参議院議員選挙の合区選挙区についての徳島弁護士会の意見書【その1】

参議院議員選挙の選挙区選挙の合区について、徳島弁護士会が令和7年4月30日付けで意見書を出したとの報道がありました。
徳島弁護士会「参議院議員選挙区選挙の合区制度の早急な解消を求める意見書」

意見書のPDFは徳島弁護士会のホームページに公開されています。18頁のうちで、最初は参議院議員選挙の制度の説明や最高裁判決の紹介などがあり、弁護士会の意見の理由付けは8頁から始まっています。

参議院議員の選挙

参議院議員は、任期6年の議員で、衆議院のように解散がありませんから、任期満了で選挙が行われます。憲法で、議員の半数を3年ごとに改選することになっていますから、参議院の選挙は3年ごとに行われます。(最初の参議院議員選挙は、3年任期の議員(下位当選)と6年任期の議員(上位当選)が定数の半数ずつ選出されています。)

現在の参議院議員の総定数は248人で、このうち100人が比例代表選出で、148人が選挙区選出の議員となります。半数改選ですので、1回の選挙で、124人の議員(50人の比例代表の議員と74人の選挙区選出の議員)が選挙されることになります。

選挙区選出議員の選挙は、都道府県を単位とする選挙区で選出されてきました。(都道府県を単位とする選挙区で選挙するというのは、法律で決めたことであり、憲法でそこまで定められているものではありません。)
平成28年(2016年)の選挙から、高知県と徳島県の選挙区と島根県と鳥取県の選挙区が合区(定数2つまり1回の選挙で改選されるのが1人)となりました。

弁護士会の出す意見書

今回の件だけではなく、各地の弁護士会は、意見書とか会長声明とか、総会決議とか色々と出しています。
弁護士会は強制加入なので弁護士である以上は事務所の場所を管轄する弁護士会に所属しなければなりません。
弁護士会の出す意見書とか声明は、その弁護士会に所属する弁護士全員が同意した意見というものではないです。
今回の徳島弁護士会の意見書も、徳島の弁護士全員の一致した意見とは限らないです。(5月1日時点での徳島弁護士会に所属する弁護士数は94人でした。)

徳島弁護士会の意見について

徳島弁護士会の意見書の「意見の趣旨」つまり意見の結論は、次の1〜3の内容です。
1 合区制は憲法違反の疑いがあると考えられるから解消すべき。
2 参議院議員選挙の1票の価値の平等の判定は、選挙区選挙・比例代表選挙を総合した参議院議員選挙全体で判定すべき。
3 都道府県の区域を選挙区単位にするのが望ましく、投票価値の平等は都道府県ごとの選挙区の維持のために制約を受ける。

上記の意見については私は全く賛同できるものではないです。
理由付けについての個別の批判は後で述べるとして、結論部分についてざっくり言いますと、まず1の憲法違反を云々する点は、我が国の国会議員は「全国民を代表する」ということ(憲法43条1項)を無視した立論です。
2の選挙区選挙と比例代表を総合して投票価値の平等を判定しろというのは、それぞれ独立した選挙制度である選挙区選挙と比例代表選挙を総合して判定するというのが意味不明ですし、総合して判定するというのであれば具体的にどのような判定になるのかを意見書は示せてもいません。
3の都道府県での選挙区制を優先しようというのは、我が国は都道府県の連合国ではないから国家の理解として誤っているし、都道府県にこだわって投票価値の不平等を許すのは歪に都道府県に重きを置くものです。


意見書の「意見の趣旨」の理由付けは、実質的には意見書8頁の4項「4 選挙権に関する憲法上の価値について」から始まります。同項では、まずは選挙権の重要性を述べています。細部の言い回しで引っかかるところがありますけど、ここでは措いておいて、9頁から始まる徳島弁護士会の主張から見ていきます。

仮に、国民の一部の階層が行使する選挙権は相対的に「行使しづらい」選挙権である一方、その他の国民が行使する選挙権は「行使しやすい」選挙権であるなど、選挙権の行使可能性(行使容易性)に差異があるとすれば、それは国民成年者全体に同様に認められた選挙権とは言えない、すなわち憲法上、 国民主権や公務員選定権を侵害しかねない制度であると言うべきである。

意見書9頁

唐突に選挙権の「行使しづらい」「行使しやすい」という話が始まります。「行使しずらい」から合区を廃止しろという方向に誘導したいという意図は見えます。
選挙権の行使つまり投票の容易性というのは、事実上のものなのか、制度に起因するものなのかの論証を無しに制度の問題に入っているところが、誤導の始まりなのでしょう。

この観点から、合区となった「鳥取・島根選挙区」 「徳島・高知選挙区」の実情を過去3回の合区選挙から見てみる(令和5年最高裁大法廷判決から引用する) 。

意見書9頁

「この観点」が何の観点なのか文理上は不明です。たぶん、選挙権を行使しやすいかどうか、ということを問題にしたいのでしょう。
「令和5年最高裁大法廷判決から引用する」とありますけど、どこからどこまでが引用なのか分かりづらいです。
おそらく、次の引用部分のことが令和5年判決から引用したというもののようです。

平成28年の第24回参議院議員通常選挙では、 「平成28年選挙において、合区の対象となった4県のうち島根県を除く3県では、投票率が低下して当時における過去最低の投票率となったほか、無効投票率が全国平均を上回り、高知県での無効投票率は全国最高となった。なお、平成25年選挙においては、無効投票率が全国平均を上回っていたのは、上記4県のうち高知県のみであった。 」という状態であった。
令和元年の第25回参議院議員通常選挙では、 「令和元年選挙において、合区の対象となった徳島県での投票率は全国最低となり、鳥取県及び島根県の投票率もそれぞれ過去最低となった。また、合区の対象となった4県での無効投票率はいずれも全国平均を上回り、徳島県では全国最高となった。 」という状態であった。
令和4年の第26回参議院議員通常選挙では、 「本件選挙において、合区の対象となった鳥取県での投票率は、令和元年選挙時を更に下回って過去最低を更新し、また、徳島県での投票率は令和元年選挙時より上昇したものの、なお全国最低であった。合区の対象となった4県での無効投票率は、いずれも全国平均を上回った。 」という状態であった。

意見書9〜10頁

投票率が低下した、とか、過去最低の投票率になった、無効投票率が全国平均を下回った、などという事実を問題にするのであれば、具体的な数字を出して検討すべきでしょう。
元になった令和5年10月18日最高裁大法廷判決の判決書で、具体的数字が挙げられていないのが読み手(国民)に不親切ともいえるますし、また、最高裁も重視していないからかもしれません。
具体的な数字を検討しないで何の論証になっているのかよく分かりません。

数字を出さないで読める事実としては、平成28年選挙では島根県選挙区では当時における過去最低投票率にならなかったし無効投票率が全国平均を上回らなかった、ということが分かります。
このような島根県選挙区の結果からすると、「平成28年選挙から始まった合区制度によって合区の対象選挙区では投票率が下がった」とはいえないことになります。合区制度のせいで投票率が下がった、といえるためには、合区の4県全てで投票率が下がらないと論理的ではないでしょう。
平成28年選挙では高知県の無効投票率が全国最高となったとの指摘もあります。ただ、合区選挙区となる前の平成25年選挙では、高知県選挙区の無効投票率は全国平均を上回っていたとのことですから、元々無効投票率が高かった選挙区だったと読めます。具体的な数字が無いので、どの程度の無効投票率なのかは意見書からは不明です。

令和元年選挙では、高知県選挙区の投票率は過去最低ではなかったことが分かります。合区制に起因して投票率の低下を招いているというのであれば、高知を含めた4県で投票率が下がらないとおかしいでしょう。

令和4年選挙では、鳥取以外の3県では投票率は過去最低ではなかったことが分かります。

上記のように、令和5年最高裁判決から抜き出した情報だけを見ても、合区制と投票率の低下や無効投票率の上昇を結びつけて論じるには無理がありそうです。合区制に反対するのであれば、投票率や無効投票率を問題にするのは悪手に見えます。
既に指摘したとおり投票率などを基に論証するのであれば具体的な数字を出して検討すべきですし、また、4県のみならず他の選挙区の数字や平成25年以前の選挙の数字も比較すべきでしょう。
これらの検証をしていない本件の意見書は、手抜きと評せざるを得ません。

理由付けの出発点からおかしい意見書ですので重視する価値は無いものと考えますけれども、引き続き見ていきます。

このような状態は、合区の対象となった4県の有権者は、他の43都道府県の有権者と異なり、社会的、文化的、経済的に違いのある複数の県を合一して一の選挙区とされているため、選挙区としての統一感を欠き、結果、有権者と選挙ないし候補者との間に心理的隔たりが生じていること、そのため当該選挙区選挙で当選した議員について、自分たちが選んだ代表である、すなわち自分たちが属する地域の問題や要望を把握しそれを国政に届けてくれる存在であるという実感が持てなくなるなどして、憲法上重要な権利である選挙権を行使しようとする意欲を欠くことになった結果ではないかと理解できる。

意見書10頁

「このような状態」というのは、4県のうちで投票率が低下したとか無効投票率が上昇したところがあったという状態のことを指すようです。

さて、この一文の論理の出発点は、「社会的、文化的、経済的に違いのある複数の県を合一して一の選挙区とされている」ということです。「社会的、文化的、経済的」な違いというのは、具体的にどういう違いでしょうか。隣県であっても、「社会的、文化的、経済的」な違いというのは言いようによっては”違い”はあるでしょう。この”違い”があるから、「選挙区としての統一感を欠き」というのが徳島弁護士会の主張です。

そのような「選挙区としての統一感」というものが何を言いたいのかは不明瞭な点はおくとして、そのような「統一感」というものが他の都道府県の選挙区にはあるものでしょうか。たとえば、北海道選挙区で見ますと、札幌市やその近郊と、函館や釧路、旭川といった地域との間では「社会的、文化的、経済的」な違いはなく「選挙区としての統一感」とやらがあるのか疑問です。北海道最北の稚内市、最東の根室市との間ではどうでしょうか。
東京選挙区だと、23区でもそれぞれ「社会的、文化的、経済的」な違いがあるという話ができそうですし、港区と23区外の市町村は「選挙区としての統一感」とやらがあるのでしょうか。
私は20年近く前に島根県弁護士会に所属していた時期がありまして、島根県の西部(石見地方)で仕事をしていたことがあります。県庁のある松江(県の東側)よりも、石見地方の人は南側の広島県や西側の山口県の方と結びついている(つきたがっている)ように見えました。
徳島県民は高知県民と仲が悪いので、一緒の選挙区にはなりたくないという本音を「選挙区としての統一感」という言葉でまとめているというなら、そういう感情があるということで理解はできます。(憲法論としてまともな大人が言う話とは思えませんが。)

「社会的、文化的、経済的」な違いや「選挙区としての統一感」がどういうもので、その違いや一体感をどのような基準で判断するのか、どのような事情から判断するのかが全く不明なので、お気持ち的なお話でしかありません。

徳島県弁護士会の主張では、「選挙区としての統一感」を欠いた結果、「有権者と選挙ないし候補者との間に心理的隔たりが生じている」とのことです。このような「心理的隔たり」が生じていることは特に根拠は無く、徳島県弁護士会の想像上のものでしかないでしょう。「心理的隔たり」というのも、何となくの意味合いでしかなく、具体的に何を言いたいのか実際のところはよく分かりません。
隣県と合区になったから国政選挙と心理的に離れてしまったとか、候補者と心理的に離れてしまったというのは、4県の有権者を舐めているようにも思います。合区になったからといって投票できなくなるわけではありませんから、候補者の中から投票できることは合区であろうとなかろうと変わりはありません。実際に多少はいるとしても、合区になったことをすねて投票しないとか無効票を入れるという幼稚な態度をとるのが4県に住む国民一般だとは言えないでしょう。

「当該選挙区選挙で当選した議員について、自分たちが選んだ代表である、すなわち自分たちが属する地域の問題や要望を把握しそれを国政に届けてくれる存在であるという実感が持てなくなる」とのことについては、当選した議員がいるわけですからその議員の活動の問題でしょう。
自分の選挙区の有権者に信頼感を持たれないのであれば、その議員の議員としてあるいは政治家としての能力や活動の問題です。選挙区割のせいにする話ではありません。
わが国の国会議員は、全国民の代表であって、選挙区という特定地域の代表ではありません。選挙区に国家予算や利権を期待するような時代に戻るべきではないでしょう。

「選挙権を行使しようとする意欲を欠くことになった結果ではないかと理解できる」というのは、徳島弁護士会の感想に過ぎませんから、そのような”理解”をするのはご自由でしょう。
投票率が下がったとか無効投票率が高かったということを、有権者の投票の意欲が低かった結果と評価するのはあり得る話です。しかし、国政選挙の投票率は、有権者の意欲だけではなく、有権者の投票しやすい日程や天気といった要因や、その選挙時の政治的な盛り上がり等にも影響されるでしょうし、当該選挙区の候補者や所属政党での選挙戦の激しさ等にも影響されるでしょう。
投票率の低下とか無効投票率の高さについて、合区制のせいにできるのか、また、合区制だけのせいにできるのかは疑問です。

このような合区対象県における有権者の意欲の低下は、決して当該有権者に非があるわけではなく、合区制度という制度上の欠陥から生じているというべきである。投票をすべき有権者からの視点において、上述のとおり合区対象県では自分たちが選んだ代表という実感が持てないということにとどまらず、合区対象選挙区で立候補する候補者からの視点においても、自らの出身地である等ゆかりのある県における選挙運動と、他方の県におけるそれとでは明らかに有権者の反応に差異が生じているという指摘(他方の県では、そもそも街宣活動等をしても他県から立候補している候補者だからという理由で関心すら持ってもらえない場合がある。また、社会的、文化的、経済的に違いがある故に共通理解となるべき政策的訴えができないなど)があることを明記しておく。

意見書10頁

候補者の視点という話が出てきます。
意見書では具体的なことが書かれていませんけど、徳島にゆかりの候補者は高知の有権者に関心を持ってもらえない、逆に高知ゆかりの候補者は徳島の有権者に関心を持ってもらえないということでしょう。
このような問題の取り上げ方は、前提がおかしいと考えます。国会議員の被選挙権の要件つまり立候補の要件には、選挙区の出身者であること等は求められてもいませんし、選挙区に住所があることすら不要です。”選挙区ゆかりの候補者”を云々するのは、選挙区外あるいは県外からのヨソ者を排除しようということであり、また、国会議員が選挙区等の地域代表ではなく全国民の代表(憲法43条)であることを無視しようというものでしょう。
合区にせよ単一の都道府県の選挙区にせよ、国政の候補者である以上は、支持者ではない有権者に対しても主張を訴えて関心を持ってもらう立場であるべきです。選挙区内の都市部出身の候補者であっても、過疎地域の有権者に対して工夫して訴えかけをする(逆もある。)のはどこの選挙区でも同じでしょうし、選挙区外の出身である候補者も立候補する選挙区の有権者の支持と理解を得ようとするのは当然でしょう。
また、有権者の側としては、自分の住む県の出身者ではないから候補者に関心を持たないという排他的な姿勢を持つのは当人の勝手としても、そのような姿勢を保護すべき正当な理由は無いでしょう。

徳島と高知にどのような「社会的、文化的、経済的」な違いがあるのかは不明ですし、政策的訴えに違いを生じさせるほどのものなのかも不明です。そもそも、国政選挙ですから、そのような「違い」が各地にあるとしても国一般の政策について訴えをするのが国会議員の候補者や政党の責任ですし、有権者としても日本国の政策についての訴えを聴くべきでしょう。
地元への利益誘導にしか関心が無いというようなことは、制度的に保護する価値がないです。

その結果、合区対象県においては投票率が低下することとなり、また、投票をしようとしても候補者を知らず、もしくは自分たちの代表となるべき適切な候補者を見いだせないため、やむなく無効票を投じざるを得なくなっているものと考えられる。これは、我が国の根幹が民主主義であるにもかかわらず、一部の国民からすれば自分たちの代表を満足に選ばせてくれない、という現象にほかならず、公務員選定権の侵害ということにとどまらず、憲法上最も重要な基本理念というべき国民主権が侵害されているともいうべき事態なのである。

意見書10〜11頁

「その結果、合区対象県においては投票率が低下することとなり、また、投票をしようとしても候補者を知らず、もしくは自分たちの代表となるべき適切な候補者を見いだせないため、やむなく無効票を投じざるを得なくなっている」という記述の、「その結果」が何なのか不明です。「投票率が低下」ということからすると、「有権者の意欲の低下」の結果のようにも読めますけど、有権者の意欲の低下の結果として「候補者を知らず」とか「適切な候補者を見いだせない」ということには、論理が逆ですので、繋がらないでしょう。
合区のどちらかの県の投票が無効票ばかりになっているわけではないので、「無効票を投じざるを得なくなって」というのは誇張に過ぎると考えられます。
「候補者を知らず」といえるだけの事象が実際にあるのか不明ですし、少なくとも選管の公報はあるでしょうし、マスコミは候補者について報道しているはずでしょう。公示日に届出をして、いきなり候補者になる人もいるかもしれませんけど、どこの政党も公示日までに候補者を固めて候補予定者はそれなりに選挙区内での政治活動を経て立候補しているものと考えられますから、「候補者を知らず」ということがあり得るのか非常に疑問です。
「適切な候補者を見いだせない」というのは、有権者に対して候補者を用意できない政党・政治家の側の問題でもあります。そもそも有権者は単に投票する候補者の選択肢を与えられるだけの存在ではなく、究極的には自分で立候補することもできますし、自分の支持できる政治家を選び応援して立候補をうながすこともできます。これも合区制のせいにする話ではないでしょう。

以上のとおり、徳島弁護士会の言う「一部の国民からすれば自分たちの代表を満足に選ばせてくれない、という現象」なんてものはまやかしに過ぎません。


国民主権がどうとかいう大きな言葉・きれいな言葉で繕わないで、徳島では自民党の参議院議員を3年ごとに出していたのに、合区になったせいで徳島が地盤の自民党の参議院議員が6年に1回に減ったのが不満なのが本音だと言えばわかりやすいのにと思います。徳島弁護士会としては、そうは言えないのは分かります。

なお、国民主権が憲法上の基本理念であること、及び、参政権ひいては公務員選定罷免権の重要性や理念に鑑みれば、その理念を踏まえた選挙権が全国民成年者に等しく与えられることを前提として後述する投票価値の平等などについて議論されるべきである。したがって、全国民成年者全体に同質の行使可能(容易)な選挙権が与えられることは選挙制度の大前提であり、投票価値の平等は同質の選挙権の付与に対し一定の制約を受けざるを得ないと言うべきである。

意見書11頁

「国民主権が憲法上の基本理念であること、及び、参政権ひいては公務員選定罷免権の重要性や理念に鑑みれば、その理念を踏まえた選挙権」というのは何か立派なことを言ってる風ではありますけど、参政権と公務員選定罷免権と選挙権の関係の整理はよく分かりません。2頁で「選挙権は憲法15条に定める公務員選定罷免権の一つ」と言っているのに、「その理念を踏まえた選挙権」と言うと別次元の権利のようにも見えます。
「選挙権」が重要だと言いたいことは分かります。

「選挙権が全国民成年者に等しく与えられることを前提として後述する投票価値の平等などについて議論されるべきである。」とうっかり言ってしまっていますけど、「選挙権が全国民成年者に等しく与えられる」というのであれば投票価値は平等でないとおかしいです。ある選挙区の投票価値より別のある選挙区の投票価値が0.5だったら、「選挙権が全国民成年者に等しく与えられる」ということにはならないでしょう。
「したがって」の前で、「選挙権が全国民成年者に等しく与えられる」と言ってしまっているのですから、「したがって」の後で投票価値の平等が「一定の制約を受けざるを得ない」というのは論理がつながっていません。
このようなおかしな”論証”になるのは、「したがって」の前で「同質の行使可能(容易)な選挙権」なる概念が投票価値の平等より一定程度の優先がされることを何ら説明していないからです。

徳島弁護士会の言う選挙権の行使可能(容易)というのは、結局のところ、有権者の意欲というものの言い換えでしょう。
こういう意欲が云々というのはおかしい話ということは、上述したとおりです。


そもそも論として、合区の選挙区に住む有権者も、一人一票を持って自宅近くの投票所に行って投票することには何の制約も無いということです。また、合区の選挙区で立候補することは、他の選挙区と同様に可能です。
合区の選挙区の有権者が、選挙権の行使つまり投票をすること自体は他の選挙区と同様に可能であることをごまかされてはいけないと考えます。


長くなりましたので、意見書11頁5項以下については、【その2】で書きたいと思います。

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林朋寛(弁護士) お読みいただき、ありがとうございます。 ご支援いただければ、国や弁護士会の問題に取り組む助けになります。