幽霊、2025年3月の仕事。
2025年3月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
2025年4月号は「生島ヒロシとラジオパワハラ牢名主烈伝」。

3月号の原稿はフジテレビの話だったが、書いた時点で生島ヒロシの追放が発生していれば、フジテレビなどそっちのけでヒロシの話を書いていた。
ので、今回はヒロシの話を書いた。ヒロシDEATH。
みのもんたも亡くなって、80~00年代の司会者たちもいよいよ退場する季節か、と思ったのだが、森本毅郎や関口宏は未だ健在だから、きっと錯覚なのだろう。
ラジオという媒体にこだわる理由は、テレビと比べて金がないからで、その分、カルト的な信者商売が跋扈することにある。
生島の『おはよう定食』は生島企画室で出演者やスポンサーを調達してくるから、治外法権扱いになっていたのだが、逆に言えば、東京キー局の早朝ワイドでもそれができてしまうほど金がない。
金さえ引っ張ってきてくれれば、犯罪者スレスレの人物でも別に構わない程度に、倫理観は低下している。
なので、ラジオには有象無象の小さな教祖様が跋扈している。
特にサブカル文化人や批評家がラジオに出るのは良くないな、と思う。
ただでさえ信者を騙して煽ってなんぼの教祖商売なのだから、余計なブーストがかかって倫理的な歯止めを見失ってしまう。
まあ、マイナージャンルであるサブカル人文系は、ラジオに出る以外に著書を売る術はないし、取っ払いのギャラも有り難いのだろうが。
そして、割り切ってタレントとして生きていくのなら、それはそれでいいのだが。
体質的に信者商売ができないし、キャラクター的に何の特徴もないから、あり得ないことだが、仮に自分がタレント的にメディアへ出るようになったら、いくつかの看板は下ろして別のペルソナを被るだろう。
文章を売るのと、キャラクターを売るのは似て非なるものだ。
たとえば、生島企画室のボスが引退へ追い込まれたからか、今村翔吾の露出が増えているが、テレビであのキャラクターを演じて小説の部数は増えるのだろうか。
『ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z』に出演していた頃の羽田圭介にも思っていたことだが、ワイドショーでのコメントと時代小説は、内容的に繋がらないからだ。
ただ、広告代理店を中心とした「業界」内での知名度は上がったから、小説以外の企画は通しやすくなったろう。書店振興策やらアニメ化やら。
実際問題、文筆活動だけしていても、そういう知名度はさっぱり上がらない。
そもそも直木賞を取った時点では、W受賞のもうひとりだった米澤穂信のほうが圧倒的に知名度は高かったのだが、テレビで露出を続けるうちに、さも単独受賞であったかのような錯覚も与えているから、通俗的な商売人ではあるのだろう。
だからこそ、生島企画室所属なのだろうが。

附記徒然。
ニュースは数日、トランプ×ゼレンスキー会談の破綻を報じているが、途端に日本も核武装云々という話が出てきて苦笑いしている。
他の国が所有するのと違って、心理的な枷があるからだ。
「我が国は広島と長崎で殺された21万4000人分は殺す権利がある」と開き直れるなら、所有する価値もあるだろうが、国民や為政者がそれを公言できるようになれば、別の問題で国家が成り立たなくなるだろう。
ヴァンスのような「差別されるべき田舎者」が多数派になったということだからだ。
まあ、維新に支配された大阪はその世界へ足を踏み入れているが。
附記徒然そのに。
古い知人が小説を書くため、取材に来た。
90年代のマイナー系出版業界を知っている者が少なくなった、とのことで。
それはそうだろう。筆者は学生時代からアルバイト的に潜り込んでいたから50手前だが、当時の主戦投手たちはもう還暦前後だし、消息不明になっている者も多い。
消えた者と成り上がった者の話をしたが、30年経つと、どちらも等しく衰退していて大差がない、という結論になる。
衰退しなかった者は本物の悪党だけだし、そもそも出版業界とは言い難い「コンテンツ業界」の住人になっている。
その小説が世に出るかどうかは怪しいし、7割くらいは出ないだろうな、と思っているが、もし話した内容まで含まれていたら、よくやったな、と褒めたい。
