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スマホにも「玄関」がある #マスクドnote2 _3







言葉を使うときは気をつけなさいよ。
言葉は武器にも薬にもなるんだから。

これは、口が悪い子どもだったわたしに、母が言って聞かせたお説教だ。

言葉だけで人を追い詰めて殺してしまうこともできるし、逆に言葉だけで誰かを救うことだってできる。

だから言葉の使い方には気をつけろ、ということらしい。

このお説教は、何の因果かわからないが、まるっとそのままわたしの人生の指針?指標?モットー?になってしまった。

本に頭を突っ込みながら下校して、電信柱に激突するようなアホ小学生に成長したわたしは、

いつしか文字を書いたり読んだりする仕事に就いて、文字(言葉)と交わって生きている。

フォースならぬ、言葉と共にあらんことを!
ってな感じの半生だ。

ところで、言葉の入り口と出口、つまり「玄関」は普通に考えたら「口」なわけだが…もの書きの場合はどこになるのだろう。

一般的には頭で考えた言葉は口から出てくるから、まあ玄関は口と言ってもよさそうだ。

でも、文字を「書く」なら?

その場合も、言葉の玄関は口になるだろうか?
…ならない気がする。

パソコン(やスマホ)に向かって、頭に浮かぶ言葉をどんどん現実世界に出力していくわけだが、

そうなると、もの書きの言葉の玄関は手や指になるだろうか。

いや待て。

わたしが好きな某有名少年漫画に、こんなシーンがある。

心とは何かを探し求めている(?)キャラクターが、敗れて消滅するときだ。

仲を深めていたヒロインが(消えないで!)と言わんばかりに伸ばした手に向かって、自分の手を差し伸べてこう思う。

(そうか これがそうか この掌にあるものが 心か)

ふたりの指が触れ合う前に、彼の存在は消えてしまうのだが…

彼の解釈を借りるなら、心とは誰かと触れ合うその「接触面」にこそ存在する、ということだ。

それが、このシーンでは手(手のひら・掌)なのだろう。

(ちなみにそいつは推しキャラだったので、敗退してしまってだいぶ悲しかった)

言葉にも同じことが言えるかもしれない。

受け取る相手がいてこその言葉であるならば、言葉の玄関は口でも指でもなくて、

わたしの言葉とあなたの視線が交わるところ。

つまるところ、今熱心に見つめているこの小さな画面こそが、わたしたちもの書きにとっての「言葉の玄関」なのかもしれない。

余談だが、あれだけ熱心に言葉の大切さを訴えていたはずの母は、あの説教のことをもう覚えていないそうだ笑




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