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言葉の温度差



夜のキッチンで、湯気が静かに立ち上っていた。
鍋の中では味噌汁が温め直されている。その音は、小さく、規則的で、どこか安心させるリズムを持っていた。

僕はその音を聞きながら、言葉を探していた。

妻はテーブルに座り、腕を組んでいる。
怒っているわけではない。でも、待っている顔だった。

「何か話してよ」

その一言は、静かだったけれど、逃げ場がなかった。



僕は本当は、何でも話したかった。

今日のこと。
仕事で感じた小さな違和感。
電車の中で見かけた、どうでもいい風景。
子どもの昔の話。
そして、言葉にならない不安。

全部、丁寧に、ちゃんと伝えたかった。

でも、口を開くと、何かがずれる。

「今日さ、会社でちょっと考えることがあって…」

そこまで言った時点で、妻の表情が少し変わる。

「また仕事の話?」

責めているわけじゃない。でも、受け取られ方が違う。

僕は「共有したい」と思って話している。
でも妻には「距離を置かれている」ように聞こえてしまう。



「じゃあ何を話せばいいの?」

思わず口に出してしまった。

それは問いかけではなく、ほとんど降参に近い言葉だった。

妻は少し黙ったあと、ゆっくり言った。

「そういうことじゃないでしょ」

その“そういうことじゃない”は、いつも僕を迷子にさせる。



人は同じ言葉を使っていても、違う意味で話していることがある。

僕にとって「話す」とは、出来事を整理して共有することだった。
でも妻にとって「話す」とは、気持ちを感じ合うことだった。

その違いに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。



ある日、僕は試しにやり方を変えてみた。

正しいことを言おうとするのをやめた。

整理された話も、結論もいらない。

ただ、一つだけ本音を出してみることにした。



「うまく話せないんだけどさ」

僕はそう前置きした。

妻は何も言わず、こちらを見た。

「ちゃんと話したいと思ってる。でも、どう話せばいいか分からなくて、結果的にズレてしまう」

それは、きれいな言葉ではなかった。
でも、自分の中では一番嘘のない言葉だった。



妻は少しだけ驚いた顔をして、それから視線を落とした。

「そうだったんだ」

その一言は、とても小さかった。でも、これまでのどの会話よりも深く届いた。



その日から、劇的に何かが変わったわけではない。

相変わらず、噛み合わないことはある。
同じことで、また少し言い合いになることもある。

でも、どこか違っていた。

「ズレている」という前提が、二人の間に置かれたからだ。



僕は今でも思う。

どうすれば完璧に伝わるのか、と。

でも、最近は少しだけ考え方が変わった。

「言葉は、正しさで届くものではない。
 不完全さを見せたとき、初めて誰かに届く。」



キッチンの湯気は、今日も同じように立ち上っている。

僕はまた、言葉を探している。

でも以前とは違う。

完璧な言葉ではなく、
“届くかもしれない言葉”を探している。

それだけで、少しだけ、この世界は静かに優しくなる気がしている。

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