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子どもの「ママ遊ぼう」が辛い

小2の娘は未だに時々、私に「ママ一緒に遊ぼう」と言ってくる。

「2年生くらいになると勝手に遊ぶようになるよ」

そう先輩ママ友から聞いていたのだが、うちにはまだまだその気配はなく。

一緒に遊んでと言われると、私はお腹に石を詰められた童話のオオカミのように「うっ…」と重い気持ちになってしまう。遊んであげたい気持ちはあるのだが、やること(やりたいこと)リストに並ぶタスクたちが常に順番待ちしていて、喧嘩しながら私の後ろに並んでいる。

笑顔で子ども達に向き合ってあげたいけど、気持ちがどんよりしてしまうのが本音だ。この理由を、整理したくなった。そしてできればお互いストレスのない形で良い休日を過ごしたい。良い対応方法、とまでは言えないけれど、心構えみたいなものを考えながら書いてみる。

娘と遊びたくない理由を考えてみると、大きく分けて4つあった。

1.子どもと遊ぶことが苦手だから

私は末っ子だったためか、子どもと遊ぶのは昔から苦手だった。かろうじて自分の子どもと遊んだりはできるが、1歳半くらいからだろうか。それまでお世話メインだった育児が、より深い関わりを求められるものになっていく。

特に女の子が好むごっこ遊びやおままごとではストーリーや会話を考えなければならない。単純に、いい大人がやって楽しくない。せいぜい数十分が限界だ。

工作は「子どもがお手本通りにできなくて癇癪を起こす」「あちこち汚してイライラする」がセットになる。

そんなに深く考えなくてもいいじゃないと思われるかもしれないが、私は感情が表に出やすいタイプなので、自分自身が楽しんだりのめり込まないとあからさまにつまらなそうにしてしまう自覚がある。

つまらなそうに子どもと遊ぶくらいなら、動画やゲームをさせた方がいい気がしてしまう。

2.自分の好きな事をしたいから

日頃考えていることをnoteに書きたい。
運動したいし趣味の手芸もやりたい。
畑仕事もゆっくりしたいし、メダカ鉢のお掃除もしたい。
カフェでコーヒーを飲みながらゆっくり本を読みたいし、普段見て見ぬふりをしているところの掃除もしたい。
不用品を売って家の中をすっきりさせたいし、手の込んだ料理にも挑戦したい。

でも今は、これらのやりたいことはほとんどできずに週末は終わる。溜まった家事や掃除、土日にしか行けない美容院や歯医者、買い出し、合間に入る行事やお友達との予定。
「はいもう日曜の夕方デスー。残念デシター。」とタラちゃんが言っている。

平日は仕事をしているので、5時頃帰宅したら息子のお迎え、ご飯と洗濯とお風呂と宿題の丸つけと明日の準備で手はいっぱいだ。寝る前に子ども達と絵本を読んで、気付くとまた朝が来る。
5時には起きたいのに、疲れていて起き上がれない。

毎日必死こいて頑張ってるんだから、土日くらい好きな事しちゃダメ?

こんな気持ちが心の中に渦巻いてしまう。だから、子どもがゲームやYouTubeを見ている時はしめしめと思い好きな事をする。でも、あまり長い時間になると、今度は逆にYouTubeが悪者に見えてくる。書いていて呆れるくらい自分勝手だ。

3.親に遊んでもらった記憶がないから

私は母や父に遊んでもらった記憶は全くといっていいほど無い。良くも悪くも放任され、遊んでくれたのはいつも祖母と姉と兄、近所の友達だった。

母は在宅の仕事だったがいつも忙しそうにしていたし、父も子どもと遊ぶような人ではなかった。もちろん、人並みに遊園地やプールに連れて行ってもらったことは覚えている。でも、家の中で一緒に遊ぶなんて考えられなかった。

でもそのことに対して、恨みや遊んで欲しかったという感情も特に無いのだ。

実際、母も「遊んであげた記憶は無いなあ。お母さん、孫守りとかできないと思う。」と自分で語っている。姉は地元で結婚したので、母は甥っ子を預かることもあるようだが、多分ショッピングモールに連れ出したりするだけであんまり向き合って遊んだりはしてないんじゃないかと想像している。

それもあってか、子どもの遊び相手は親がするものではないという刷り込みがある。

4.同世代の子と遊んでほしいから

私が小学生だった90年代は、小学生にもなれば、自分で友達の家に電話をして遊ぶ約束をしていた。近所はほぼ100%、二世帯同居だったので必ず暇な爺さん婆さんが家に居り、保護者不在などという状況も起こり得ない。学童も無かった。

友達と遊ぶのは楽しかった。毎日飽きもせず公園や互いの家で遊んだ。アニメを見たり、お菓子を食べたり。特別なことはしなくても、ゲームをしなくても、毎日楽しかった。

時には喧嘩もしたけれど、同世代の子と遊ぶことでしか学べないことがあると思う。

しかし、娘はお友達と遊ぶことは今のところほぼ無い。
「カレンダーに何も書いてない日は、お友達と遊ぶ約束とかしたり、公園で待ち合わせして遊んでいいんだよ」と言うのだが、遊ぶ約束はして来ない。
仲良しの友達は居るようだが、内向的な性格だからなのか、毎日学童で遊んでいるからお腹がいっぱいなのか。


さて、ここまで自分勝手な言い分をつらつらと書いてきた。
文字化することによって、ちょっとだけ客観的になれた気がする。

「ママ遊ぼう」
娘のこの言葉がすごくしんどくなった自己中心的な私は、
「もう2年生なんだからさ、お友達とか誘って遊びなよ。ママと遊ぶよりお友達と遊んだ方が楽しいって、絶対。」なんて正直に言って突き放してしまうことも実はあった。
冷酷な親だと思う。

でも、本当はそんなことを言う母親になんてなりたくない。今は昔とは時代も違う。私達は核家族で、周りの大人は両親しかいない。子ども同士でも昔のように家に電話して気軽には遊べない。
「2年生だから友達と遊ぶべき」だなんて、誰か決めたわけではない。娘は早生まれなので、1年生といってもいいくらいだ。やはり求めてくれるのならば、できる限り応じてあげたい。子どものためにも、自分を嫌いにならないためにも。


理由1と2の対処法は、「自分もやりたいこと」と「子どももできること」を組み合わせることでなんとかなるのではないか。

先日、ぴよままさんのこちらの素敵な記事を読み、下の子もオムツがはずれたことだし次の休みは温水プールに行こうと決めた。

また、私は手芸が好きで子どもも工作好きなので、モノづくりなら楽しく一緒にできそうな気がしてきた。

オーブン粘土とかも楽しそう。

散らかっても汚れてもいいじゃないか。
子どもに冷たい言葉を放つよりは、家が汚くなる方を取る。

あとは、ボードゲームはどうだろう。ナンジャモンジャは未就学児でもできるしおすすめ。最近やってなかったから、やろう。

理由3と4は、内向的な娘をもう少しゆっくり見守ろうと思った。
姉に相談したら
「私も小学校低学年の頃は友達と遊ばなくてさ。お母さんに『遊ぶ友達いないの?』みたいに言われるのがすっごく嫌だったの。私は1人が好きなだけだったのに。だから追い詰めないであげてね」と言われた。

私が物心ついた時には、姉はいつも友達と遊んでいる印象だった。姉にそんな時代があったとは驚きだった。
娘も家に居たいのかもしれない。自分のタイミングで、そのうち遊ぶようになるかもしれない。

自分の価値観を押し付けずに見守ろう。

せっかくなら楽しく過ごそう。

きっと私にもいつか、やりたいと思えることが自分のペースで全部できる日は来るはずだ。

そして、「何にもできなかった」と嘆く今の生活を思い出して、寂しくなって泣く日が、絶対やって来る。

息抜きをしながら、無理のない範囲で、「ママ遊ぼう」に応えていきたいなと思う。

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