話へと接続する試みが、2025年のハイライトです。

今回のアワードを引き受けたことは、2025年において最も良かった選択だったと思います。

2026年には、いよいよ京都国際写真祭 KYOTOGRAPHIE2026が控えています。

その先の予定は、特にありません。
長く隠居するかもしれないし、しばらく旅に出るかもしれません。

だから、逆に私は今、ここへと賭けています。

偽りなく言えば、私の基準は、最終的には他の誰かではなく、自分の内側に引き戻されるのです。

それがどこへ連れていくのかは分かりません。

それがインドネシアのプランテーションでもフランスのメゾンでも、
とにかく問いを引き受けたら、そこに立つこと。

そう決めています。

春の京都で、お待ちしております。

柴田早理

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