幽霊、2026年2月の仕事。
2026年2月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
2026年3月号は「中道改革連合と文化人たちの罪深き墓碑銘」

第101回。
タイトル通り、衆議院議員選挙と有名人の墓碑銘。
なお、最後の久米宏のオチは、2022年の吉本興業特集の頃に書いて没を喰らった文章をそのまま使っている。
当時、オフィス・トゥー・ワン所属の古谷経衡が連載陣にいたからだが、今回は何も言われなかった。
もう連載陣にいないからだが、雑誌連載は執筆者同士で名前を出さないという暗黙の了解が存在するらしい。
古谷本人でなく、所属会社の親分もタブー、というのは面倒くさい話だが。
つい最近も、文中に小川寛大の名前を出したら、編集部の指示で削ることになった。連載陣ではないが、執筆常連だからだ。
このときは何を思ったか、担当氏が引き合わせて手打ちにしようとしたのだが、奇しくも双方が拒絶した。
対カルトのスタンスが根本的に違うから当たり前だが。
ほとんどの宗教ジャーナリストは、組織から排除された引かれ者の小唄か、敵対宗教のシンパなので、創価学会の「組織」を批判するが、筆者は宗教=絶対悪だと思っており、叩くなら組織を下支えしている「大衆」から殲滅しなければならないと思っている。治安維持法で大本を殲滅したように。
人権的に非常識な考えであることは承知の上だが、筆者の人生で組織(上層部)から実害を被ったのは学生時代の数年間だけで、大衆(婦人部)からの実害が圧倒的に上回っているからだ。
以前、現代ビジネスで書いた原稿のニュアンスが異質だったのも、そういうことだ。
連載コラムは自由に書いていると思うが、細々と面倒なことはある。
後に解禁されたが、望月衣塑子の名前を出して没になったこともあった。これもZAITEN連載陣ではないが、当時は特集で絡んでいたのだろう。
サイゾーの連載でも、町山智浩の名前を出して没になったことがある。
逆に、ZAITEN編集部には接点がないが、筆者とは面識があった東浩紀や宇野常寛の名前も、筆者は平然と出している。普通は出さない。
なお、このスタンスなので、同業者との交友関係は限りなく皆無に近い。
批評家時代の知り合いとも疎遠になっているのだから、当たり前だが。
ZAITENの連載は担当氏がサイゾーの連載を見て、サイゾー編集部に問い合わせて依頼してきたのだが、いまはそういう依頼形式は極めて稀になっているらしい。
同業者同士の紹介で仕事を回し合う形式が普通になっているので、ライター稼業も人間関係が最優先というか、業界内政治が第一になっている。
なるほど、人文系サブカルの住人たちが皆、荻上チキに傅くはずだし、ZAITEN以外で書く機会がないのも当たり前だ。
周囲に政治的配慮をしなければ仕事の場所が広がらないのなら、そんなくだらん仕事は辞めてしまったほうがいいと思っているから、このまま連載終了まで続いていくのだろうし、たぶん連載終了がそのまま廃業になる。
そもそも、批評家を辞めた理由のひとつは、権力勾配というか、業界政治で嫌なやつに頭を下げなければならないのが、本当に嫌だったからだ。
敵であろうが、味方であろうが、本当に嫌だ。

そういえば、前回が連載100回記念だったこともあり、珍しく新年会で担当氏と飲んでいた。
年に一度は打ち合わせで会っていたけど、飲むのはコロナ禍の前の年以来。
担当氏はダメな酔っ払いなので、今回もダメなオチがついた。
附記徒然。
「更科修一郎」名義で書いた最初の文章は1996年で、エロ漫画雑誌に載ったパソコンゲームの紹介コラムだ。
友人のデザイナーにカットを描いてもらったが、この友人は2001年に不慮の事故で亡くなった。
なので、今年で30年目になるのだが、ライター稼業自体は1992年頃からやっていた。
最初はビジネス向けパソコン誌やゲーム誌に書いていた友人の紹介で、穴埋めの学生バイトだったが、角川書店分裂のお家騒動で「こんなに滅茶苦茶な業界なのか」と、むしろ興味を抱いて雑誌の創廃刊のリスト&レビュー同人誌を作った。
当時は空前の創廃刊ブームというか、創刊した雑誌が数号で休刊廃刊するのが常態化していたからだ。
たとえば、エロ本には都条例問題というのがあった。
3号連続で喰らうと取次扱いがなくなって強制廃刊の憂き目に遭うので、名前を変えてまた創刊する、みたいな。
そういう話題ばかり扱っている同人誌を買ったエロ漫画雑誌の編集氏から連載コラムや特集記事を依頼され、そのまま本格的に出版業界へ飛び込んだ。
1994年だと思う。
ちょうど通っていた学校とバイト先をまとめて辞めて、暇になっていたからだ。
最初は同人誌の相方とのコンビ名で執筆していたのだが、ソロ名義が必要になったので、「更科修一郎」を名乗った。
件の同人誌は手元に残っていれば、案外、資料的価値もあったかも知れないが、散逸してしまった。
テキストデータもMS-DOSからWindows95の端境期だったから、いつの間にか失われてしまった。
冒頭のパソコンゲームの紹介コラムは残っているのだが。
ちなみに、相方は2002年頃に袂を分かったのだが、その後、とある出版社の詐欺事件の片棒を担いで失踪した。
いまは実家の工場を継いで社長になっているらしい。
登記簿を見た限りでは。
それにしても、最大で300部くらい刷っていたとはいえ、当時の担当さん、よくそんなマイナーな文章同人誌を発見して原稿を書かせようと思ったな、と思う。
今はweb上、それこそnoteとかで文章を発表して注目されてプロの書き手になったりするのだろうが、90年代はZINEよりもアングラな同人誌を作っていたら、アングラな出版業界にいきなり拾い上げられる、なんてこともあった。
拾い上げる側にいたこともあるが、00年代以降の出版業界にそんな余力はなくなった。
そして、00年代の終わりくらいにフッと熱が冷めた。
無茶苦茶だったり余力だったりしていた部分を面白がっていたからだが、結局、成り行きで名乗っていた批評家も辞めた。
コラムニストとして戻ってきたのは、2015年だ。
空白の6年間は病気療養だが、働かざる者食うべからず。仕事はしていた。
しかし、匿名で済むタイプの仕事はできるのだが、「更科修一郎」の看板を出すと途端に書けなくなる、というイップスに陥っていた。
大病と鬱の合併症で脳機能が低下していたのだが、批評家時代の筆者は、目の付け所は良くても、一冊書き上げるような構成力はなかった。
逆に空白の6年間でやっていたのは、時間をかけて一冊まるまる構成する、書籍編集者の仕事だった。
体調が悪かったから、少しずつコツコツやるしかなかったのだ。
90年代も商業出版物の編集者はしていたが、主戦場は雑誌や漫画単行本だったから、どちらかというとアイデア勝負というか、瞬発力に依存していた。
熱が冷めてから、ようやくそういうことを始めたのは、熱に浮かされていると瞬発力頼みになりがちだ、ということでもある。
というか、サイゾーの連載が全82回、ZAITEN連載が101回も続くとは思わなかった。
00年代も連載コラムはいくつか書いていたが、3年以上続いたことがなかったからだ。
若い頃は早熟だと思っていたのだが、その分、成長速度は遅かった。
