お金が欲しいって、言っちゃダメ?
こんにちは 更科暁斗です
あなたはお金がほしいですか??
私はいっぱいお金ほしいです
いきなり金の話して
なんだコイツって思った
かもしれませんね(笑)
お金は私たち人間社会で
生きていくために必要なモノなのに
なぜかお金に対して
がめついとか、はしたないとか
ネガティブな部分を何故か思ってしまう
こういうお金のイメージ
子供のころ大人からよく言われた事だと思います。
今回はそこを少し掘っていこうと思います
まず私たちはお金について、
二つの顔を使い分けていると思います。
表向きは「お金が全てじゃないんだよ」と言いながら、
心の奥では 今月の支払いを数え、
深いため息を吐き、将来への不安を抱えている。
この矛盾した姿勢こそが、
現代社会の生きづらい原因の一つかもしれません。
◆誰も口にしない真実◆
私は体を壊しても休めません。
私の仕事は歩合に近い報酬体系なので
休めばその分お給料が減ります。
なので休めません。
だからこそ人一倍身体には気遣ってます
私の知人には心が折れそうでも
仕事を続けている人もいる。
夢があっても諦めている人がいる。
その理由は
たいてい同じ答えが返ってくる。
「お金がないから」と。
根性が足りないわけでも、
努力が足りないわけでもない。
ただシンプルに、経済的な余裕がないというだけで、
人生の選択肢は驚くほど狭まる。
これは綺麗事では語れない紛れもない現実です。
このお金がないという呪縛は過去も今も私はいまだに抜け出せていませんが(笑)
◆お金で買うもの◆
お金を出して買うモノ。いつもの食品や日用品などの生活必需品
もっとお金を出せば高級品や贅沢品だって買える。
物理的なモノ物欲は大体お金で解決できる
↑ ↑ ↑ ↑
ホント羨ましい🙄
病院に行く権利。
十分な睡眠をとる環境。
優等席などで通勤地獄から逃れる自由。
自分の時間を取り戻す手段。
新しいことを学ぶ機会。
そして何より、
有害な人間関係から距離を置く余裕。
これらは決して贅沢というより
人間として尊厳ある生活を
送るための条件ではないか?
お金があれば全ての悩みが消える
わけではない。
しかし、多くの悩みを「軽く」することはできる。
この違いは、想像以上に大きい。
◆禁じられた欲望◆
冒頭で述べましたが
不思議なことに、私たちの社会では
「お金が欲しい」と声に出すことが、
どこか後ろめたい行為とされている。
お金を求める者は欲深いとされ、
お金の話をする者は下品だと見なされる。
特に日本では、この傾向が顕著だ。
あなたも私のように、子供の頃に大人からそう教えられた事だろう
だから多くの人が、本心を隠して生きている。
不安なのに「大丈夫」と言い、
欲しいのに「別に」と答える。
お金が無くても平気だと言い聞かせるように
この自己欺瞞(じこぎまん)が、
どれほど私たちを苦しめているだろうか。
では、お金とは何なのか。
今回私はこう考えてみた。
お金とは「自由の単位」だと。
お金があれば、
やりたくないことを
断れる確率が上がる。
やりたいことに
挑戦できる確率が上がる。
この二つの「できる」が、
人生の質を根本から変える。
お金は夢を叶えるためだけの
道具ではない。
日常の苦痛を減らし、
尊厳を守るための防具でもあるのだ。
◆境界線を知る◆
ただし、お金には限界がある。
この限界を知ることが、
健全な関係の第一歩だ。
お金で解決できること——
時間不足、
健康の選択肢、
住環境、
将来への備え、
人間関係の調整。
お金で解決できないこと——
孤独、
自己否定、
承認欲求、
存在意義、
過去の痛み。
要はお金は
「外的条件」を
変えられるが、
「内的状態」は
変えられない
外的条件:環境、
選択肢、アクセス、
物理的な状況
内的状態:感情、
信念、自己認識、
人生の意味づけ
だから、 こう言うのが最も誠実だろう。
お金は幸せそのものではない。
しかし不幸を防ぐ力は、確かに持っている。
◆執着という名の恐れ◆
「金に執着するな」
という教えの裏には 何があるのか。
私たちが本当に恐れているのは、
お金そのものではない。
お金によって心が荒れること、
お金で人を値踏みしてしまう自分、
お金によるマウンティング、
お金がない自分を責める時間——
そうした「心の荒廃」なのだろう。
だから、お金を汚いものとして
遠ざけようとする。
しかしこの戦略は、しばしば逆効果でもある。
お金から距離を取るほど、選択肢も遠のいていく。
私がまずい事だと思うのは、
「お金が欲しいのに、それを認められない」状態だ。
稼ぎたい。
生活を整えたい。
大切な人を守りたい。
こうした願いは、 人として当然のものだ。
悪でも恥でもない。
現実問題で家賃も食費も教育費も医療費も、
気持ちだけでは支払えない。
なのに、お金を求めることが
「恥ずべきこと」にされている。
この空気の中で、人は自分を責め始める。
でも違う。
お金を求めるのは、
はしたないことではない。
ただ、お金がない状態に縛られるのが
辛いだけなのだ。
では、 どうすればいいのか。
まず問うべきは「いくら欲しいか」ではない。
「何の選択肢を手に入れたいか」だ。
休める余裕。
辞められる余裕。
学べる余裕。
守れる余裕。
失敗できる余裕。
こうした「余裕」を具体的にすることで、
お金は欲望の対象から必要な道具へと変わる。
道具になった瞬間、罪悪感は消えていき、
そして 現実的な行動が始まると思いませんか??
◆私たちが本当に買いたいもの◆
最後に、こう問いたい。
あなたは、お金で何を買いたいのか?
高級車でもブランド品でもない。もっと根源的な何か。
それは恐らく、
「選ぶ権利」ではないだろうか。
嫌なことを断る権利。
好きなことを試す権利。
大切な人と過ごす権利。
自分らしく生きる権利。
お金とは、 人生における「選択の自由」を
拡張するための通貨なのだと思う。
だから私たちが 向き合うべきは、
「金に執着するな」という呪いではない。
「私は何から自由になりたいのか」
という問いだ。
この問いに 正直に答えられたとき、
お金の話は品を失わない。むしろ、
最も誠実な対話になると思わないだろうか。
この事を踏まえて考えても私はやはり銭ゲバと言われても良いからお金が欲しい🤩
‥‥私の答えはともかく
あなたの答えは、 どうだろうか?
