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禅の道(106)引っ越し

引っ越しという「流れ」に身を任せる

朝、雪深きマキノを発ち、同じ高島市内なのに雪ひとつない今津あたりまで来たとき、ふと「境界」というものを考えました。わずか10キロ足らずの道のりで、雪景色からまるで冬の気配を失った景色へと移り変わっていく。その境界は明確なようでいて、実は空の温度、土地の特徴、人の息づかいといった無数の要素の積み重ねによるものです。日常の中でも、私たちは往々にしてこうした「目には見えにくい境界」を超えて暮らしているのかもしれません。

湖西道路を南下して久しぶりに戻った京都の家は、意外にも寒々としていました。気温は京都のほうが低いといえど、やはりここでも「感じる寒さ」はひと味違うものです。それでも手伝いに来てくれた友人が、右足の踵を痛めているにもかかわらず「大丈夫、大丈夫」と笑ってくれる姿に、寒さの中にもあたたかな灯火を見た気がします。

「引っ越しは延期しましょうよ」「いや、大丈夫」と繰り返すやりとりの中で、私たちは小さな祈りのようなものを交わしているのかもしれません。無理をしないようにという思いやりと、それでも力を貸したいという優しさが同居している。そんな姿を見ると、互いを支え合える関係に感謝の念が湧いてきます。

一段落した昨晩は、久しぶりに一緒に食事をし、布団に入った途端に深い眠りに落ちました。体を動かし、言葉を交わし、心も動かす。そんな一日の締めくくりにやってくる眠りは、とてもありがたい恵みです。

さて、今日は軽トラを借りて大きな荷物だけ運ぶ予定です。今月中にはこの京都の家を引き払い、これからしばらくは出張時にホテル住まいをすることに決めました。部屋を維持するよりも、そのほうが思いのほか負担が少ないとわかったからです。暮らし方も住まい方も、それぞれが時と状況によって変わりゆく。変化を受け入れることは、禅の教えでいう「流れ」に身を委ねることでもあるのでしょう。

マキノの庫裡(くり)の私の部屋が完成し、昨日の朝に改めてぐるりと見回したとき、「なんて素晴らしい世界なんだ」という思いが湧いてきました。四季折々の自然の移ろい、親しい人々との関わり、そしてそこに自分が生かされていること。一つひとつがありがたく、尊い。まるでルイ・アームストロングさんのあの名曲が流れているかのように、世界全体をいつくしむ気持ちになれるのです。

移ろいゆく季節や暮らしの形、それらは私たちに「本来の自由」を思い出させてくれます。形にとらわれることなく、必要な時に必要な場所へと移り住む。そこに生まれる出会いや別れを、柔らかく受けとめられる心を育てていきたいものです。

今日もまた、軽トラとともに新たな一歩が始まります。深呼吸して、体も心もゆるめながら、必要な荷物を運んでいきます。たとえ寒くとも、痛みがあろうとも、支え合いながら前へと進む道は、思いがけず明るいものかもしれません。寒い日々はまだ続くでしょうが、その先の温かな春へと続く「流れ」を、一歩一歩進んでいくわけです。

必要にして十分。


ご覧頂き有難うございます。
念水庵 正道

私の部屋は六畳一間。必要にして十分であります。
窓には障子を入れる予定です。

玄関と窓

マキノを留守の間、ニャンたちは長女がお世話してくれています。
LINEに届いたふたりの様子です。
お外に興味津々。。。

(下)ここ(上)ビリー(2/6)


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