「咀嚼の残響」#よしまるさんの【さぶいぼ選手権】

「咀嚼の残響」
佐々木康太が、母の声を聞こうと思ったのは、四十九日の法要が終わり、四、五日経った深夜だった。
若年性アルツハイマー型認知症を患った母は六十九歳の若さで、この世を去った。父は、康太が物心つく前に飛行機事故で亡くなったと聞かされていた。
母を納骨するとき、墓石に父の戒名は刻まれていたが、カロートに納めた骨壺は母の物だけだった。
ーー母さん、寂しいだろう。母さんは、本当にお父さんが好きだったからね。
父の形見と呼べる物は、ベルトが焼け焦げた腕時計とフレームが溶けた眼鏡だけだった。
曼珠沙華の花が、赤く燃えるような秋の始めの日だった。
母には介護施設に入所する前、まだ実家にいた頃から、なにかあった時のためにと携帯電話を持たせていた。病気が初期の頃、母はよく電話を掛けてきた。懐かしい母の声が留守番電話の中で響く。
「こうちゃん、写真持って来て」
「こうちゃん、風邪引かないでね」
「こうちゃん、お寿司食べたいわ」
母の留守電はいつも短かった。その回数も徐々に減り、亡くなる頃には電話を掛けることもなく、一人息子の康太の顔さえ分からなくなっていた。
ザザッ、ザザザ⋯⋯
突然、ノイズが入り、最後の留守電が聞きとりづらくなった。康太はイヤホンを取り付け、ボリュームを上げた。母の声に何度も耳を澄ます。
「こうちゃん⋯⋯ご馳走さま⋯⋯美味しかっ⋯⋯」
その直後だった。ガリガリ⋯⋯と何かを噛み砕く音が聞こえた。耳障りな生々しい音。
ーーああ、この音だ。小さな頃から、ずっと聞いてきた音。母が僕に背を向けて、キッチンで何かを貪っていた音。
ノイズの向こうで、母の声だけが妙にはっきりと響いた。
「こうちゃん⋯⋯アイシテル」
父の名前は康介だった。ずっと自分に語りかけていたと思っていた留守電は、父に向けられたものだったかもしれない。康太は唇を噛んだ。
その時だった。スマホの画面が震え、メールが届いた。差出人は母。
『康太、私の得意料理が冷凍庫に残ってるから食べてね』
すぐさま冷凍庫を開けた。そこには、霜のついたラップに包まれた骨つき肉が残っていた。
康太は胃の奥から、迫り上ってくるものを抑えきれなかった。閉まりかけた冷凍庫の扉の隙間から、母の声が聞こえたような気がした。
『康太、お父さんに似てきたね』
(了)
「さぶいぼ」立ったかしら?
よしまるさん、よろしくお願いします。
