先生のおにぎり #マスクドnote企画_12

人の握るおにぎりが、苦手だった。
おにぎりが苦手というわけではない。とりわけ母の握るおにぎりは大好きで、炊き込みご飯の残りを焼きおにぎりにしたものや、胡麻と鰹節、醤油で味をつけた焼きおにぎりは大好物だった。
人の握るおにぎりが苦手だと感じたのは、小学四年生の頃の話である。
担任は40代の女性教師であった。柔らかい色合いのジャケットと、ふわりとしたボブヘアと笑顔が、春の空気をまとっているような人物で、同じクラスの生徒も皆、先生のことを好きだったと記憶している。
給食の時間のことだ。
ご飯が余ると、先生はエプロンをつけた。腕まくりをし、廊下の手洗い場へ向かう。石鹸を丁寧につけて、しっかりと指の間まで洗った。何をするかといえば、おにぎりを握るのである。
家から持参したという塩を出して、手に塩をつける。優しい先生がかわいい生徒たちのために握るおにぎりは、飛ぶように売れた。先生は先生であったが、生徒たちに取っては優しい母でもあったのだ。
先生のことが大好きな私も、当然のようにおにぎりの列に並ぶ。みんなが美味しそうにおにぎりを食べるのを、先生が嬉しそうに眺めていたのを覚えている。
私も先生のおにぎりを食べたことがある。
塩の味がして、どこか人の温もりを感じる味だった。ありがたいなぁと小学生ながらに感じていた。
問題は、その後に起きた。
鼻で息をすると、どこからか石鹸の匂いが鼻を抜けた。その瞬間に、口の中に先生の手を感じてしまい、「もう無理。ごめんなさい」となったのである。大変に失礼で、神経質な子どもだと自分でも思う。
それからというもの、人の握ったおにぎりは難しい。
某ハンバーグ店の看板に「手ごねハンバーグ」と書いてある文字を見た時も、「あゝ、無理。ごめんなさい」と後退りしてしまった。
何が駄目なのだろうかと考えた私は、いくら慕っていても血のつながらない人間の握ったものが駄目なのだろうと予想した。
だからと言って、手作りの食べ物は好きなのである。不思議な話で、「握る」という行為が好きではない。とはいえ「寿司」は好きなのだから、全くもって矛盾している。私にも何が駄目なのかは、未だによくわからない。
この話は、一度たりとも誰にも話したことがない。潔癖や神経過敏、わがままだと思われかねないという心配が、私の頭を過ぎる。
案ずるな 手の温もりは愛情の塊 そのまま喰らうべし
と、自分に送りたいところである。
▼企画概要はこちら
▼他の皆様の作品は下記マガジンで読めます
いいなと思ったら応援しよう!
本田すのうは皆様からのご支援で活動を続けています。