見出し画像

幸せになろうとしなくていい・・・何度も考えてやっと静かになった僕の幸福論


幸せって、なんだと思いますか。
この問いに、はっきり答えられる人は、意外と少ない気がします。
僕自身、長い間わかりませんでした。
むしろ「幸せになりたい」と強く願えば願うほど、どこか苦しくなっていった感覚があります。
頑張っているのに満たされない。
何かを手に入れても、すぐに次が欲しくなる。
そんな自分を見て、「自分は欲深い人間なんじゃないか」と思ったこともありました。

実は僕は、過去にもnoteで「幸せ」について書いたことがあります。
当時の僕は、今よりもずっと答えを探していました。
幸せを理解したかったし、正解にたどり着いて安心したかったのだと思います。

その頃の僕は、お金への執着がとても強かった。
幸せになりたいという気持ちと同じくらい、いや、それ以上に「失うのが怖い」「足りなくなるのが不安」そんな感情に支配されていました。

正直に言えば、noteを始めようと思った理由も、
とても人間的で、あまり格好のいいものではありません。
どこかに「文章を書いて、お金を楽に稼げたらいいな」そんな気持ちが、確かにありました。
当時の僕は、常に不安を抱えていました。
少しでも楽になりたかったし、少しでも安心材料が欲しかった。
だから、そう思った自分を、今は否定していません。
幸せについて書きながらも、心のどこかでは「これが何かの足しにならないか」そんな期待が混ざっていたのも事実です。

今振り返ると、あの頃の文章が間違っていたとは思いません。

ただ、まだ体で理解できていなかった。それだけのことだったのだと思います。
生きていれば、いろんなことがあります。辛いことがあるのは、もう当たり前ですよね。

順風満帆に見える人だって、裏では何かしらの苦悩を抱えています。それが人間だと思っています。

多くの人が「幸せに生きたい」と願っています。
もちろん、僕もそうです。じゃあ、幸せって何だろう。そう考え続けて、今の僕がたどり着いた答えは、とてもシンプルなものでした。

今あるものに感謝できる心、それ自体が幸せなのではないか。
無いものを求め続けているうちは、どれだけ手に入れても、心は満たされません。

ブランドのバッグを買った瞬間、確かに幸せを感じることはあります。
それが本当に欲しかったものなら、その気持ちは否定しません。ただ、人は慣れてしまう生き物です。すぐに次が欲しくなる。

満足できないループに入ってしまえば、そこに残るのは幸せではなく、ずっと続く不足感です。
「何かを得ることこそが幸せだ」と強く執着すればするほど、失う不安や怖さが生まれ、人は逆に不幸に近づいてしまう。

これは、僕自身が身をもって体験しました。ギャンブル依存状態だった頃、僕は本当に苦しかった。
お金に強く執着しているのに、いとも簡単に失ってしまう。

幸せになりたいはずなのに、心がどんどん削られていく感覚だけが残っていました。

あの頃の僕に、「感謝できれば幸せになれるよ」と言われても、きっと何も響かなかったと思います。

だから、ここでひとつはっきり書いておきます。
感謝できない時があってもいい。
苦しい時に前向きになれなくてもいい。
無理に意味を見つけなくていい。
ただ、生きていればいい。
幸せは、頑張って掴みにいくものではなくて、
少し余裕が戻った時に、ふと気づくものだと、今は思っています。

僕は今、歯の治療をしています。少し前まで、虫歯の痛みで本当に苦しんでいました。

だから今、痛みがないというだけで、心から嬉しいのです。

普段は当たり前すぎて意識しませんが、普通に歩けること。水を飲めること。
それだけで、本当は十分ありがたい。
闇がなければ、光は認識できません。
陰がなければ、陽も分かりません。
どちらが良い悪いではなく、両方あってこそ、この世界は成り立っています。

もし今、不幸だと感じている人がいたら、それは「幸せが存在しない」という証拠ではありません。

まだ、そこに気づける位置にいないだけです。
焦らなくていい。比べなくていい。感謝できなくてもいい。いつか、ほんの小さなことで「今日は、まあ悪くないな」そう思えたら、それで十分です。

僕は、お金に強く執着していた頃、幸福度がとても低かった。でも不思議なことに、執着を手放したら、逆にお金も、心の余裕も入ってくるようになりました。

今に感謝できる心を持てるようになったのは、間違いなく、ドン底を経験したからです。
そう思えば、あの辛い時間は、今の僕にとってはギフトだったのかもしれません。

ただ、人は慣れてしまう。そして、忘れてしまう。

人は忘れていく生き物だということを、忘れてはいけない。

だから僕は、こうして何度も書いています。
幸せについて、何度も考えて、何度も言葉にしています。
忘れてしまうから。
また執着してしまうから。
そして、そのたびに思い出したいからです。

僕の幸福論の結論は、とても地味です。
幸せになろうとしなくていい。忘れてもいい。
また思い出せばいい。それを繰り返しながら生きていけるなら、人はきっと、思っているよりもずっと幸せの中にいるのだと思っています。

もしこの文章の中に、ひとつでも「わかるな」と思える行があったなら、今日はそれだけで十分です。

幸せは、大きなものじゃなくていい。思い出せたら、それでいい。そう思えたら、静かに「スキ」を押してもらえたら嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!

さんど ありがとうございます。 あなたの幸せを願っています。 私の祈りは強烈なので覚悟して下さい(笑)