見出し画像

[K文学] 1: 韓国フェム文学初心者のあなたへ

まずは 『82年生まれ、キム・ジヨン』を読むべき

この本との出会いとSSH

私がこの本と出会ったのは私が16歳の時、高校の図書室を入ってすぐの新刊コーナーでした。顔の描かれていない女性のイラストと美しい空色の背景が印象的で、すぐに借りて授業中に机の下で読んだのを覚えています。その頃はフェミニズムとは何じゃ、、というか。韓国では男性が女性より優位なステータスなんだなぁと漠然に考えていました。23歳になった私がこの本をもう一度読むまでは。
この本を読み直すきっかけとなったのが、今年の7月にソウルに旅行に行った時の些細な出来事です。私たちがソウルの本屋で歩いていた時に『82年生まれ、キム・ジヨン』をフェミニズム文学コーナーで見つけました。私が「この本高校生の時に読んだよ、日本では大きなブームが起こってたの」と言うと、その友達はこう言いました。 “난 이런 게 별로야..” (僕はこういうのがあまり、、) と。スーパーセクシストヘイター(性差を元に差別する人をセクシストという)の彼がそう言ったので、私はちょっとびっくりしてしまいました。
※性差別に対して真っ向から反対のこの彼をSSH(スーパーセクシストヘイター)と呼ぶことにしました。

この一言の真意は一旦置いといて、このコメントを契機にもう一度『82年生まれ、キム・ジヨン』を読み直してみたいとその時思ったのでした。
1982年は「男児選好の風潮が最も強く、新生児の男女比が記録を取り始めて以来最も偏っていた」(斎藤 21)年であったため、作者はこの年に生まれた女児の名前で一番多かったキム・ジヨンという名前をこの作品のタイトルにしたのでした。すなわち80年台に生まれた社会上で一番普遍的な女性イメージをこの小説の中核に備え、『82年生まれ、キム・ジヨン』と呼ばれるロケットは発射されました。日本にそのロケットが到着、というか飛来したのは2018年。今まで韓国文学のかの字も読んだことの無かった私の手に着地してしまいました。

主なあらすじはこんな感じ

主人公は1人娘を持つキム・ジヨン氏という女性。ある日ジヨン氏は不思議な言動を見せ始める。それは突如別人が乗り移ったかのように振る舞うことで、最初はふざけてしていると思っていた夫のチョン氏はやがて妻が本気だと知り、カウンセリングに行くことに。ジヨン氏はある時には自分の母親のように、そしてある時にはすでに亡くなった先輩のように振る舞うのだ。この物語はキム・ジヨン氏の症状を担当カウンセラーから見たカルテ形式でキム・ジヨン氏の人生が遡るように語られる。

ジヨン氏には2歳上のウニョンという姉と弟(名前は記載されていない)がおり、祖母はこの弟ばかりを贔屓し可愛がる。ご飯を分ける時だって弟が一番、傘が2本しか無ければ共有するのはウニョン氏とジヨン氏。そんな経験を当たり前だと思って生きてきたジヨン氏は、学生生活や就活を通して性的差別やセクハラが罷り通る世界を目の当たりにし嫌気がさす。何より気に食わないことは、ジヨン氏が高校生の時にバスに乗っていて、ジヨン氏の後を男子学生がつけてきた時だった。父親の「危ない人はちゃんと見分けて避けなさいと。気付かずに避けられなかったら、それは本人が悪いのだ」(61) という言葉や、会社の女子トイレの盗撮事件の後の社長の言葉「君たちにしたって、写真が出回ったことが噂になったら、良いことはないじゃないか」(150) という無責任な言葉。

子供ができ、退社を決意した後も、家事に育児に追われながらワンオペを続けるジヨン氏にはいつの間にか余裕がなくなり、表面張力効果でギリギリ溢れないコップのように、心が溢れかけていた。そうして電車の中で出会う女子高生の「そんな腹になるまで地下鉄に乗って働くような人が、なんで子どもなんか産むのさ」(133) という心無い言葉や、公園でサラリーマンがジヨン氏を見てつぶやいた「ママ虫」(158) という言葉。そんなナイフのように鋭い刃先で心が破られ、とうとうジヨン氏は精神病の兆候を見せ始めたというわけだった。

スタバで「シーッ!」in ソウル

ここではジェンダー差別が「差別」と見做されていない、女性を侮辱した態度を当たり前に取り続ける男性諸君が描かれており、現在でも韓国で男性優位社会は存在していると著者は暗示しています。そんな韓国と日本で決定的に違う制度がありますね。そうです、徴兵制です。周知の通り、韓国では生物的に男性として生まれた方々は、約2年間の兵役が義務付けられています。
この制度をめぐって今韓国では男女間で大きな議論が巻き起こっていると、韓国人の友人Yから聞きました。

男性は女性よりも社会に出るのが2年遅くなるから、それが社会的ハンディキャップになる、という男性の主張。それに反駁するのが、兵役が嫌なら自分達でデモなどを通して政府に訴えるべき、だとする女性たち。今でも実際にある差別的発言として「女性は兵役に行っていない」という理由で男性が女性よりも優先順位の高い位置につくことがあるそうです。

ソウルのスタバで当時兵役中だった友人Yとこの話題になったことがあります。「徴兵制について、私は不公平だと思う」と素直に自分の意見を友人Yに伝えてみると、彼は静かに人差し指を唇に当てました。

韓国では軍隊の話は公共の場では避けた方がいいと。

カフェで話題にするにはあまりにも物議を醸す話題だそうで、ホットであるが故にタブー視されているとの事でした。誰も望まない制度なんて廃止すべきじゃない、と何も知らない スチューピッド・ガイジン の私に気をつけるよう言ってくれた友人Yには感謝をしています。この単独事故のような出来事は、私にとって韓国の社会構造とジェンダー、歴史や文化に深く興味を持つきっかけとなってくれました。

#MeToo運動と平和の少女像

ここから急にポリティカルな話になります、皆さんは慰安婦像と聞くと、どんな印象を思い浮かべるでしょうか。ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像をニュースで見たりした人は、この像を巡って日韓関係が悪化することを懸念している方もいらっしゃるのでは無いかと思います。韓国では「平和の少女像」とも呼ばれているこの像は、私たちの祖先が韓国のハルモニ達に犯した歴史を直視し、みる人に平和を願ってほしいという願いから、韓国民衆アートの彫刻家である、キム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏によって制作され2011年に設置されました。

「威圧的で権威的なものではなく、小さな感動を呼び起こす、生きて呼吸する碑」(古川, vi)という作者のイメージ通り、まだ少女だったハルモニ達が苦難を経て生き抜いた、そして亡くなった彼女達の思いを伝え、感動を呼び起こす象徴的な銅像です。
この少女像は政治的な意味で、反日精神のシンボルとして描写されることもあるのは事実ではありますが、本当に作者達が伝えたかった思いはそうではありません。単に反日精神を呼び起こさせるのではなく、歴史から目を背けずに反省し、今後繰り返さないための象徴として現在、そして未来に向けてこの作品を作ったのです。

ハルモニ達の声なき声を綴って。

SNSが普及した現在、一つのボタンのタップで世界中に自分の声を瞬時に拡散することができるようになりました。今まで声にならなかった声を文字という媒体を通して、届ける事もできるようになりました。そして2006年にその「無声の声」をあげた勇敢な女性がいました。その女性はアメリカン活動家のTarana Burkeという女性です。彼女は今まで見過ごされてきた男性から性的暴力を受けたり、セクハラ、性被害に遭った女性達の声を「私も」という言葉で発することで、多くの性被害者達の沈黙に光を当てました。そして#MeToo運動が世界に拡散された世の中であっても、性暴力、特に韓国では芸能界での性被害による女優やアイドルの自殺が後を絶ちませんでした。

「加害者が小さなものを一つでも失うことを恐れて戦々恐々としている間に、被害者はすべてを失う覚悟をしなくてはならないのだ」

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』p. 150

ハルモニ達の静かな叫びをアートという形で代弁した平和の少女像は、歴史の繰り返しをしないように、というメッセージと共に#MeToo運動が目に見える形で今日の私たちの前に姿を現したのでした。

男性が奢る文化

最初に登場したSSHは私に一度こんな事を話しました。「デートの時、なんでダッチペイ(割り勘の事、韓国ではこう呼ぶ)するとダメなんだろう」と。彼は男女でデートをする際必ず男性が奢る、という文化に常日頃から疑問を持っていたようです。

男性も女性も経済的に独立しているのだから、
ダッチペイで済ましましょうや、という意見です。

うん、韓国でも日本でもいまだに男性が女性に奢る文化はありますよね。割り勘にする男性はダサい、みたいな偏見もありますし(←私の意見ではない事だけは明らかにしておく)。

あの時「僕はこういうのがあまり、、」とフェミニズム文学コーナーの前でこう言った彼の深層心理はここだったのでは無いでしょうか。もし性差の全く無い社会だったらそもそもフェム文学なんて生まれないし、フェム文学のおかげで男女間に分断線が引かれているのでは、という彼の仮説が正しければ、男女間のこのフワッとした緊張感や、気まずい空気感も解けるというか。確かに、本当に性差の無い世界において女性文学なんてジャンルはそもそもありえないですよね。マスキュリニズム文学なんて聞いた事ないし。

彼が伝えようとしたのは「女性だから」特別扱いされる社会ではなく、特別に扱われずとも平等な社会というのが真の男女平等社会であるという事でしょう。

フェミニズムという言葉自体に何かマスキュリニズムのような雰囲気が漂っている感じもしてきたところで、私の拙い読書感想文を終えたいと思います。ここまで読んでくださった方(もしいらっしゃったら)ありがとうございました。読者の方々の何かのインプットになっていれば幸いです。それではまた次の読書でお会いしましょう〜!

参考文献

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』、イースト・プレス、2022年。
チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』斎藤真理子訳、筑摩書房、2018年。
古川美佳『韓国の民衆美術 抵抗の美学と思想』、岩波書店、2018年。


いいなと思ったら応援しよう!