AIを手にした人類|人を楽にさせるための徹夜
コンピューターの歴史を学んでみると、歴史上の人類がいかに膨大な量のデータに悩まされてきたかがわかる。
例えば、アメリカの国勢調査を担当したハーマン・ホレリスは1880年の調査結果を表にまとめる手作業に8年の歳月を要していたらしい。これを機にホレリスは自動化を決意しパンチカードを作成した。ホレリスが創業したタビュレーティングマシン社は複数の合併を経て現在のIBMに至る。
その後、0と1で全てを表現しようとするデジタル革命は少しずつ進化を進め、プログラミングやエクセルなどが開発され人々はデータを一括で扱えるようになった。それどころの話ではなく、メールやインターネットが登場してコミュニケーションや情報収集の在り方まで変貌を遂げたのは周知のとおりである。
そして今ではAIが登場し「○○を一括で抽出する関数を書いて」とか「○○を自動化するpythonを書いて」と言えば、すぐにその回答をくれる様な時代に突入し、この進化は加速し続けている。
きっと、1800年代に国勢調査を担当していた職員が今の世の中の情報処理技術を知ったら腰を抜かしてしまうと思う。「俺たちの血のにじむ努力が数秒で処理されている…!」といった具合に。
しかし、デジタルにフォーカスせずに「人類の仕事」という俯瞰的な視点で考えてみよう。1800年より前の人類と、現代の人類はどちらが長く働いているだろうか。結構いい勝負だと思う、室内を電気で照らして仕事ができる分、現代人の方が働いている様な気がしてくる。
こうして考えると、結局のところ人間は何のために効率化をしたのか、という疑問に帰結する。
僕も若い頃はIT業界に携わっていた。今もそうだと思うが、多くのエンジニアが終電まで作業を続け、納期が近づいたら徹夜をして、トラブルが起こったら休日出勤をしている。
彼らの仕事はシステムを開発および運用することによって、人や企業の課題を解決することである。要は人の仕事をデジタルで楽にさせるためにシステムを作っているのだが、当の本人たちは徹夜を決め込んで朝まで作業をしているのだ。
高度に発達したこの世の中も、誰かを楽にさせるために他の誰かが徹夜で働いているだけなのかもしれない。そしてこの営みは資本主義社会が崩壊しない限り、延々と続いていく。
スマートフォンやAIの様な画期的なデジタル製品を使うと、まるで魔法の様に仕事が効率化される気がするが、そういった製品にも莫大な労働力が掛かっていることは肝に銘じておきたい。
