幽霊、2026年5月の仕事。
2026年5月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
2026年6月号は「京都男児遺棄事件も実話怪談扱いの日本人」

第104回。
自宅へ戻ったので、数ヶ月分の見本誌にまとめて目を通す。
コラムのほうは、京都男児遺棄事件とテレビ局報道と大衆の三題噺。
大衆の多くは建前の社会正義よりも土着性へのうっすらとした差別のほうを優先している。という話。
オチが出川哲朗になったのは、書いていたら偶然そうなった、的な感じだが、絶妙ではないか、と思っている。
テレビ東京のバラエティは伝統的に日本人の品性の根深いところをサラリと掬うところがあり、太川陽介と蛭子能収の路線バス旅や出川の充電旅はその典型だった。
そして、蛭子能収や出川のようなタイプと、太川や伊集院光のようなタイプが、俗物としての日本人の両極端なので、両方を噛み合わせると大衆性と同時になんとも言えないエグみが出るのだ。
『プロ野球順位予想2026リアルガチ』の一件は、後者のエグみが強く出たケースだが、これは日韓ハーフのオズワルド伊藤が触媒になったからだ。
そもそも、出川の横浜出身者でありながらスワローズファンというのは、出川の年齢(62歳)を考えると、横浜市民のある種の典型でもある。
1977年まではスラム街(川崎)の薄汚く弱い球団だったベイスターズ(大洋ホエールズ)に対して、古い横浜市民は「おらが村の恥」という差別意識が強いのだ。
筆者はハマスタヤクザの藤木親子や鶴岡三代目が仕切っていた港湾エリア(中区)の新しい住人だったから、そうでもなかったのだが、横浜のド真ん中(南区)に引っ越したら、小学校のクラスに大洋ホエールズファンはほとんどいなかった。
出川に似たケースとしては、やっぱり横浜出身者でありながらカープファンの谷原章介もそうだ。
こちらは親が広島出身だったからだと思うが、谷原のほうが世代が近い(横浜スタジアム移転後の世代)ので、その空気感がよく分かる。
話を戻すと、伊集院が(隣が三河島である)西尾久の出身となれば、伊藤に対しては潜在的な不快感もあったろう。
ふたつの差別意識がエグみを伴いながら爆発したのが、『プロ野球順位予想2026リアルガチ』の一件と言える。

附記徒然。
高市早苗が煽ったからではないが、ここしばらく働いて働いて働いているので、感情が摩耗していた。
何かあったはずだが、記憶に残っていないのだ。
コラムに関しては、思考を巡らせると神がかり的に降りてくるので、なんだかんだで捻くれた原稿が出来上がっているのだが。
ゴールデンウィークはもっぱら旧交を温めていた。
90年代のサブカル界隈の「自分の視点ではない」話を聞いて、当時の自分の立ち位置はそうだったのか、と知ったが、その頃の登場人物はだいたい衰退して、消息も分からなくなっているので、栄枯盛衰だな、と思った。
もちろん、自分も衰えているのだが、当時も名前が悪目立ちしていただけで、栄えているとは言い難かったから、その点で不満を言う気はあまりない。
ある意味で気楽なのは、現状、更科修一郎の仕事とは関係のない仕事を手伝って、面白がっているからなのだが、バッターボックスに立つ機会がないのがきついのはよく分かる。
サブカルというか、ライター界隈のきつさは仕事の有無だけでなく、何を書けばいいのやら、という段階に入っているのもある。
以前、現代ビジネスの原稿でジャニー喜多川の件に絡めて、『関ジャム 完全燃SHOW』に出演していた音楽プロデューサーが急にポリコレに覚醒して山下達郎を糾弾するという大博打にBETした話を書いたが、あれもなんでそんなことになったのか、音楽「業界」の門外漢にはさっぱり分からなかった。
ところが、つい最近、菊地成孔が「2017年以降、プロデューサーとしてヒットを打てなくなったからだ」と身も蓋もなく書いていて、やっぱりそういうことだったのだな、と思った。
栄光の味を知っているとその分、不満も大きくなるから、一気に左傾化してロビイストになったのだろう。
栄えていないことに悩む、というのは当然あったし、リスクと利益が見合わないので批評家の看板も下ろしたのだが、栄えていない、という一貫性で結果的に正気を保っているのだな、と納得した。
漫画家や小説家もそうだが、売れてしまった後の「おまけの人生」というのは、ずっと売れていないことよりもきついのだ。
