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幽霊、2026年1月の仕事。

2026年1月の仕事はZAITENの連載コラム。

ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』

2026年2月号は「時代観察者の正論が逆張りとなる不幸」

「ZAITEN」2月号

第100回。連載100回となりました。
年末進行で〆切が早かったので、時事ネタを扱っていないのに、珍しくギリギリの入稿になってしまった。

内容は、左右どちらとも言い難く、オタク系カルチャー誌が出自のはずなのにオタクのカルト性も平然と批判する筆者のわけわからんスタンスを説明し、もともとの連載コンセプトを改めて説明する、という回。

というか、連載初期は「元・批評家から見た言論界隈の定点観測」というコンセプトだったからね。
サイゾー連載と同じ時評形式に移行したのは、毎月毎月、事件が頻発するほど活気ある界隈ではなく、個人的にも興味がなくなったからで。

そして、全方向に辛辣で逆張りの冷笑とかなんとか言われているが、実際は逆張りですらなく、世間の流行から距離を置いて正論ばかり吐いていると、非主流だから逆張り扱いされる、というだけの話でね。

だったら、非主流に対する主流って何だ? というと、荻上チキの『Session』や武田砂鉄の『武田砂鉄のプレ金ナイト』に呼ばれる有象無象の文化人とか、『大竹まことゴールデンラジオ!』で大竹まことの代打をやる古谷経衡とか、NHKの変な特番……『フェイク・バスターズ』で司会をやる宇野常寛とか、そういう人々だ。

なんだ、批評家やライターが主流派として生きていくには、結局、ラジオやテレビの文化人枠タレントになるしか道はないのか……と、書いていて改めて思ったが、いつの間にか筆者と似たスタンスでやっている売文業者が見当たらなくなったのは不思議だな、とは思っている。
案外、どっかにいるのかも知れないけど、それが可視化される媒体……雑誌文化が壊滅してしまったからな。

対して、東浩紀や津田大介や上杉隆とか、ひと昔前の売れっ子は自前の配信メディアを持っているようだが、そうなると内輪の利害に配慮しなければならない自営業者の世知辛さが前面に出てきて、それはそれで正論を吐きづらくなっているようにも見える。
配信方面はデジタルガジェットのレビューや旅行系チャンネルの配信しか見ていないので、そもそもあんまり詳しくないが。

プロ野球メディアで喩えるなら、ZAITENのコラムは週刊ベースボールの巻末で無茶苦茶なことを言っている広岡達朗と大差ないのだが、同じ老害でも江本孟紀みたいなのにはなりたくねえな、とは思ってる。
「なんか違うのか?」と言われそうだが、かなり違うよ。

一年前までは、週刊新潮の高山正之コラムみたいなの、という自嘲気味の説明もできたんだが、キャンセルカルチャーで文化人ポイントを稼ぐ当たり屋も増えたので、いまとなっては洒落にもならない。
森茉莉の『ドッキリチャンネル』も、山本夏彦の『夏彦の写真コラム』も、山口瞳の『男性自身』も、もう存在できない世界になっているんだな。

1998年の週刊文春で、小林信彦の『本音を申せば』が始まったとき、「あのへんの偏見コラム枠にしては、ぬるい人選だな」と思っていたけど、それでも最後のほうはボロクソに言われていたからな。

コラムニストへ転じたとき……というか、サイゾーもZAITENも連載開始のとき、念頭にあったのは、このあたりの雑誌コラム群だった。
偏見上等で、本人にとっての正論を吐くのが、雑誌コラムというものだと思っていたんだよ。

連載に関しては、連載開始時からの担当氏が編集長になっているので、彼が退任するまでは続くと思う。
日経の新聞広告からはずっとパージされているから、営業部からは「なんでこんな無名なやつを延々と載せているんだ?」とか言われてそうだし、サイゾーの連載が終わった理由の半分も「有名ではないから」だったので、当の本人も「よく続いているな」と思っているが、まあ、もう少し続くだろう。

編集長と読者諸兄に感謝である。

「ZAITEN」2月号目次

附記徒然。

とはいえ、月イチのコラムだけで生活しているというのは、かなり不思議なことである。
まあ、現実には他の仕事もいくつかやっていたが、今年の収支明細はZAITENだけだった。
ZAITEN以外の支払いがすべて来年だったからだ。

我が身を振り返っても、ラジオタレントや配信で稼ぐほど、シンプルで面白いキャラクターではないからな。
何を食わせても同じ糞を出すことがキャラクターとしては重要なんだが、筆者はいつもそういう期待を裏切る方向に技巧的なので、そのへん、どうしたものかな、とは思っている。

一応、メールアドレスは貼っておくか。来年もよろしく。

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