ドラマ「不適切にもほどがある!」はなぜ面白いのか
普段ドラマは滅多に見ない私だが、今期は「不適切にもほどがある!」にハマっている。
脚本 宮藤官九郎
主演 阿部サダヲ
鉄板のコンビだが期待を裏切らず面白い。
ストーリーはよくあるタイムリープモノなのに、全く飽きさせず続きが気になる。
どうして面白いのか、なんとなくの感情を言語化してみる。
若い人は昭和と令和のギャップに驚く
舞台は1987年。阿部サダヲ演じる主人公、小川市郎は区立中学の教員だ。
当時は職員室でもバス車内でも当たり前のようにタバコ。
若い女の子にはセクハラ発言当たり前。
今では死語というより存在自体アウトな「スパルタ教師」の野球部顧問で「地獄のオガワ」と呼ばれている。
部活中は水飲み禁止。連帯責任でケツバット。膝に悪そうな兎跳び(懐)
未成年にも酒を勧める。
こんな昭和の当たり前を面白おかしく表現している。
亡き妻との間の一人娘は17歳でグレ気味。セーラー服に長いスカート、聖子ちゃんカット。
高校生の喫煙描写。
もちろん携帯電話などなく連絡手段は固定電話、駅の掲示板(!)
以前、ダウンタウンの特番で昭和と令和のギャップを取り上げる番組があった。
昭和の常識に驚く点が多々あったが、なんだか滑稽で、でも自由さが羨ましくもあり、面白いと思った。
このドラマでもかなり意図的に
「今の時代ではヤバい昭和の常識」
を描いており、衝撃を受けつつも、ちょっと羨ましくも思うキヨシのような若者は少なくないのではないかと思う。
名言が刺さる
一方、同時代を生きた人からすれば、「そうそう!こんな感じだった!」「懐かしい。あの頃に戻りたい」「今の時代はコンプラ、規制、うるさすぎ」
と共感する点が多いのではないだろうか。
より良い社会を目指して、色々と変化してきたはずなのに、なんか息苦しすぎないか。
そんな令和の「当たり前」を、
言語化できないモヤモヤを、
市郎はズバズバ斬っていく。
そのセリフが、共感することばかりで刺さる。
「多様性を認めるなら、俺個人の感想も尊重しろ」
「こんな未来のために働いてんじゃねえ」
「「結婚だけが幸せじゃないってあんた言ったけど、じゃあ『結婚しました、幸せです』って言っちゃいけないってこと? 俺は幸せだったよ。カミさんと結婚した時、娘が生まれた時、叫びたいほど幸せだったよ」
どれもグッときた。
※セリフはうろ覚えです!
とことん現実を描く
※ここから先はネタバレあり。
宮城県出身のクドカンは、震災をちゃんと描く。
昭和〜令和を振り返るにあたって、震災を描かない選択肢はなかったんだろうな。
主人公の市郎と娘の純子は、阪神・淡路大震災で亡くなるということが5話で明かされた。
あと9年で自分も娘も亡くなることを知ってから、6話で久々に昭和に戻ってきた市郎は、純子を抱きしめて泣いていた。
それを見て私もどうしても自分の娘に重ねてしまい、泣いてしまった。
これからどうなるのか。
未来を知っている市郎は、死を回避するのか、それとも受け入れるのか。
まだまだ目が離せない!
あと1ヶ月ほど毎週金曜日を楽しみに過ごせることに感謝!
