生き直している途中です
はじめまして。
更科 暁斗と申します。
今は人並みの生活を
遠回りしながらも手に入れました。
少し、昔の話をさせてください。
=私の逃亡癖=
私は、昔から逃げ癖がありました。
子供の頃は新学期には決まって
体調を崩してしまうほど
環境の変化にも弱かった
私は当時は珍しい
母子家庭で育ちました。
父親の顔すら覚えてません(笑)
今では完全に他人ですね
幼少期は母親と祖母と叔母の
女家庭の4人暮らし
父性というものを知らずに
育ちました。
小学校2年の時
当時の担任が男の先生だったんですが
私、その先生が怖くて怖くて
学校に行きたくないと思ってました。
成績の良い出来る生徒はめちゃくちゃ
褒めてくれます。
だけど私の様なできない生徒には
ボロクソに罵声を浴びせる担任でした。
授業で問題が解けないと
そのまま授業が終わるまで
その場で立たされてましたし
出来の悪いやつは悪だ
こうなりたくなかったら
しっかり勉強していい子になれ
私のほかに何人かは
毎日のようにさらし者にされました
昔はそれが当たり前だったんですかね。
今なら一発アウトなのは判りますが
3年生に進学時
環境が変わって
いつものように体調を崩してました
3年生の担任は女の先生になっていて
ものすごく安堵したことを
覚えています。
担任が変わってから
暗黒時代の2年生と違い
クラスメイトも変わり
私自身
人が変わったかのような明るさを
取り戻せていました。
ちょうどその時期です。
母親が再婚したんですよ。
私自身新しい父親が出来たことも
嬉しかったし、違う学校でも楽しく
やっていけると思ってました。
けども
現実はまたまた
暗黒時代へ逆もどり
毎日遅くまで
怒鳴り声の母親と父親の
夫婦喧嘩の声
新しい学校の担任が
また今ならコンプライアンス完全アウト
罵詈雑言が当たり前のパワハラ全開
男性教師。
バカ、ボケ、〇ねとさえ
言われたのも覚えてますよ。
完全に担任ガチャ外しました。
そんな学校に行きたくない
朝は学校に行ったふりをして
親が仕事に行った時間を見計らって
家に帰ってました
(鍵っ子だったので)
登校拒否です。
人生初めての逃亡を
ここで始めます。
当然学校は大騒ぎになるし
親にもばれて怒られるし
次からはちゃんと学校に行く
そう約束させられましたが
私からしたらもう恐怖の対象が
その学校に居るのだから
また登校拒否。
私のせいでその学校は
集団登校をするように決定されました。
その学校の生徒は集団登校を
余儀なくさせられていましたね
この頃から他の人に
迷惑をかけまくってしまってました
それでも私は学校に行きたくなくて
登校拒否は続きます。
そんな暗い時が
いきなり終わったんです。
母「暁斗、前の学校にもどりたい???」
私「うん」
いきなり車に乗り込んで
その町から離れていくんです。
母親が私を連れて昔住んでた家に
祖母のいる家に戻れたんです。
もう無茶苦茶ですよね(笑)
私の母を悪く思わないでください
けども私は出口の見えない
トンネルから抜け出せたような気がして
ものすごく嬉しかった。
=大人になっても治らなかったもの=
あの頃の私は、
学校から逃げたというより、
自分が壊れないために
逃げざるを得なかったのだと思います。
自分の行動が多くの人に迷惑をかけて
子供の頃とは言え
本当に申し訳ないと思います
だけども
追い詰められている時は
そんな事考えられません。
そして厄介なことに
その行動は
一度きりのものではありませんでした。
むしろ、それが私の中で
ひとつの生き方になってしまった。
そのせいか私は中年男ですが
今だに他の男性と話すとき
心の中で無意識に身構えてしまいます。
子供の頃、女性家庭の中で育ったからか
父性を知らず余計に男性に対して
恐怖から敵対心を持つようになってしまった。
子どもの頃に身につけた感覚というのは、
大人になっても
なかなか消えないもんです
「怖いものに近づかない」
「怒られるくらいなら距離を置く」
「失敗しそうなら最初からやらない」
これは怠けや甘えではなく、
過去に身を守った方法が、
習慣として残ってしまった。
中学でも、高校でも。
そして社会人になっても変わらず
うまくいかない環境になると、
私はすぐ限界をそこで決めてしまう。
人間関係がダメだと、
「もういいや」と簡単に
心のスイッチが切れる。
仕事で怒鳴られたり、責められたりすると、
無意識の中に植え付けられた
あの頃のなんとも言えない恐怖が
胸の中をキュッとさせるんです。
そしてまた、逃げる。
辞める。
距離を置く。
予定を消す。
ケータイの電源を切る。
無視する。
行動は違っても
根っこにある反応は、
あの頃と同じでした。
いい加減そんな自分が
嫌で仕方なかった。
「また逃げてる」
「また同じだ」
「何も変わってないじゃないか」
そう思うたび、
自己嫌悪が積み重なっていく。
責めれば責めるほど、
人は動けなくなります。
逃げ癖がある人ほど、
自分を追い込んだ瞬間、
さらに逃げたくなる。
それはもう性格ではなく、
身体に染みついた反応なんです。
そして気づいたのは、
私は「逃げたい」のではなく、
安心できる場所がなかっただけだ
誰かに理解されること。
責められずに話せること。
怖がらなくていい環境があること。
それがなかったから、
逃げるしかなかった。
自分の過去から客観的に見て
ようやく気付いたことでした。
逃げ癖を責めるのではなく、
どう扱えばいいのか。
その答えを探しながら、
私はようやく、
自分の人生を生きなおす準備を
始めました。
=逃げ癖をなくそうとするのをやめた日=
逃げ癖に気づいたからといって、
すぐに何かが変わるわけでは
ありませんでした。
むしろ最初は、
変わりたいと思えば思うほど、
また同じように逃げそうになる
自分怖かった
だから私は、
いきなり何かを変えるのではなく、
「壊れずにいられる選択をすること」
その事から始めました。
まずやめたのは、
「また逃げてしまった」
「努力できない弱い自分」
と、自分を蔑むような言葉を
使うこと。
逃げた日は、
逃げた自分を責めるのではなく、
こう言い換えるようにしました。
「今日は限界だったんだな。」
「ちゃんと守れたんだな。」
そう声をかけるようになってから、
胸の奥にあった緊張が
すこしづつ緩んでいってるようでした
不思議なことに、
以前ほど自分が嫌いにならない。
生きる難易度が
少し下がってる気がしたんです。
それから私は、
「やらなきゃいけないこと」
ではなく
「いまの自分でもできること」
逃げずに済む事を
探すようになりました。
仕事も無理に正社員からでなく
派遣のアルバイトから始めました。
逃げてばかりで色んな業種の仕事を
していたお陰で
どの仕事が自分に向いているかも
解っていたのも大きいです
ケガの功名ですかね
小さな選択ばかりでしたが、
その一つひとつが、
私には大きな前進に
繋がりました
そして、もうひとつ。
人に弱さを話す様に
意識してみました。
過去に違う会社で
少し弱さを愚痴ったら
上司にめたくそ怒られたことが
あったんですよ
そのせいで社会人でこんなこと言うのは
悪なんだと
まだ若かった社会経験が少ない頃の
私はそんな風に思ってました
言った瞬間に否定されるのが怖くて
ずっと喉の奥に
押し込められてきたことば。
仕事が終わった後に
酒を飲みながら
この人なら言っても大丈夫かな??
ってなんとなく思いながら
声が震えてビクビクしながら
声が裏返り変な声出しながら
自分の弱さを少しずつ小出しで
話しました
「暁斗、よくオレに話してくれたな。
色々大変だったな」
私と上司、お互いに酒もだいぶ入っていて
感情も高ぶっていたのもありますが、
一生ついていきます兄貴
って感じで
私のヒーローでしたね(笑)
今思えばですが、
この上司に幼き頃に抱えていた
父性を無意識に求めていたかも
しれませんね。
理解してくれる人が、
責めずに聞いてくれる人が、
この世界に「ひとりでもいる」と
知れた
私は初めて、
逃げずに立ち止まれる場所を
手に入れた気がしました。
振り返ると、私が最初に変えたのは、
仕事でも、環境でも、努力でもなく、
「自分との向き合い方」でした。
逃げる自分を否定するのではなく、
「逃げなきゃいけなかった理由」があったと、
ようやく理解できたんです
そこから少しずつ、
私は人生の方向を変えていきました。
無理に強くなるんじゃなくて、
安心できる自分を
取り戻すために。
=自己理解が足りなかっただけ=
以前の私は、
「続けられない自分」
そのことに強い劣等感を
抱いていた。
だけど今は違う。
長く続けられない仕事は、
そもそも自分に合っていなかっただけだった
そう考えられるようになってから、
選択基準はガラッと変わった。
・強く見せるための仕事
→ 選ばない
・心が苦しくならない働き方
→ 優先する
周りからどう思われてもいい。
自分を消耗させてまで、
正解っぽい人生”を歩く必要なんて
なかった
そしてようやく気づいたんです。
逃げ癖って、
ただの弱さじゃなかった。
「ここは苦しいよ」
「ここに無理して立つ必要はないよ」
そう教えてくれる、
自分だけのサインでありナビだった。
そのサインを、
無視して潰れてきたのは自分自身。
逃げ癖をなくそうとするんじゃなく、
「なぜ逃げたのか」
「どうすれば安心できるのか」
そう問いかけながら
生きるようになってから、
人生の方向が
やっと変わり始めた。
その考えに辿り着いた時、
長い間まとってきた鎧が
ひとつ外れた気がした。
強くなるために生きるんじゃない。
安心できる自分であり続けるために
生きる。
その生き方を選んだ瞬間、
やっと本当の意味で
スタートラインに立った。
=逃げ癖が教えてくれた=
変化とは
環境を捨てたり、
完璧な自分になったり、
すぐ成果を出すことだったり。
劇的な何かを起こすことではなく
変化の本当の始まりは、
「逃げた自分を責めなかった日」
「しんどいと言えた日」
「できなかったことより、
できたことを見つけた日」
そんな、小さすぎて
誰にも気づかれない瞬間だった。
ふと気づけば、
心が折れて立てなくなる前に
休めるようになった。
誰かに合わせて無理に笑うより、
自分のペースで息をすることを
選べるようになった。
あの頃の私は、
とにかく自分は他の人よりできない
人の倍頑張らないと
人並みになれないと思っていた。
止まることも、
弱さを見せることも、
逃げることも
「悪いこと」だと思い込んでいた。
当時すぐ仕事から逃げて
そこに居た人達には
もの凄い迷惑をかけてしまった。
しかし今ならこう言える。
逃げることと、諦めることは違う。
立ち止まることと、終わることも違う。
逃げたっていい。
弱くたっていい。
ビビりだっていい。
大事なのは、
逃げた先で 自分を見捨てないこと。
私はこの後、人に恵まれて人生で初めて
役職も頂き30で結婚もします。
だけどもね
順風満帆にいかないわけで(笑)
社長都合と言うか会社都合で職を失い
焦って自分に合わない仕事に
飛びついてしまい
克服したと思い込んでいた逃げ癖が
また出てしまいました。
またその仕事から逃亡します。
それが原因で妻との関係は悪化
当然です。
社会的にあり得ない事
またやらかしましたし
それでも必死で社会にくらいつきますが
私の人生で一番の谷底へ落ちる出来事が
待ち受けてました。
それを機に妻とは離婚
更に収入も激減
本業だけでは食っていけないから
副業を探すも
副業詐欺にあい借金も抱える。
30代後半は働けども働けども
経済的に厳しい頃でした。
昼夜問わずとにかく働いた
人生で一番働いてた気がします。
それでもあんなに人生どん底ゾーンを
なんとか走り抜けられたのも
やはり自分を見捨てる事を
しなかったから
だと思います。
気付きや後悔、今までの事をまた振り返り
努力が出来なかった私が
人生で初めて思い切り一番努力した。
そのおかげで40超えた今
昔の年収の倍稼げています。
運の要素もありますが
あの時に気付き、努力したからこそ
その運にも乗れたと思います。
そのおかげで
朝のコーヒーが美味しいと感じたり、
帰ってきてご飯を作って
美味しかったら嬉しく思えたり、
ゆっくりお風呂に浸って
気持ちいいと思えたり。
そんな当たり前の時間が
私はとても幸せだと思います。
歳だけ重ねてしまって、
基本は弱いハートのままですが
多少の図太さも兼ね備えました。
今の自分の社会的位置に身を置いて
一安心はしてますが
人生何が起きるか解りません。
今も色々勉強してます。
もし今、昔の自分に会えるなら
「よくここまで来たな。
あとはゆっくりでいい。
大丈夫だから」
と言って
安心させてあげたい。
もし、今この文章を読んでいるあなたが、
かつての僕のように苦しんでいるのなら。
ほんとに大丈夫です。
ここからが、
あなたの【“生きなおし”の始まり】
かもしれません。
筋金入りの逃げ癖を持っている私が
何とかなったんです
今も人生再構築中で頑張れてます。
あなたなら絶対に大丈夫なはず。
生きなおしを考えてる方
一緒に頑張りましょう
更科 暁斗でした
