一九九二年度 日本海を目指して(上)
学習院大学山岳部 平成5年卒
学習院高等科山岳部 昭和63年卒 鮫島英史
一九九二年といえば今からさかのぼること27年、不惑の年を優に超えた私がまだ二十二歳の青年であったことを思うとはるか昔のことに思える。 さすがに当時の記憶は消えつつあるが、当時の部誌の記録を頼りに記憶を呼び起こしてみた。
この年の部員構成は四年生になった私の他二年生の倉島広一、一年生の寺内哲也という3名であった。
部を存続させながらも下級生にとってこれからリーダーシップを取れるような夏山合宿を行いたいと思っていた。 バブル崩壊の足音が聞こえていた当時、私もかろうじて現在まで勤めている会社より内定を得ることができたのが六月後半になってしまい、急いで夏山合宿計画を練らなければならなかった。
何故日本海を目指したかという明確な理由はなく、前年夏の合宿で剣岳~槍ヶ岳、五月に剣岳北方領線と登っており、それまで高校、大学で登っていない稜線が後立山連峰に限られていたということもあった。 また三年前に先輩方が夏に踏破していたこともあり、日本海へ抜けるという響きと山から海という一見正反対の組み合わせが、当時新鮮に映ったこともこの稜線を縦走してみる気になった理由かもしれない。
八月六日から十四日まで真砂沢で定着合宿をおこなった後、一旦、信濃大町まで下山して、縦走に不要な登攀用具を東京に郵送し大町近辺の公園に宿泊しながら鋭気を養った。 公園での生活は二日間だけであったが、洗濯、買い出しなども行いながら縦走の準備を行った。 ちょうどお盆ということもあり、市内で花火大会が行われていた。 合宿の成功を祈願しながら酒盛りしたのが良い思い出である。
その後八月十六日より扇沢、針ノ木雪渓から縦走を開始した。 八月下旬としては良好な天候に恵まれ、一日七~十時間行動で順調に行程を伸ばし十七日冷池山荘、十八日唐松山荘、十九日白馬山荘と鹿島槍、不帰、白馬の後立山の核心部を越えて二十日には黒岩平まで到達した。 二十一日は一気に日本海を目指し親不知の海に到着したのが13時間後の夕刻であった。 ちょうど夕日が日本海に沈もうとしている時間で印象に残っている。
1992年度夏山合宿
1992/8/6-8/21 北ア真砂沢定着(源次郎尾根、八峰、チンネ等)、その後縦走(扇沢~針ノ木岳~鹿島槍ヶ岳~白馬岳~日本海)
#学習院大学山岳部 #学習院大学 #学習院山岳部 #学習院山桜会 #山桜会 #登山 #鮫島英史 #倉島広一 #寺内哲也 #剣岳 #槍ヶ岳 #北方領線 #後立山連峰 #日本海 #信濃大町 #扇沢 #針ノ木雪渓 #針ノ木岳 #鹿島槍ヶ岳 #白馬岳 #冷池山荘 #唐松山荘 #白馬山荘 #不帰嶮 #黒岩平 #親不知 #朝日岳 #ゼロ富士 #須貝綾菜 #大前久 #中村匡 #TAJR #燕岳 #常念岳 #蝶が岳 #雄山 #浄土山 #奥大日岳 #部活の思い出
